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「不思議なのは海の国なんだよ。全然情報が入ってこない」
「そうなのか?」
「うん」

普段、仕事に関係しないことは洸は調べないし興味がない。郁人はそんな洸とは違って、知的好奇心が服を着て歩いているような人種だ。何を調べていようと驚かないけれど、かれが棄てた(棄てざるを得なかった)国のことまで調べようとしているとは、さすがに、呆れる。

東の大公の息子の失踪、しかも跡目争いの前夜に起こったそれは、海の帝国の上流階級に派手に影響を与えたと聞いている。これも郁人の情報だ。無事に或人が次期東の大公ということで落ち着いたらしいけれど、あのときの追手の熱の入りようはすごかった、と洸はいまでも思っている。

無論、かれを守りきれない気などちっともしなかった。だけれど出奔に気付いた東の騎士団やら果ては皇帝のところの騎士団にまで追いかけられて、まだ子供の域を抜けきらなかった二人はそうとう苦労をしたのだ。無事に国境を越え、行き倒れかけたところをジーンが家に入れてくれたときには、二人とも丸二日間寝続けた。死んでいるのかとまだほんの子供だったアルメリカに思われて、頬を抓られて洸がようやっと起きたのは未だに彼女と郁人のなかで笑い話になっている。郁人なんて洸が起きてから、焼けたパンの匂いが流れてくるまでずっと寝ていたというのに。

「凪が軍部を預かってる、とは聞いてる。悟さんは相変わらずだろうし、普くんも中央で頑張ってるんだろう」

そして昔馴染みの名前を、郁人が口にする。凪、というのは、郁人が学生時代にもっとも親しくしていた青年の名だ。かれは帝国の皇子である。兄弟はいないから、実質次の皇帝はかれに決まっていた。そんなかれと東の大公の息子である郁人は、学校においてお互いの家柄を気にせずに接することが出来る唯一だったのだろう。

そしてさとるさん、と郁人が郁人らしくない呼び名で呼んだのは、おそらく距離の取り方を測りかねている洸の長兄のことだ。三人兄弟の末っ子である洸とは五つ年が離れている。かれは長兄であったので、無論、いつか生まれる東の大公の嫡子の騎士となるために育てられた。数年たって或人が生まれ、かれを守るために育てられた悟はまさしく騎士の鏡というふうに成長した。いつもいつも郁人は悟さんとおまえが兄弟だっていうのが信じられない、と洸に言ったのだが、それも仕方ないかもしれない。影となり随し命に添い、なにより騎士学校では礼儀やらマナーやら教養やらといった分野でも素晴らしい成績をおさめていた。さすが東の大公の騎士は違うと持て囃されても顔いろひとつ変えずにたんたんと素振りをしていたような人である。

次兄の名は、かれがあまねくん、と口にしたように普という。かれは悟とも洸とも違った。生まれついて身体が弱く、騎士にはなれないと判断されたためにその教育はなされなかったのだ。しばらくして郁人の妹が生まれてから、かのじょの子守りをそれは楽しそうにやっていた。だから郁人も、かれとは良く話したし仲が良い。かれは郁人も通った帝都学校へと通い、騎士ではなく文官として国に仕える道を選んだ。だから暫く顔を合わさぬままに離別をしてしまったのだけれど、郁人はかれならきっと、きみらしいねと微笑んでくれるような気がしていた。

「だから、心配はない。そう思いたいんだけど…」

トーストを食べ終えた郁人が、少し冷めたコーヒーを飲み干す。遠い目をした横顔に目をやった。かれらしくもない憂慮の表情は、なにかぞくりとするものを孕んでいて洸は人知れず首を振った。手を伸ばして、それを掃うように郁人の髪をぐしゃぐしゃと撫でる。驚いて顔を上げた郁人の目には、仏頂面で窓のそとを眺める洸の顔が映った。

「はっきり言えよ。お前らしくもない」
「…不自然なんだ。さっきも言った通り山の国は何度も海の国にちょっかいを出している。海の国は毎回それに対抗していたけれど、最近はそれがない。何も聞こえてこない」

何もかもお見通しだ、という顔をするのは、なにも郁人に限ったことではない。この幼馴染もまた、こうしてお見通しだというふうに一人前の顔をする。いつも郁人の話をきらきらした目で聞いていた可愛らしい洸はどこかへいってしまったらしかった。なんとなくくやしいので、言いながら郁人は洸が腰かけた机を引っ張る。落ちかけた洸に軽く殴られた。

「きのう、お前が駆けずりまわってる間にラインハルトが来て、おれとお茶をしてたんだが」
「そういう、どうでもいいところはいいから」

きのう、というと、ちょうどかれに命ぜられるままに今日の仕事である貿易商人について探っていたのを思い出す。郁人の言葉、即ち依頼書どおりかれらは魔石の商人だった。海の国で加工されたものを、森の国へ再度輸出する。魔導関係では最も優れている海の国の、主だった産業である。金になるそれが盗賊に狙われるという話は本当だろう。
ラインハルトが食事をする姿というのはなかなか洸には想像が出来ないのだが、話を聞く限りかれはものを食べるし飲むそうだ。最初郁人にそれを聞いたときには、思わず笑ってしまったのだけれどおまえはかれを何だと思ってたんだと郁人に苦笑いをされただけだった。

「ラドルフは想像通り、裏で魔石の取引をしてた。その相手は海の国だったらしい」
「…あれだけ権力があったのも金持ってたのも、そんな危ない道渡ってたからかよ」わしゃわしゃと両手で郁人の頭を挟んで掻き混ぜながら、洸は話半分でそれを聞く。実のところ洸に経緯は関係がない。結果と、郁人がどうしたいのか、それだけわかればそれでよかった。

「もともと政府の方でも、魔の森の奥のほうで取れた大きな魔石がたびたびなくなっていることには気付いていたそうだ。それが海の国に流れてるかもってことで、酷い騒ぎになっている」

郁人はきいているのか?と胡散臭そうな顔で洸を見る。これはもう、聞いていないというのを150パーセント了承した顔だね。付き合いの長い洸にはよくわかる。

「凪は軍のやつらに傀儡にされるようなやつじゃないし、騎士団もついてる。…だからこそ、なんていうか、いやな予感がして」

ラインハルトはどうしてこんな場末の探偵に重要な機密を喋るのだろうか、とふいに洸は気になった。尋ねてみると、ああ、と郁人は微かに笑みを見せる。

「警察は上層がもうだめだから、外部であるおれたちを頼るしかないみたい。むこうの内情にもくわしいし」
「ああ、なるほど…、って、内情にもくわしいってどういうことだよ」
「おれが須王院家だってバレてた」

てへ、という擬音をつけるのが正しいと思ってしまうような笑顔でもって、郁人はそんなことをいった。隠しているつもりはなかったが、こちらから正体を明かすような行動を取ったことは一切ない。追手がここまで来たら面倒だし、国内ならばともかく隣国の重役の息子の名まで知っているような人間は、少なくともこの街にはいないはずだったからだ。

「だああ、なんでそんな大事なことを黙ってるんだおまえは!」
「大事なことってなんだ。そんなに大事なことか?」
「めんどくさいことに巻き込まれたらどうするんだよ!ましてや向こうに戻って色々調べろとかいわれたら、」

そこまでいって、洸は盛大な過ちに気付いた。ぱああっと見てわかるくらいにテンションを上げた郁人が、勢いよく洸の肩を掴む。続く言葉が想像できて、洸は自分がふかいふかい墓穴を掘ったのを悟った。

「すごく探偵っぽいじゃないか!」

こいつがこういうやつだっていうことを、すっかり忘れていた。今の一言は内心の呟きにしておかなければなかった。しかし覆水盆に返らず、とはよくやったものである。とたんはきはきと動き出した郁人を見て、洸は項垂れることしかできなかった。







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