main のコピー | ナノ
8



掌の下で指通りのいい亜麻色の髪を弄びながら、洸はこの小さな事務所でもっとも「それらしさ」を保っている大きな樫造りの机に腰掛けてぼんやりと窓のそとを眺めていた。時刻は昼を少し回ったあたり、万年自由業といえどもそろそろ人間的な活動をしなければいけない時間帯である。

あの一件以降、僅かではあったが依頼客が増えた。それらは大抵モニカの父本人と繋がりのあるものであったので、それなりに金払いがいい。身体二つと剣二振りくらいしか持ち物を持たない二人にとって、金が入ることはなによりの慶事であった。

だがしかし、その依頼は郁人の望む探偵業からはかけ離れている。最近山の国との国境から流れ込んでいるらしい傭兵団を蹴散らすことやら、たちのわるいごろつきを片付けることやら、間違いなく用心棒と勘違いされていた。郁人は少々不服そうだったが金が入るのならば洸はなんら不満がない。郁人よりましとはいっても洸だとていっとう上級な騎士の家の子だ、家計のやりくりなど得意であるわけがなかった。それでもなんとかこの数年を郁人を養って(立場的には逆なのだろうけれど)いるだけあって、かれの金銭感覚はなかなかにシビアである。

ひとまずこの間モニカの父から入った報酬で溜まっていたツケを返した。食事もアルメリカと話を聞いたジーンが何やかにやと世話を焼いてくれるので問題はない。

いたって平和だった。

「郁人」
「…」
「郁人、そろそろ起きろ」

先ほど自室から起きてきた郁人が、寝ぼけたままこの大きな机の前に座り、洸がコーヒーでも飲むかと声をかけるより前に爆睡してから、すでに数時間経っている。
このどうしようもない男がゴーイングマイウェイであることなどとうに洸は悟っていたが、いまは仕事を何も抱えていないわけではない。今日だって国境付近での貿易商人たちの護衛という大層な依頼があるのだ。

「ったく、聞いてるのか」

それでも黙って頭を撫で続けているだけなのは、洸が自覚があるほど郁人に甘いからに他ならない。洸はこの、どこかだいぶ大事なところが抜けている幼馴染が、大切でたまらないのだ。ぐずぐずの砂糖漬けみたいに甘やかしているわけではないが、もうすこし大きくでてもいいという自覚はある。それでもこうやって甘んじているものだから唐辛子入りカフェオレなんて淹れられるのだけれど洸にそこまで気は回らなかった。

僅かに腕の間から覗く滑らかな頬に亜麻色の毛先が散る。伏せられた睫毛も同じ亜麻色をしていた。昔から、特に子供のころは少女と間違えられるような風体をしていた郁人だったけれど、今は滅多に女性と勘違いされることはない。それでいて綺麗という形容詞が自然と浮かんでくるような、とにかく底目立ちをする顔立ちだ。見慣れている洸はいまさらそれになにも思わないけれど、町ではかれと目が合うだけできゃあきゃあと赤くなる娘たちが山ほどいるのを知っている。中味を教えてやりたいくらいだ。

「朝飯はスコーンとトーストどっちがいい」
「トースト…」
「おう」

食べ物の名前にぴくりと手のひらの下で頭が動いた。掠れた声が吐き出した名前に頷いて、最後にもうひとつ郁人の頭を撫でて立ち上がる。

パン屋の窯で使われていたのよりもっともっと小さな魔石で作られたトースターにパンを二枚突っ込む。再び郁人が寝入る前にと慌てて湯を沸かし、コーヒーを淹れた。助手業が板についてきたな、なんて郁人はいつも笑うのだけれど、助手は探偵に食事を作ったりしてやらなければならないものなのだろうか。なんとなく郁人が夢中になる本への反発もあってカイン冒険譚を読んでいない洸にはわからない。

洸はあまり本が好きではなかった。勉強嫌いだというのもあるが、なんとなく、それは昔から郁人をとってしまう脅威のように感じられていたのである。子供心はなかなかに複雑だ。今思い出してもなんとなく複雑なのだから、当時はもっと複雑だったのだろうと洸はそんなことを思っている。

「おはよう」
「オハヨ。寝るならベッドで寝ればいいのに」
「…なんでベッドにいないのか、わからない」
「そうかよ…」

なんて考えていたら、郁人がついに食べ物の名前以外を喋った。振り向いて、その頬にくっきりとついた腕の痕を見ながら洸は苦笑いをする。コーヒーをかれのまえへ出すと、眠そうな声でありがとうと聞こえた。口元が緩むのを自覚しながら、洸はなんとなくトーストが焼けるのをトースターの前で待った。郁人がコーヒーカップを置く音がかすかに聞こえる。

「今日は海の国との国境付近にある貿易商人の護衛だったな。…近頃はあんまり治安がよくないみたいだけど、どうしたんだろ」
「ああ、向こう、ピリピリしてるみたいだよな。何かあったのか」
「こことはあんまり関係ないだろうけど、山の国となにか揉めたのかもな」

眠そうな目を擦って、郁人は手元の依頼書を読んでいるらしい。そういえば今回は物珍しいことに、かれがどこかから勝手に受けてきた依頼だった。あまり詳しく洸は把握していないが、まあ問題はないだろう。

チン、と間抜けな音を立てて止まったトースターからパンを取り出して皿に乗せた。郁人にはシンプルにバターを。自分の分には、マーガレットジャムを乗せる。昔からメイドに可愛がられていた(そりゃあもうなんというか、おひいさまと影で呼ばれてたくらいに)郁人が与えられた菓子類のおこぼれを預かってきたせいで洸は甘党なのだが郁人はそうでもない。見た目と育ちに似合わず、郁人は何でも食べた。食事を作る方としてはありがたいのだけれど、こいつほっといたら落ちてるものでも食うかもしれん、という恐怖はつねに洸に付きまとっている。

「むこう、けっこうヤバいんだろ?傭兵団がかなり蔓延ってるらしい」
「軍部はおろか政治にもかなり侵食しているらしいしな。あそこは資源がすくないから、そうなるのも仕方ないんだろうけど」

トーストに齧りつきながら、郁人は今日の天気について話すようにして隣国の緊迫した政治状況を語る。重い腰をしている割に何でも知っているのは、見回りのついでと称してはこの事務所にやってくるラインハルトやら持ち前の王子様フェイスで虜にした近所のおばさんやらからの噂話なんだろうと洸には想像がついた。むかしから、こうだ。どこか人を惹きつけてやまないところが郁人にはある。

それらを繋ぎ合わせて繋ぎ目は自分の持論でカバーして、郁人はいとも簡単に状況を整理して洸にそれらを説明する。むかし、郁人がまだ帝都学校に通っておらず洸が騎士学校の新米だったころ、学校でちょっとした事件があった。それを邸宅で読書している郁人に話したところ、いとも簡単にそれらの全貌を、間近で見ていた洸よりずっと正確に理路整然と説明されたことがある。そのころから変わらないそのかれの脳みその回転の速さというものは、むかしから洸にとっていっそ諦めにもにた尊敬の対象だった。





top main
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -