main のコピー | ナノ
愛惜カタルシス




「なァ、悠里」

耳朶を震わせる、甘い甘い笑い声。

後ろから腰に回された長い腕が、いともたやすく悠里を攫って引き寄せる。どん、と胸に当たってよろめいたその身体を危な気なく抱え止め、雅臣は悠里の耳元でくつくつと笑った。隠す心算のない好意は押し付けられることもなく、ただ漠然とばらまかれるだけだから余計にたちがわるい。ざわめく会議室で、悠里は意識して低い声で唸った。

「離せ、雅臣」

各委員長を集めた定例会議のこと。生徒会と権力を二分する風紀委員長がこうして生徒会長に構うのは、なにも今に始まったことではない。雅臣が悠里と廊下で出くわすたびに腰を抱いたり肩を抱き寄せたりしてまわりを賑わせているのはここにいる人間の間でも周知の事実であった。

「んー」

今回も、会議が終わってすぐのこのアプローチである。会議室にはほとんどの人間が残っていた。悠里にはまだ、個別に指示を出さなければならないことも残っている。氷の生徒会長は雅臣のこのいっそ潔いほどむき出しの好意にもその態度を変えなかったが、僅かにかれの表情が困惑の色を呈すのを、短くない付き合いの生徒会のメンバーたちは気づいていた。喉のおくでそう肯定とも否定ともとれる返事をして、雅臣は悠里の髪を指先で掬う。

「あれ、悠里シャンプー替えた?」
「…うるさいだまれ」

一向に気にした気配のない雅臣の表情は、ぐずぐずの甘い笑みに蕩けている。悠里に嫌がられるのが楽しくて楽しくてたまらない、とでもいうような顔だった。

「会長は忙しそうだから僕から説明するね」
「お、気が利くじゃん。じゃ、悠里借りるわ」

曖昧な笑みとともにそんなことを言ったのは、キラキラ王子様然とした生徒会の副会長である。雅臣に絡まれている悠里から必要な話を聞くに聞けず、立ち往生していた委員長たちにてきぱきと指示を出した。長い腕に絡め取られている悠里を見て、にっこりと笑っている。

「どうぞどうぞ。ごゆっくり」

こちらも悠里とは柊を挟んで恋敵であるわけで、雅臣の存在は願ってもないものであるようだった。そうしてあっさりと悠里を売り渡すと、腕のなかから逃れようと藻掻いている悠里ごと雅臣を会議室から追い出そうとする。

「大丈夫だよ悠里。柊にはちょっと席を外してるっていっとくからさ」
「巫山戯るな。俺には仕事があるんだ」

雅臣の腕のなかで悠里が低く唸っても、まわりは既にどうやって柊がくる前に邪魔者を排除しようかと考えを巡らせるのに精一杯で取り合ってくれなかった。腰に回った片腕をなんとか外そうと爪を立てたり足の小指を踏んだりしても、雅臣は喉の奥で愉快そうに笑うだけ。

「離せ、雅臣…!」
「やーだ」

小声でそう叱責しても雅臣に取り合う気はなさそうだった。いまは生徒会のみならず各委員長の目まであるのに、いつまでも男に抱きしめられているのはきまりがわるい。かといって悠里の腕力では、雅臣のこの腕をどうにかするのは無理だ。

「ひ、ひとがいっぱい居るだろうが!」
「人前じゃなきゃいいの?じゃあ俺張り切っちゃおっかな」
「そんなこと言ってねえ!」

ごくごく小声で悠里が雅臣に訴えても、自分に都合のいいように解釈したかれは満面の笑みを浮かべて悠里の髪に鼻先を埋めただけだった。音を立てて額の端にキスをする。困り顔を皆がいるまえで浮かべることも出来ず、悠里は冷たい表情を保つのにひどく苦労をした。

「ほら会長、諦めて人身御供に出されなよ」
「…仲間を売り渡しやがって」
「悪いな、悠里。俺たちは仲間である前にライバルなんだよ」

書記と庶務に一緒になっていわれて悠里は傷心だ。耳元で押し殺した低い笑い声を立てる雅臣に、ぞくりと背筋が震える。

「じゃ、お言葉に甘えて」
「っ、いいかげんに……!」

悠里のおとがいに手をかけた雅臣が、鼻先が触れ合う距離まで顔を近付けた。周囲から痛いくらいの視線を感じ、そして密着した身体の熱と吐息の熱さに悠里は息が出来なくなった。

もともと目立つことが得意でない上に男に迫られる耐性などゼロな悠里にとって、この状況は大変に危機的である。いちどトイレに篭ってマニュアルを読み直さなければ平然とした顔などできそうにない。

「悠里もう仕事ないだろ?」

ふいに耳元に吹き込まれたのは、存外に優しい声だった。恐る恐るひとつ小さく頷けば、悠里の見かけよりも細い腰から雅臣が腕をほどく。

「じゃ、ちょっと悠里借りるな」
「ハイハイ。いちゃいちゃするなら他所でやってよね」
「うるせえ。風紀の話だ」

と、平然と嘘をついて。なんとか冷徹な氷の仮面をかぶり直した悠里が、いかにも『全然動揺してません』といった顔をして雅臣よりさきに会議室を出る。

続いてその背中を追った雅臣が、それはそれは楽しそうな顔をして副会長以下、残っている生徒会に声をかけた。

「柊ちゃんに、よろしく」

ばたん、と扉を閉める。そして雅臣は、目の前で仁王立ちしている悠里にへらりと笑みを向けた。氷の生徒会長でいなければならない空間から出て、ついにかれはその仮面を取り落としたようである。

「ごめんごめん。あんまりに反応がかわいいんで、つい」
「ついじゃねえよ!このドアホ!セクハラ魔人!」

迫力のたらない顔で怒られて、雅臣は頬を笑み崩す。歩き出した雅臣からしっかり距離をとってそれに続いた悠里は、はあ、と長く細い息を吐いた。

「何の用だよ」
「今日の食堂の特別メニューうまそうなんだよ。一緒に行こ」
「…メニューは?」
「釜焼きピザとスパゲッティだって」
「奢れよ」
「はいはい」

…そのあと最近の風紀の話を聞きながら食堂でピザを食べていたら、血相を変えて走り寄ってきた柊に警戒心がたりない!と悠里が怒鳴られたのは言うまでもない。




top main
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -