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「スグリ」

獣道になっている場所をとおったり、茂る蔦のしたを潜ったり。ゆっくりと進むから負担はなかったけれど身体の弱いスグリにとって初めての体験の繰り返しだったこのみちゆきは、唐突に終わりを告げた。眼前には、穴のあいた巨木がどかりと横たわっている。

足を止めたシルヴァの背中に頭をぶつけたら、喉の奥でシルヴァが笑ってスグリを呼んだ。やわらかい声だ。額を擦りながら手が繋がる先のシルヴァを見上げれば、スグリの視線に気付いたシルヴァのもう一方の手が伸びてくる。かれの手がスグリの肩を掴み、そしてそっとスグリを前へと押しやった。

この洞を、潜れということだろうか。かれにされるがままに膝をつき、ゆっくりとスグリは進む。後ろからシルヴァがつづく気配がした。草のにおいと、森のにおいと、それからとおくに獣のいななき。どれもがスグリの日常には縁遠く、スグリの胸は高鳴る。

「…!!」

思ったより長かった巨木の洞を抜け、その開けた視界のさきに広がる景色に、スグリは絶句した。

そこはとても、うつくしい場所だった。色とりどりの花が咲き乱れた先には、湧水だろうか。小さな小川のはじまりの場所があり、その傍には小鳥が囀りながら戯れている。スグリが足を進めるのを躊躇ってしまうくらいには、そこはどこか神聖さを感じさせるほどにうつくしく秘密めいた空間だった。碧の目を見開いたスグリに、うれしそうにシルヴァが笑う。それからスグリの手を掴み、ゆっくりとその空間へとスグリを連れて進んだ。小鳥たちが羽ばたいていく。花の香りばかりがつよい。けれど不快ではないその芳香に、スグリは思わずおおきく深呼吸をした。

「スグリ」

どう?とでも言いたげに、シルヴァは誇らしげな顔をする。せせらぐ湧水のそばまで足を進めると、岩のひとつにスグリを座らせた。シルヴァの大きな掌が水を掬い取って口元へと運ぶ。それを見よう見まねで真似て、スグリもその清流の水を口にした。つめたくて、とてもおいしい。ぱあっと顔を輝かせたスグリを見て、シルヴァもほっとしたようだった。濡れた掌でスグリのほおにふれる。笑ったままのスグリがきょとんとした眼で見返せば、その指先がとんとん、とその笑ったほおを叩いた。

…わらった。

かれの言いたいことが驚くほどに伝わって、スグリはすこしびっくりする。かれの唇が紡いだのはスグリにはわからない言葉だった。だけれど、かれのことばはひどくすんなりとスグリの胸に落ちてくる。

シルヴァは、スグリが笑ったことを、うれしいと思ってくれたのだ。そういえば目覚めてからこんなふうに満面に笑みを浮かべたのは初めてだったかもしれない。笑み崩したスグリの表情を見て目を細めたシルヴァに、スグリは胸が詰まった。かれはスグリを強引にムラから連れ攫って来た人間で、そして他の女たちを妻にした男たちに指示をする立場であった。だけれどスグリは、かれを憎むことなど出来そうにない。あるのはただどこか甘いくらいのかれを慕う気持ちだけで、自分でもそれに少し驚いた。

言葉のかわりに、笑顔でそれに応える。そばにたくさんある木に手を伸ばし、小さく可憐な花がいくつもついた枝を折ってスグリに手渡したシルヴァが、今度は足下の花々を指差した。軽く頷いて、花冠を作るのにちょうどよいくらいの長さでスグリも花を集め出す。それからそばに山ほど生い茂っていた蔦にも手を伸ばした。見たところ籠なんてなかったから、作ってやったらきっとびっくりするだろう、なんて思いながら。

「?」

蔦を集め出したスグリに訝しげな顔をしたシルヴァが、それでも寄ってきて手伝ってくれた。シルヴァのほうがずっと背が高いから、ゆうゆうと高い所で蔦を取って手渡してくれる。なんとなく憮然としたものを感じながら、背伸びをして対抗した。シルヴァが笑う。

思えばスグリを、こんなふうに外の世界に連れ出してくれた人はいなかった。身体の弱いスグリはいつもムラのなかでひたすらに花冠を編み、籠を編み、そうやって女たちのなかにぽつんと混ざって生きてきたのだ。だからとても新鮮だった。スグリの腕を引き知らない世界へと連れていってくれるシルヴァの傍は、ひどく居心地がいい。…それにくわえて、もしスグリが倒れてもシルヴァが連れて帰ってくれるだろうと、そんな確信があるせいだろう、知らない世界への不安なんて、ひとつもなかった。心配性のスグリからすれば、とても珍しいことである。

シルヴァ。異族の男の名を口の中で呟いて、スグリはかれが手渡してくれた花の香りをかいだ。甘さよりもさわやかさが目立つその香りが心地よい。枝の先についた淡い桃色の花を興味深く見ていると、シルヴァがスグリの手元を覗きこむ。深紅の髪が目の前で揺れて僅かな音を立てた。なんとなくその結び目に違う花をぷすり、と差してやればシルヴァが目を丸くして頭に手をやる。赤い髪に白い花がよく映えた。スグリが笑っていると、シルヴァもつられて目を細めて口端を上げる。

「…スグリ」

見ていて、とでもいうふうにスグリの名を呼んでから、シルヴァが立ち上がって傍の木に手を伸ばす。先ほどこの花の枝を折ったのとはまた違う木だ。伸ばされた彼の手は、赤くて丸い木の実をもいで戻ってきた。身を乗り出したスグリにそれを手渡して、シルヴァはもうひとつそれを手に取る。ずっしりと重いその実はスグリのムラでは見たことのないものだった。先ほどの花と同じ、さわやかないい匂いがする。シルヴァがくれたスグリの『未知』は、赤くつやつやとスグリを誘った。




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