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blood water




指先でちょいちょいと目の前の相手を挑発しながら、洸は延び過ぎたきらいのある髪をぐしゃりと掻き上げた。髪を結えるゴムが切れてしまったせいで、襟足が鬱陶しくてしょうがない。かといって同居人に切らせては大変なことになるのは実験済みであるが、床屋へいくのも面倒くさい。ということで、今しばらくは後ろ髪を伸ばし続けることになりそうである。

「まとめてかかれ、囲め、潰せ!」

咽喉を嗄らして叫んでいるのは、洸とは父親ほどに年の離れた男だった。直刃の剣を掲げて唾を飛ばしている。それに従って、挑発を受けていた相手が五人、まとめて飛びかかってきた。一閃。

肩のところを軽く拳で叩きながら、洸は右のつま先で蹴り上げた小石を左足で思いっきりシュートした。先ほどの指揮官の腹にめり込んだそれに、相手が噎せるのを小気味よさそうに眺める。しかし鬱陶しい後ろ髪をどうしようか、もう一度洸は悩んだ。思い切ってあいつに切らせてみようか、いいや外を歩けなくなるのは困る、考えながら峰を返した剣で目の前に倒れて唸っている男をつんつんと突っつく。返事はなかった。それどころではないらしい。

「依頼は達成ってことでいいか?帰っていい?」
「…」
「…あの。聞いてる?」

呆けたように座り込んでいる依頼人を、洸は肩を竦めて振り返った。確か指揮官を倒せとか縛り上げて警吏に突き出せとか、そこまで細かい指示は出ていなかったはずである。わざわざこんな辺境くんだりまで赴いたわりに簡単な仕事だった、と思いながら、洸はかるく剣を拭いて鞘に落とし込む。

「…あ、あんた、探偵じゃなかったのか?」
「あー、違う違う。俺は助手。探偵は留守番」

先の事件(というよりは、政変)で大怪我を負った郁人は首都・アリアにある事務所に置いて来ている。世話はアルメリカに頼んであるから、きっと郁人が無理をしようとしたら平手の一発や二発かましてくれるだろう。

「あれが首謀者であっちがアンタの息子が雇った暗殺者だ。…正しかったのは義理の息子ってことだな」

郁人に与えられたメモを読み上げながら、洸は交通網を駆使しても丸一日ほどかかる距離にいるかれのことを思った。ちゃんと大人しくしているだろうか。正直なところ自信がない。あれが好奇心と行動力の塊であることなど、とっくに洸は知っていた。おれも連れてけ!と駄々をこねたかれを見ていれば、こっそり後発の汽車に乗ってついてきていることすら考えなければならないくらいだ。

「ありがたい名探偵さまからのお言葉だ。…血は水よりも濃いなんてのはうそ、だってよ」

その下には血の主成分は水であり、むしろ海水に近いことが書いてある。洸にはあまり興味がない。塩分の割合的にはたしかに水より血のほうが濃さそうだけれど、そういうことはわりとどうでもいいらしい。どうせ適当に書いたんだろう、と思ったその文言は、依頼人の肩を震わせて泣き崩れさせるに足るるものだったようでちょっとばかり驚いた。

遺産目当ての暗殺。よくありそうなことだ。犯人候補は遅く生まれた実の息子と、かれが生まれるよりさきに養子に来た青年。郁人は最初から実の息子が怪しいと踏んで洸に調査を命じていたから、かれの思惑は正しかったことになる。怪我のせいで普段よりもずっと出不精になっている郁人の瞳は、どうやら山をふたつ越えたさきの豪邸のことまで見通せるようだった。

「…ありがとうございました」

ぽつり、と男が呟いた言葉に、洸は目を細める。郁人の求める謎は、今回もどこにもなかった。けれどそのおかげでひと組の親子の絆が結ばれ直されたのなら、きっとかれも喜ぶだろう。父という存在のせいで家を出ねばならなかった郁人にとっては、格別の想いがあるに違いない。

洸の父はもういない。だから、郁人がいつか父と和解できたらいい、と思う。洸の母となり父となるように手を引いてくれたのは、いつも郁人だったから。年の離れた厳格な兄と、少し年上のやさしい次兄。かれらに甘えて負担にならずに済んだのは、郁人のおかげだった。

「伝えとく」
「…いいえ、あなたにも」

ありがとう、と男は繰り返す。いやな気はしなかった。

「…な、この街の特産品ってなに?」

気分がいいので、郁人や隣人に土産を買っていってやろうと思う。匂い立つようなブドウを箱で贈られて辟易をしながら、洸はきっとたった三日でゴミ溜めのようになっているに違いない事務所兼自宅を思って僅かに苦笑いをした。アルメリカもいっしょになって散らかしているにちがいない。退屈を持て余した名探偵さまが何をしでかしているのか、想像するだけでワクワクした。そんな自分にため息をつく。

丁寧に頭を下げた依頼人とその義理の息子を微笑ましく見て、洸は恰好をつけて片手だけ上げて応じた。そうして向かった駅の改札のまえで地図を片手にきょろきょろしている少女と目を輝かせている幼馴染がいるのを発見し、洸が駆け寄って思いっきりその頬を引っ張ったのは言うまでもない。






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