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空は青く高かった。
矢筒と小ぶりの弓を背負ったシルヴァのせなかに半ば隠れるようにしながら、人気のないムラをゆく。ときおり低い話声が聞こえるのと、それから窓のむこうから感じるのは悪意のない視線だった。どちらかといえば好奇にちかいそれに、なんとなくスグリは気遅れをする。やっぱりシルヴァはこのムラのなかでも異色の存在なのだ、と感じた。こんなふうに連れてきたスグリのムラの人間を扱うのは、きっとシルヴァだけなのだろう。
そういえば、と気付いて、スグリはひとつそんなシルヴァに尋ねてみた。腕を軽く引くと振り返ってくれるシルヴァに、ひとつ人差し指を立てて。
「…?」
自分を指差し、スグリの家を指差す。それからまだ高い太陽を差し、それを今度はそれをぐるりと回転させた。スグリがこの集落に連れてこられたあの晩から、…姉の婚礼の儀から何日が経ったのか、気になっていたのだ。どれだけの間スグリが眠っていたのか。その間に、ほかの皆や残されたムラの人間はどうしているのか。シルヴァならきっと教えてくれるのだろう、という確信が、スグリのなかにあったというのもある。
少し考えた素振りをみせて、それから得心がいったように顔を上げたシルヴァがてのひらをスグリに向けた。指の数は五、つまり五日、ということだろうか。記録更新だ。たしかにあの頭痛は半端なものではなかったな、なんて思いながら、スグリは苦笑いをする。心配そうな顔になったシルヴァに額をまさぐられて、思わず肩をすぼませた。
大丈夫だよ、といいたくて、伝わらないことがひどくもどかしい。
「シルヴァ、」
かれの名前を呼んで、スグリは額を撫でたシルヴァの手をやんわりと外した。それから平気だというふうに両手を広げてみせる。ようやっと安心したように頷いてから再び歩き出したシルヴァの背を追いながら、スグリは左右を振り仰いだ。
家の数がとても多い。シルヴァの家のように大きな家はほかには見あたらなかったが、スグリたちのムラより圧倒的に沢山の建物があった。
もしかしたら、と思う。スグリたちのように、家族でひとつの家に暮らしてはいないのかも。スグリたちは作物を得て生活をするから、家族は何をするにしてもひとつの単位だった。だけれどかれらは狩猟が生活の中心であるようだから、そういった風習がないのかもしれない。それならばこの家の多さも頷けた。シルヴァがひとりであの家に住んでいるわけも。
「…あれ」
シルヴァはムラのそとへと続く門のまえで立ち止った。そこでスグリの顔を覗きこむ。ムラへ帰してくれるのだろうか、と思ったスグリの期待を含んだ視線に気付いたものか、僅かにその淡い栗色をした瞳を細めた。スグリよりずいぶん大きな掌でもって、スグリの頬をするりと撫でる。思わず身を竦ませたスグリの手のひらを掴み、かれはゆっくりと歩き出した。
「…し、シルヴァ?」
ムラのそとの道は二つに分かれていた。ひとつは山を下る道。そしてもうひとつは、さらに山の上へと昇っていく道だ。シルヴァが向かったのは、スグリのムラがあるほうの、山を下る道ではなかった。さらにまたこの山の上へと、スグリを連れて向かおうというらしい。どこに連れて行かれるのか、スグリは困った顔で左右を振り仰いだ。うっそうと茂る森の間にあるのは獣道だけで、狩りの経験が皆無に等しいスグリにとっては普段歩いたことのないような道がひたすらに続いている。
大丈夫だ、というふうに振り返ったシルヴァの目元が綻ぶ。それだけでなんとなく反論する気をなくしてしまって、スグリは諾々とそれに従った。獣の跳ねる気配が遠くでする。がさりと草木が音を立てるたびに大仰に驚くスグリをシルヴァはくつくつと笑った。それが、ムラでたびたびスグリが浴びてきた狩りに行けないことを嘲るようないやな笑いでないことに、スグリはすこし驚く。…まあ、たしかに。きっとシルヴァは狩りもとても上手いのだろうから、スグリが狩りを出来なくてもなんら問題はないのだろうけれど。
狩りへといくのだろうか。シルヴァが背負った弓矢を見ながら、スグリはそんなことを考える。スグリの身体では野山を軽々走り回るなんてことは出来ない。けれどそれをシルヴァに伝える術も持たぬしで、すこし不安になった。せっかくようやく目を覚ましたのにまた熱を出して寝込んだのではあまりにシルヴァに申し訳がない。勝手に連れて来られた身でこんなことを考えるのはちょっとおかしいと、自分でも分かってはいたけれど。
けれどシルヴァは、ゆっくりと獣道を進むだけだった。時折スグリを振り向きながら、兎が跳ねても鹿が見えても追おうという気配を見せないでいる。どこに行くんだろう、と思いながら、スグリはそれとなく周囲を見回した。広がる森と近くなる雲は明らかにスグリが知らない世界へと足を踏み入れていることを示している。むしょうにドキドキしながら、それを楽しんでいる自分にスグリが気付くまで、時間はかからなかった。