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酔夢メランコリア





悠里が薄っすらと目を開けると、やわらかく冷たい風がほおを撫でていく気配がした。それから遠くで、運動部だろう掛け声がする。カラスの鳴き声も漏れ聞こえて、なんだか昼寝でもしているような気分だった。なんで寝ていたんだっけ、という思考はすぐに、もうすこし寝ていたい、と甘だるく訴えかけてくる身体に強制終了させられる。

「まだ寝るか?」

やわらかく声が掛けられた。半覚醒の悠里はそれが誰の声なのか考える間もなく頷いている。うすく開けた瞼では、自分がどこにいるのかも判別することはできない。視線を彷徨わせるとゆっくり、誰かの手が優しく悠里の頬をくすぐった。ひとの体温にとろんとまぶたがとろけていく。カーテンがそばにあるのだろう、僅かにそれがたなびく音がした。投げ出した足や腕を覆うのは、温かい掛布。どれも再び悠里を眠りの淵に沈めるに十分すぎる材料だ。

「おやすみ」

笑いを含んだ柔らかな声が、耳元で囀った。その声には悠里をどろどろに甘やかすような、そんなやさしさばかりが含まれている気配がする。それがよけい、悠里の睡眠を促進させた。枕にしては固いものが頭のしたに敷かれている。ひとつ寝返りを打ち、悠里はうん、とのどの奥で返事をして睡魔の手をつかむ。

次に目を開けたのは、どれだけ時間が経ってからだったろうか。ぼんやりと悠里が瞼を開けると視界が薄暗い夕刻の灰に染まっているから、多分それなりに時間が過ぎたのだろうと考える。考えられるくらいには、悠里の眠気もなりを潜めていた。
そんな悠里の黒い髪に、眠りにつく前やらかく頬をくすぐった手ゆびがくしゃくしゃと割りはいった。ぱちぱち悠里がまばたきをする。この手は、いったい誰の手だろう。ていうかなんで寝てたんだっけ。そう考えたところで、思うさま悠里の髪を掻き混ぜた手が離れていく。

「そろそろ施錠する時間だぞ」
「…せじょう」
「はは、よだれたれてる」
「…まじ?」
「うそ」

悠里がごろんと寝返りを打つと、手の主と目が合った。よく知っている人間だ。だけれどなにか違和感があるような。

…それで、俺はなんで寝てたんだ?よく知っている人間の顔とあのてのひらと悠里が寝ているわけを結びつけるのにすこし時間がかかる。

「…ひいらぎ?」
「ん」

こんどは柊の指が、さらりとまぶたのうえに零れてきた前髪を掻き分けた。

顔の位置を鑑みるに、どうやら悠里の頭はかれの膝の上に乗っているらしい。そうか、俺は柊にひざまくらしてもらってるのか…、と、ひどく暢気に悠里は考えた。

考えてから自分の辿り着いた結論に驚いて慌てて身体をばたつかせる。なんとかそばに肘をついて起き上がれば、自分がソファに寝ていたこと、柊がそんな自分に快く膝を貸していたこと、それでもってさきほど柊に感じた違和感が、かれが眼鏡をしていることに由来していることに気づく。あれは悠里の眼鏡だ。

「寝てた…」
「他のやつらもいないし、別にいいだろ」

ゆっくりと記憶が戻ってくる。たしか今日も柊が生徒会室に遊びに来がてら仕事を手伝ってくれて、そうしたら柊ラブの生徒会メンバーがだれが柊に相応しいかで揉め出して、怒った柊に追い出されてしまったのだ。結果、口を挟むより差し入れのプリンを選択した悠里だけが残ってかれといっしょになんとなく先の仕事を片付けていたはずである。

多分その途中、悠里はすっかり眠りこけてしまったのだろう。悠里をソファに運んだのも掛布をかけてくれたのも、じっと膝を貸してくれたのも柊だ。ついでに眼鏡もはずしておいてくれたらしい。

「眼鏡似合うな。かわいい」
「かわいいとかいうな」
「じゃあかっこいい」
「よろしい」

時刻は七時を回っていた。暗くなるのも当然だ。寝ぼけ気味の頭をソファの背凭れに委ねて、悠里は緩慢に柊を向く。

「ねむたい…」
「背負ってってやろうか」
「だめだろ…見られたらどうする」

そのままぐらりと傾いだ悠里の頭はずるずると背凭れを滑り、結局ブレザーに包まれた柊の肩に収まった。ふたたび蕩けかけた瞼を気合いで開き続けながら、悠里は柊の肩にぐりぐりと額を押し付けた。ねむたい。まだ寝足りない、と身体が訴えかけてくる。昨日暑くて明け方近くまで寝付けなかったのが原因だろう。

「悠里、やめろって。ほら、鍵閉めて行くぞ」
「柊つめたい…」

邪険に肩ごと押しのけられて、悠里はますます柊に擦り寄った。眠りのなかのあたたかな羊水のような感覚が恋しい。眠りとひとの体温は、よく似ていると思う。ずるずる、睡魔が悠里の足首を掴んでふたたび甘美なる眠りに引きずりこもうとしてきた。

「ちょっとくらいいいだろ」
「だめだっての、寝ぼけんな」
「なんで」
「ムラムラする」
「ムラムラするのかー」

じゃあだめだな。むにゃむにゃと呟いて穏やかな寝息を立て出した悠里の頭を、柊は様々な怒りを込めてだいぶ強めに叩いてやった。






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