main のコピー | ナノ
10



薪をやり風呂を使わせてもらってさっぱりして、スグリはごそごそと貸し与えられた服に着替えながら少し自分の立場について考えた。サイズが小柄なスグリに合うから、本来ならここに迎えるはずだった攫ってきた女のためのものだとしれたその動物の皮で作られた服は、スグリたちのムラのものよりあたたかいがすこし動きにくい。

「あ、ありがと、シルヴァ」

濡れた髪をかるく拭いて部屋を出ると、ちょうどシルヴァが向かいの部屋から出てきたところだった。頭を下げれば頷いて今度はかれが風呂をつかうらしくそこへと入ってから、スグリはふたたび自分の危機感のなさにびっくりする。このまま玄関から走れば間違いなく逃げられるのにそうする気が起きないのはこの集落が恐ろしいからだろうかそれともシルヴァがやさしいからだろうか、おそらくどちらでもあるような気がしながら居間と思しき部屋へと向かった。

どうやらシルヴァはスグリが風呂を上がるまで剣の手入れをしていたらしい。ためしに机の上に置かれていた剣を手に取ると、スグリのムラのそれより幾分重かった。これを自在に振りまわすようなかれらに、スグリのムラの人間が勝てるわけもない。もともと弓で鹿や兎を得て僅かながらの肉を取る、基本的には育てた穀類を食べる部族であった。

…シルヴァは両手にスグリを抱えてきたものだから、せっかくわざわざ女を攫いにいったのに、それを手に入れることが出来なかった。だのにスグリには、こんなにやさしくしてくれる。それが警戒心をかれに抱けない理由でもあった。窓のそばににじり寄って外へと出てみればたくさんの家が立っていたけれど、出歩いているヒトは見受けられない。けれど耳を澄ませば、僅かに声が聞こえてきた。

「…帰して!ムラに帰してよ!」

スグリたちのことばでそんなことを叫ぶ女の声に、いたたまれなくなってスグリは黙りこむ。ほんとうなら彼女たちのようなか弱い女性こそがやさしいシルヴァのもとへと連れてこられればよかったのに、ここでのうのうと不安もなくただ少し混乱しているだけなのはスグリだ。…机の上の小さな敷布のうえには、そうっと先ほどシルヴァに与えた腕飾りが飾られている。かれが水を遣うわずかな音のなかで、スグリはなんともなしに椅子のうえで膝を抱えて小さくなった。

…姉や妹は、病床の父は元気だろうか。ムラも大きな被害がなければいいのだけれど。女性の声が聞こえなくなり沈黙に包まれて、ふいにスグリはそんなことを思う。スグリはシルヴァのことをその名とやさしいことしか知らないけれど、かれのそばに置かれる分には不安はなかった。シルヴァだってこんなに広い家でひとりで住んでいたら、きっとさみしい。

風呂に浸かって温まった膝頭に頬を押し当て、スグリはもういちどそっと窓のそとを窺った。広い空と遥か向こうに見える森に、ああここがあの山の上の集落なんだな、と思わずにはいられない。それに気付いても何が変わるわけでもなく手持無沙汰になって、スグリは椅子から立ち上がった。もう一度家のなかを見て回ろうと思ったのである。さきほどシルヴァが教えてくれた間取りを思い出しながら、スグリは居間を出て台所のほうへと行ってみることにした。

台所の傍にある小部屋には、えたいの知れない壺がたくさんある。手前にあった大きなそれの重しを苦労して外し、スグリは勇気を出してそれを覗いてみた。とたん襲った獣臭さに思わず噎せる。なかみは何らかの肉の塩漬けであった。…どうやらここはやはり、食糧を保存しておく場所のようだ。ほかにも怪しい匂いのする草が詰まった壺や木の実が入ったの、酒だと思われる液体が入っている甕なんかもある。こんなにたくさんの食糧をひとつの家で保存しておくことなんてスグリのムラでは考えられなくて、やはりつよい狩猟部族は違うんだなあとスグリは思わざるを得なかった。

けれど、スグリたちのほうが美味しい状態で保存しておく分には上であると密かに思う。肉の臭みを取るのにつかう薬草はあるのに本来の役目を果たせていなかったりするのを見ていると、なんとなくスグリはうずうずしてしまった。もうすこし余裕が出来たらシルヴァにここらを弄ってもいいか聞いてみよう、なんて思う。いつのまにかここで暮らす気でいた自分に呆れながら、スグリは今度は隣にある狩猟道具の置いてある部屋に入りこんだ。

やはり皮をなめしたりそれで何かを作るぶんには、スグリたちよりシルヴァたちのほうがずっと上だ。つやつやした毛皮が何枚も重なっているのを見て、スグリは思わず感嘆の吐息を漏らす。おそらくはイノシシだろうその見事な毛皮を手で撫でて感触を楽しんでいたら、ふいに大きな声がした。

「スグリ!」

シルヴァの声。気付いて慌てて立ち上がれば、部屋のまえをシルヴァが走っていくところに出くわす。スグリの姿を見て足を止めたシルヴァがふっと息を吐き、そのままスグリの頭を両手でぐしゃりと撫でた。大きなあたたかい掌はほっこりとあたたかく、スグリは湯上がりのにおいがするシルヴァにされるがままにまだ生乾きの髪を遊ばせる。

家のそとへでも行ったのだと思ったのだろうか。シルヴァは明らかに安堵していて、スグリはくすぐったい気分になる。この家のそとは、怖い。自分から出ていく気はやっぱりすこしもなかった。

大丈夫だよ、というふうに、ぽんぽんとシルヴァの背中を叩いてやる。濡れて解かれたかれの長い髪は燃え盛る紅蓮のように見事な紅で、それを指先で掬って目の前まで引っ張ってきて、スグリはそれとシルヴァの顔を見比べた。漸くスグリの髪をぐしゃぐしゃにするのをやめたシルヴァが、くすぐったそうにその毛束を取り返す。

それからなんとなく、並んで居間の方へ戻った。スグリが窓の傍のいすにすわると、シルヴァはなにやら薬草の匂いのする茶を淹れてくれる。ひと口啜ると思ったよりも甘くて、少し驚いた。

ありがとう、というふうにひとつ頭を下げて、スグリはその茶を呑みほした。シルヴァはじっとそれを見守っていたけれど、杯が空になったのを確かめてスグリを目で促して立ち上がる。諾々とそれに従って、かれのせなかへと続いた。

かれの濡れた髪が左右に揺れている。それが玄関をくぐり、家のそとへと出た。少しだけ戸惑ってから、スグリはかれの背中へとつづく。…そういえばやさしいシルヴァのことだから、もしかしたらムラに帰してくれるのかも知れない。そんな淡い希望すら、抱きながら。





top main
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -