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「…食堂って、あんなにすごかったんだな」

夕食を取ったあと寮のまえでリオンと秋月と別れ、ついでに寄っていくか?とごく自然に柊を誘って自室に戻ってから、悠里はコンタクトレンズを外してそんなことを言った。クッションを抱えてなんとなく無言になっていた柊が、それを聞いて表情を崩して笑う。

「一年のころとか、全然使わなかったのか?」
「最初のころに何回か。まわりがうるさいし高いしよく分からんから、ほとんど使わなかったな」

結局俺様生徒会長の重要ミッションである食堂に転校生を見に行くイベントも発生しなかったし、といつもの調子で付け加えて、それから眼鏡をかけた悠里が柊を振り向いた。かれはといえばリモコンを適当に回しながら完全に寛ぐ体勢に入っている。高級マンションを思わせる間取りをしたこの悠里の自室はもう、柊の勝手知ったるスペースとなっていた。

「秋月も言ってたぜ。悠里が食堂に来るなんて珍しすぎて、また新聞部に書かれるんじゃないかって」

ココアとコーヒーどっちがいい、と氷の生徒会長に聞かれて少しためらってからココア、と答えた。すでに夜も更けて一般寮の施錠消灯時間はとうに過ぎているころだけれど、この生徒会専用フロアに見回りが来ることはない。これでいいのかこの学校、と一般論を述べたところで返答が返ってくるわけもなかった。

「ハンバーグ美味かったし、たまにはいいな。たまには」
「…しかしお前のとこの隊長、ものすごい奴だった」

おかげで感動したようにハンバーグを食べて目を輝かせていた悠里にツッコミを入れる機会もなかった。悠里のほうばかりきらきら見つめているくせに、食事中の悠里を邪魔するわけにはいかないというスタンスなのかリオンは柊にばかり話しかけてきたからだ。小姑のように細かいことを根掘り葉掘り聞かれ、われ関せずの涼しい顔をした秋月とハンバーグをさも平然とおかわりしにいった悠里をひどく怨んだものである。

「リオンはな。…良い奴なんだけど。親衛隊長なんかやって何が楽しいんだか」
「秋月はふつうっぽかったけど、あれでも副隊長だろ?」
「秋月は親衛隊作られるのが面倒だから親衛隊に入ってやろうってクチだよ。あいつに関しては巨乳好きだしエロ本持ってきては没収される常習犯だから、まあ安心していい」

この学校に来てから初めて耳にしたんじゃないかという「巨乳」というワードに、柊は激しく感動をした。まともな人間が残っていたのか…!というふうな顔をした柊のまえにココアを注いだマグを置き、悠里もソファに腰掛ける。

「どっちもこの学園に相応しいハイスペックの持ち主だ。あれでリオンだって喧嘩が強いんだからおかしい」
「…まあ、あんな顔してたらこの学園はサバンナと同じ環境だろうしな」

飢えたライオンの檻に放りこまれた餌、といったところだろうか。うんうん、と頷いて、悠里はおもむろにひとつ息を吐いた。

「学園に残るのは150人くらいだそうだ。普段の1、2割程度だけど、それなりの人数がいる」
「お前、気ィ抜けないじゃん」
「それだけじゃないぞ。そこに何とかってチームが来たら混乱するに決まってる」

僅かに表情を曇らせて、柊はココアのマグから視線を上げて悠里の横顔を窺った。それからぼそり、とちいさく吐き出す。

「…ごめん」

今回ばかりは柊の撒いた種である。ひいては椋なのだけれど、わざわざこの学園まで追ってくるということは柊目当てに違いなかった。負けっぱなしは気に入らないとか、きっとそんなところだろう。

「お前は悪くない。俺だって何か起こってくれないと、麻里に送るメールに困る」
「…お前な」

笑う悠里の横顔が、やさしい。柊はくしゃりと前髪を掻き上げてため息をついた。今度こそ必ず、かれを守ろう。この間のような無様な姿を晒すのはいやだった。

「そろそろ帰る。…あんまり遅くなると、千尋が機嫌悪くなるしな」
「おう。また明日」

和解をしもう無体はしないと約束はしても、千尋は紛れもなく柊のことが好きなのだ。そんな相手が夜も遅くに帰ってきたら心配するのは決まっている。悠里もそれはわかっているから頷いて、カバンを手にとり立ち上がった柊を見上げた。夏休みはもうすぐそこまで迫っている。

「ん。じゃあな。ココアごちそーさん」

ひらりと手を振って、柊が悠里の部屋を出た。それから再び静かになった部屋のなかで、悠里はなんともなしにテレビを見る。バラエティ番組が流れているのをリモコンをたぐり寄せて消し、ふいに机のうえのマニュアルを手に取った。

この「役」を演じるのはいやではない。そして悠里が妹に甘いのも、マニュアル通りに出来る限りこなそうとするのも、悠里が妹に愛されていることを、重々に承知しているからだった。

「…愛をすることは、こわい」

そんな悠里がゆいいつてらいなく愛しているといえるのは、妹である麻里をはじめとする家族だけだ。だからこそ、彼女は悠里にこのマニュアルを作ったのだと、悠里は思っている。

―――恋は目で見ず、心で見るのだ。

恋に落ちることは決して怖いことではない。愛をすることは決して終わりの予兆ではない。それを悠里に伝えるために、マニュアルの表紙のうらにはそんな一文が刻まれている。…それをいったのは誰だったか。たしかとてもあっけなく、とてもしあわせな結末を迎える喜劇のなかの一節だ。

一年が経ち二年目の夏になってもまだ悠里は臆病なままなにも変われていないけれど、それでも少しだけ、ほんの少しだけこの一文を、信じられるようになっていた。






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