main のコピー | ナノ
6




婚礼は粛々と進行していた。集まった客は数知れず、この陰謀めいた婚礼を話のタネにみようという客も多いのだろう広いはずのホールが狭く感じるほどだ。糸が張り詰めたような沈黙を、ふいに破った声があった。

「ほんとうにハゲてデブですね」

モニカの母の隣に座っている郁人が、驚くほど朗らかに大きな声で言ったので、思わず彼女はこの優雅な探偵を振り仰いでいた。花道ではラドルフが父と腕を組み入ってくる花嫁の方を見つめている。あそこまでは聞こえていないようだったが、周囲の客がざわめくのが分かった。

「あれは見事だ。腹の中にどんな悪事を溜めこんだら、あんなふうになるんだか」

そしてそのままの調子で、礼服を纏った亜麻色の髪の麗しい青年が立ち上がった。あっけにとられる周囲をよそに、花道を堂々と横切って歩く。あまりにかれが平然としていたので、周囲はかれが、何か式に関連のある人物なのではないかと思ったほどだった。

「はじめまして、ラドルフさん。モニカさんの家の魔石の件でお話をお伺いにきました」

そしてかれは、旧式の礼に則って一礼をするとまるでこの式の主役であるかのように茫然とする参加者たちを振り向いて会釈をした。とうのラドルフも、そしてかれが何者であるか理解をしているモニカの父やアルメリカ扮する花嫁すらも、かれの姿をぽかんと見つめることしか出来ないでいる。

「彼女の家の工場の魔石に、新たな魔力をねじ込んだのは、あなたですね?」

一呼吸置いて、あれは誰だ、何なのだというざわめきが泉に投げ込まれた小石の立てる細波のようにして広がっていった。愉快そうにそれを見て頬を緩めた郁人は、再度立ちつくすラドルフを振り向く。かれの父親といっても通用するほど年は離れていたが、郁人の立ち居振る舞いが落ち付いているせいか、ラドルフと郁人の間に驚くほど違和感がない。

何かを言おうとして、口を開き、閉じる。それを繰り返していたラドルフに、焦れたように郁人が続けた。かれが雇っているという遣り手の護衛たちですら、このあまりに異様な展開についていけずに顔を見合わせているだけだ。うつくしいステンドグラスの下、花嫁と花婿と、そしてひとりの青年。一種均衡すら保っている空間を、落ち着いてはいるもののどこか楽しんでいる色を隠せない声が打つ。

「今まで何度そうやって、商売敵を潰してきたんです?手を貸す振りをして、工場ごと使いものにならなくする。大規模な爆発が起きていなかったからいいものの、ひとが死んでもおかしくない」

かれの声がした瞬間、それを聞こうとざわめきが止んだ。護衛だけではない。ラドルフの工場の関係者も、ここ一帯に住む住人もである。そしてこれこそが、郁人の狙いでもあった。

「今回の一件もそうです。親切めいて魔力の枯れかけた魔石に自分の工場から魔力を注ぎ、そうすることによってモニカさんの家の工場に大きな爆弾を作った。金ではなくモニカさんを要求したのは、工場が潰れた後の人質のおつもりですか?」

ひと際郁人が声を張り上げる。何もかもが露呈したのだと理解したラドルフが、醜く肥えた喉を震わせるまでに、それでも郁人は辛抱強く待った。ちょうど瞬き三回分である。

「貴様…!」
「うーん、悪役としては及第点ですね。なんだったら、証拠はどこにある、とか、出任せをいうな、とか、追加でどうぞ」

人差し指を左右に振って、郁人はそういった。素でやっているのか挑発なのか、判別すらつかない自然な動作である。そしてラドルフの芋虫のような太い指が、突然の闖入者を指示した。すでに聴衆のざわめきは、もとよりのかれの評判の悪さも相まってか郁人の言葉をまるで模範解答を見たみたいにして受け入れるほうへ傾いている。圧倒的劣勢は明らかだった。

いきなり見たこともない男が神聖な結婚式の真っただ中に乱入をしてきて、悪事を公開で暴かれた挙句、おまけに一回りもふたまわりも年の離れた若者に面と向かって挑発をされたラドルフが、理性を保てるはずもなく。

ぶるぶると震える指の先で優雅に微笑んでいる郁人へラドルフが叫んだのは、

「殺せ!」

という、郁人に言わせるのならば及第点だろうひっくり返った声の一言であった。

「はい皆さん、お帰りはあちらからどうぞ」

それを対して気にも留めていないような郁人の声とともに、すでに手配をしてあったとおりに式場の扉があけ放たれる。前列に座っていた武装した男たちが郁人へと迫るのを目視した聴衆たちは、疑念のざわめきを悲鳴に代えて我先にと飛び出していった。モニカの母やその周辺も無事に控室に戻ったのを確かめて、郁人は殺到した男たちと真っ青になっているラドルフを交互に見る。

「これは、どういうことだ!」

ラドルフはどうやら、モニカの父に詰め寄っているらしかった。花嫁を背中に庇いながらモニカの父がきっとその顔を睨みつける。

「私を騙したんだろう!あの廃工場を買い取るという話も出ていたじゃないか!」

成程、と郁人が、次々襲ってくるナイフやら剣やらをかわしながら眉間に指を添えた。あの廃工場、とは、ラドルフの前妻の実家に相違あるまい。恐らくは事故によって使いものにならなくなった魔石のせいか、工場は閉鎖されてしまった。そこを買い取るなり、手のかかったものに与えるなりすれば、ラドルフは楽に富を増やせるというわけだ。

「…だが、俺には伝手がある!愚かな住民など、働く場所がなければ生きていけない!警察など俺の言いなりだ!貴様ら、覚えておけよ!」

ラドルフはそう言って辛うじて自制心を保っているらしかった。そしてそれから、この騒動を引き起こした張本人である郁人を振りかえる。おそらくかれは、血祭りにあげられた青年を想像していたに違いなかった。

「ところで、ラドルフさん」

そんな彼が目前に立っていたので、ラドルフはついに尻もちをつく。郁人は涼しい顔をして、包囲網を潜り抜けていたらしかった。男たちが困惑げに郁人を追う。郁人はラドルフに声を掛けながら、それをひらりひらりとかわしている。郁人はひどく楽しそうであった。

「『魔力を違う魔石へ移す技術』、誰があなたに吹き込んだんです?」

手で背後へとずるずる無様に逃げながら、ラドルフは唾を飛ばして叫んだ。狂人めいた高笑いである。胸から取り出したのは筒の短い拳銃であった。何処まで小悪党なのか、と、郁人は肩を竦めてしまっている。

「貴様に教える必要などない!どうやって嗅ぎつけたのかは、知らんが―――」
「これでいい?ラインハルト」

郁人の声がラドルフのそれを遮った。そして、声を向けられたのは。

「…十分だ。あとは、好きにしろ」

ラドルフの工場の関係者やら見物の野次馬、それらがすっかり綺麗に逃げてしまった会場に、独り立っていた男性であった。
金の髪を後ろに撫でつけ、まるで何かの模範のように背筋を真っ直ぐに伸ばして立っている。鷲を思わせる青の双眸が、熱すら伴いそうな鋭さでラドルフを捉えている。郁人は微かに唇を笑わせると、思わずといったふうにそちらを呆けて眺めているラドルフに声をかけた。

「ご存じだと思いますけど、かれ、鬼のラインハルト。まさかとは思うけど、かれもあなたの言いなりですか?」

直後、正体を失くしたラドルフの悲鳴にも似た絶叫が式場に響き渡った。ラインハルト、そう呼ばれた男は直立不動のままだ。

ラインハルト。汚職にも賄賂にも動じずただおのれの定めた正義にのみ従う、警察本部でさえ持て余し気味だという法の忠犬。それはここ森の共和国首都アリアで揶揄と畏怖を込め、鬼と称される警部の名である。

「…道連れだ!」

そして半狂乱のラドルフの短筒の先が向いたのは、郁人ではなかった。無論ラインハルトでもない、モニカの父ですらない。

そこは本来ならば今頃かれの妻になっているはずであった、うら若い花嫁の胸であった。




top main
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -