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何度か目が醒めたような気がしていたが、そのたびにすぐ身体の重さに負けて眠りに引き戻されていた。結局スグリが瞳をしっかと開けられたのは、何度も何度も酩酊のような眠りの淵を行き来した挙句のことである。

足音がしたからだ。起きがけの頭にそれが響かないことに自身の身体がようやく治ったことを悟り、スグリはそろそろと目を開けた。真上にあるのは見慣れた我が家の天井ではなく、白く土の質感のつよいそれである。それを見て、ああここが山の上の集落なのだ、と、スグリは自分でも驚くほどの諦観でもって受け入れた。

スグリが横たえられていたのは、最後の記憶に僅かに残っている大きな白い寝台だった。あの赤髪の男の家だろう。…その割にかれの姿は見えぬ。探さなくては、と思ったが、幾分動いていないせいで身体は甘怠さを訴えていた。

そしてそんなスグリが温い掛布に溺れたままでぼんやり天井を眺めていたら、今度こそ足音が近くなる。肩を強張らせて部屋に一つきりの出入り口のほうをじっと見つめていたが、そこからふわりと紅いいとが散るのが見えた。顔を上げれば、その影からそうっとこちらを窺う顔が見える。スグリの唇を洩れるのは安堵の吐息だった。…あの、スグリを助けてくれた男だ。かれはスグリに、怖いことも痛いことも、なにもしない。

「!」

かれと目が合って、むこうは明らかに驚いた顔をした。…この反応だとどれほど長く眠っていたのだろう。むかし無茶をしてクサギの狩りについていったときはまる四日眠り続けたことを思い出して、うすら寒い気持ちになった。ほかのムラの女たちはどうしているだろう。かれはどうしてここにスグリを連れてきたのだろう。知りたいことは、山ほどある。

「…そ、それ」

すぐに寝台の傍まで寄ってきた男の腕のなかを見て、スグリは驚いて目を見開いた。その両腕に抱えきれないほどに抱かれているのは、色とりどりの花々だった。男はそれを無造作にスグリの身体のうえに掛けられた掛布のうえに落とす。咽返るような花の香りに、遠ざかっていたスグリの五感が戻ってくるのがわかった。広がったのはうつくしい花々で、スグリはふいにこの男と初めて出会った草原を思い出す。そして姉に、花冠を作ってやったことも。

「…」

―――大丈夫か。

男の言葉は、また、そんなふうな響きでスグリの耳には聞こえた。かれのそのやさしくあたたかなてのひらが、スグリの額に押しあてられる。身体は怠いが、眩暈や頭痛はもう無かった。安心させるように笑えば、男の不安そうな表情が和らぐ。かれがふっと微笑むのを、スグリは擽ったく眺めた。

何も分からない。どうして助けてくれたのかも、そしてこんなふうに優しく接してくれるのかも、果てはどうして男であるスグリを連れてきたのかも。他の女たちはどうなったのだろうか、長老のいうとおり、このムラの男たちの妻にされてしまったのだろうか。なにひとつ分からない。

だけれど不思議と、スグリ自身に不安はなかった。

「あ」

そのかわり、間抜けに響いた腹の音に、スグリは思わず赤面をする。男の表情が笑みに崩れ、かれは自分の胸を拳で叩いてかれが今しがた入ってきた出入り口のほうを指差した。それからスグリの胸を差して、ここにいろというふうにそれを寝台へと向ける。

ご飯、くれるんだろうか。そんなことを思ってしまうくらいには、男の笑った顔はやわらかかった。そしてやはり、笑うと存外に幼く見える。確実にスグリより幾つも年上のくせにそんなところでなんとなくつられて笑ってしまった。

スグリが頷いたのを確かめて、かれが部屋を出ていく。その背で馬の尾のように揺れる深紅の髪を目で追って、スグリは細く長く息を吐いた。

広い寝台にまき散らされた花の香りが、いやおうなしに起こった出来事を随想させる。クサギは無事だったろうか。怪我など、していなければいいのだけれど。そして行き場を失くしたスグリのてのひらが、縋るように男のくれた花に触れる。なんともなしにそれの幾把かを手にとって、スグリはちいさな花冠を手慰みに編むことにした。

不器用に千切られた花の茎の長さはまちまちで、上手く編み込むことが出来ない。それでも短い花を間に差し込んだり繋ぎ合わせたりして、たちまちのうちに花冠が作られていく。そうすればこころも自然に落ち付いた。慣れ親しんだ感覚が、スグリをこの現実に引き戻す。

…笑った。

スグリが安心させるように笑ったら、男はほっとしたように笑い返してくれた。かれとは意志の疎通が出来ている。…何日間眠り続けたのかは定かではないけれど、その間ずっとスグリをこの寝台に寝かせておいてくれたのだ。かれにおのれを害する意図がないことを、スグリは乾いた地面に水がしみこむように自然と信じてしまえていた。




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