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Call my name!



「アキラは今日バイトだっけ?」
「んー。わり、飲みはまた今度な」

サークルの仲間に声を掛けられたのをすまなそうに断った秋良先輩が、木の下に立っていた俺を振り向いて駆け寄ってきた。それに思わず表情を崩してしまう自分に苦笑いしたくなりながら、俺はかれを待って駐車場へ歩き出す。

免許取ったらパシられるから、という至極このひとらしい理由で秋良先輩は車どころか免許も持っていない。そしてパシられているのは俺、というわけである。ぜんぜん嫌じゃないけど。むしろ先輩を助手席に乗せて走るのが好きだった。俺の軽乗用車の助手席で、先輩は色々な話をする。レポートやばいとかバイト先のギャルのつけまつげが落ちていただとか他愛のない話ばかりだったけれど俺はそんな秋良先輩の横顔が好きだなあ、と思うのだ。

「アキラ、堀内はお前の運転手じゃないぞー」
「賢吾くん、ちゃんと断っていいのよー!」

なんて先輩たちに声を掛けられたのを、秋良先輩は両耳を塞いで聞こえないなんていってやり過ごした。先輩らしい。

「秋良先輩、ほら」
「んー」

耳を塞いだままの秋良先輩を促して、俺は車のエンジンを掛ける。先輩のバイト先までは大学から一時間弱かかるところにあった。カーステレオを弄る先輩のてのひらが、CDを入れ替えるのをやめて膝に戻る。

「秋良先輩?」
「いや、うん」

アクセルを踏み込みながらかれを向けば、かれは丸めた爪先に視線を落としてうつむいていた。いつになく先輩が静かなので、車内がみょうにしんとする。

「…その、なんだ。めんどくさかったら電車のるし」

車が走り出して暫くして、ふいに先輩が口を開く。そこから出てきた科白もまたいつになく先輩らしくないものだから、俺は信号待ちにかこつけて先輩の顔をまじまじと見た。

「先輩たちが言ってたの、気にしました?」
「べっつにー」

言いながら、先輩は窓のそとに目をやって口を噤む。らしくもないその姿に俺が笑い声をこぼせばますます窓のほうへと顔が寄っていった。

「俺が好きでやってるんだから、気にしないでください」
「お前はそういうやつだもんな…」

なんだかみょうにしみじみと言われて、俺は青に変わった信号に再びアクセルを踏み込みながら秋良先輩を横目で見る。サイドミラーに秋良先輩が複雑そうな顔で映っていた。

「優しいっていうか、お人好しっていうかさ」
「それは単に、秋良先輩だからですよ」

秋良先輩が、ちいさく笑った。それからひとつ息を吐き、声だけを俺に向ける。

「そういえば、さ。なんで俺のことアキラって呼ばねえの」
「なんでって…、先輩は秋良って名前でしょう」
「いや、そうだけど」

奥歯にもののはさまったような言い方は秋良先輩らしくなかったから、俺はふいに口を開く。たぶん今日のこのひとは俺から話を振らないと話し出そうとしないだろうから。

「先輩は、俺のこと苗字で呼びますよね」
「よ、ヨビマスネ」

見るからに狼狽えた秋良先輩に、これはいけるんじゃないかと思って俺は畳み掛けた。ハンドルを切ったついでに、ぼそり、と吐き出す。俺は臆病だから自分のなかの剥き出しで汚い部分を秋良先輩に見せるのが怖かった。だから少しずつ、少しだけ。

「賢吾って呼んでくれないんですか?」

言えば、秋良先輩が額を窓ガラスにぶつけるごつん、という音がした。なにしてるんです。

「よッ…」
「よ?」

べるか、馬鹿!と、非常に挙動不審な先輩がいう。顔が赤い。なんでですかと聞けば勢いよく顔を窓のそとに戻した。額に跡がついている旨をかれに話すべきか否か、俺は大いに悩む。

「ほ、堀内なんて堀内で十分だ!」
「いやまあ、俺は堀内ですけどね」

もとより先輩が素直に名前を読んでくれるとは思っていないので、俺はあっさり諦めた。まあそのうち、呼んでもらえればいいやと思うことにする。

信号が変わり、再び車内が無言になった。秋良先輩の目線がちらちらと俺のほうを向くのにはとっくに気付いていたけれどなんて声をかければいいかわからないから、とりあえず黙っておく。俺には秋良先輩みたいに面白い話は出来ないのだ。

「け、」

ふいに沈黙を破ったのは先輩だった。喉に何かつっかえたみたいに、それきり不自然に黙り込む。

「け?」
「…ケンタッキーたべたい」

なんですか、それ。とは言ったものの、じゃあ先輩のバイト終わったら食べに行きましょうか?なんて言ってしまう俺は相当だと思う。恋は盲目とはよくいったものだ。

「…ほりうち」

情けない声を出して、秋良先輩が俺のほうを向いた。ハンドルを切りながら俺は何だか困り切った顔のかれに声をかけていいものか、迷う。

「どうしました?」
「何でお前、そんなにニコニコすんだよ…」

いやそりゃあんたが可愛いからでしょうとか、言いたいことはたくさんあった。けれどにやけた口元を秋良先輩に見られたら拗ねられるのは目に見えていたので、かたくなにまえだけを見つめる。秋良先輩のバイト先まではまだまだあった。出来ればこれ以上車内にこのみょうな沈黙を蔓延らせたくない。

「…なんで黙んの」
「え、いや」
「もっとワガママ言えばいいだろ…」

足先から靴を蹴っ飛ばした秋良先輩が、シートのうえで膝を抱えた。そんなことを言われても秋良先輩になにかを求めるなんて俺にはまだまだ無理で、与えられる因子だけでいっぱいいっぱいなのだ。先輩のくるくる動く表情と言葉は、いつも軽々俺の予想を飛び越えていく。

「…なんとか言えよ、ばか賢吾」

思いっきりハンドルを切り損ねて車体が大きく揺れた。うわあと悲鳴を上げた秋良先輩には申し訳ないけど俺のほうはぜんぜんそれどころじゃない。自分でもわかるくらいに顔が赤くて熱い。なんてときに目の前で信号がかわって絶句した。心臓の音まで先輩に聞こえてしまいそうだ。

「ぷっ」

ほら、先輩が笑った。ああでも秋良先輩の口から出た俺の名前は思った以上の衝撃で。俺の鼓膜にはまださっきの声が引っかかっている。

「秋良先輩」
「んだよ、堀内」

くすぐったそうな声は機嫌が良さそうだった。でもいつも通りに呼ばれたことになんとなく安堵しながら、俺は再び切り替わった信号にアクセルを踏み込む。

「…やっぱりまだそっちのほうがいいです」
「え。そうなんだ」

つまんねえ、とでも言いたげな秋良先輩の横顔が可愛くて憎たらしい。ちょっとくらい取り乱してくれたらいいな、なんて思いながら、俺は正直に告白した。

「…俺の心臓が持ちませんから」

……まあなんかわけのわからないことを言いながら窓ガラスに思いっきり頭をぶつけた秋良先輩に、たっぷり怒られたわけだけれど。




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