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―――だれかを好きになることは、こわい。それは、悠里の胸に巣食う、どこか強迫観念じみた考えだった。どうして皆は、恐れることもなく、笑って好きだ、とそう言えるのだろう。愛に触れるたび恋をされるたびいつも、そんなふうに考えている。

「悠里さま?」
「…何でもない。それよりリオン、お前、夏はドイツに帰るんじゃないのか」
「かまいません!…夏休みの間はお傍にいてもいいですか、悠里さま」

ぎゅっと苦しそうに眉を寄せた悠里に、隣に並ぶリオンは目に見えてうろたえた。花のような容貌が曇り手にした盆のうえの白磁器が微かな音を立てる。そのなかでスープが細波を立てるのを見て、悠里ははっとした。それからひとつ首を振り、僅かに躊躇った末に口にする。

「…、お前はそれでいいのか」

人に好きになられることは、すごいことだ。…それは悠里が教わった教訓のひとつで、拠り所でもある。愛されることにまで怯えてしまうのは、いやだった。

その悠里の言葉を聞いて、リオンはほっと息を吐いたようだった。長い金の睫毛を伏せて、淡い吐息と一緒に盆を持つ手に力を込める。

「僕らだって、ほんとうはお傍で悠里さまのことを見守りたいんです」
「…それは」
「わかってます!悠里さまがお望みになられないのであれば、いまのままで」

そうか、と答えるとその白い頬にぱっと赤味が散った。マニュアルに書いてあったようにこの学校には男子校のくせに姫と呼ばれる男子生徒が何人かいて、リオンもそのひとりであると聞いている。そんなかれを親衛隊の隊長にしているくせにかれになにもしないから、悠里には「氷の生徒会長」というあだ名までついた。それでもなお健気に慕ってくれるきれいな少年はいじましくかわいらしいものだと悠里も思う。小動物を彷彿とさせるかわいい生き物を嫌いな人間はめったにいないということだ。

雅臣と違ってみょうなことをやらかさないので、悠里も安心してリオンに接することができる。だから購買で適当に食材を買って部屋に置いてくれだなどと突拍子もない頼みをすることが出来るのだけれど。ちなみに金銭のほうは特待生待遇のせいで不自由はしていないから、リオンにほぼ無理やり払っている。それでも毎日食堂を利用するよりかは何倍も安く済んでいた。

「…夏の間は、購買は開くのか?」
「あ、お伝えしようと思っていたんですが、…やっぱり夏休み中は食堂だけの営業みたいです」

今日のスペシャルメニューはハンバーグだった。シェフがしたり顔で説明するところによると、一般庶民の家庭的な味をうんたらかんたら。ひさびさのハンバーグに悠里はテンションがかなり上がっているのだけれど、それをそとに出すわけにはいかないので背中のあたりをむずむずさせている。氷の生徒会長が「母さんの作るハンバーグ食べたい…」などと言ってはいけないのだ。

「そうか。…ならしばらくは食堂だな」
「ほんとうですか!」

うれしそうな顔をして笑ったリオンに、周囲からざわめきが起こった。「姫」がこんなふうに相好を崩して笑う姿は滅多に見られないのだろう。良いものをみた、というふうに、熱っぽい話声が聞こえてくる。父方の祖父がイタリア人、母がアメリカとイタリアのハーフだというリオンは複雑な生い立ちのせいか普段はどちらかというと感情を表に出したがらず、あまりきらきらと笑顔をまき散らすタイプではないせいもあった。

リオンの隣に立つと、ここがマニュアルのなかの王道学園だと悠里は身に沁みて思う。最近は気も抜けがちだったから、たまにはこうしてマニュアル通りに行動しておけば問題のない空気のなかにいるのも悪くない。ちいさくてかわいい同級生がにこにこ嬉しそうにしているのを見るのも、悪い気はしなかった。

「…夏休みの間、残る生徒はどの程度いるんだ?」

リオンがハンバーグを受け取るのをそうと気取られぬよう待ってやりながら、悠里はかれに尋ねる。肩越しに振り向いたリオンが少し思案をするように視線を彷徨わせ、それからすぐに答えてくれた。

「各親衛隊で大体十名から二十名。それに加えて転校生が残るらしいと聞いて、そちらのほうでも十名以上が残りそうです。百五十名程度じゃないでしょうか」

…その人数が残る学校にやってくる不良のチームも、どうかと思う。そんなことをこっそり考えながら、悠里は鷹揚にそうか、と応じた。夏休み中もこの学園の頂点に君臨する氷の生徒会長でいることを考えたら骨が折れそうだけれど、問題はどちらかといえば実害を伴ってくるその「小難しい英単語」のチームである。目の前でデミグラスソースをたっぷり掛けているかれに話しておくべきか、それともまだ黙っておくべきかしばらく悠里は悩んだ。

もともと悠里は、進んで親衛隊を動かしたことなどはない。目の前のきらきらした少年が親衛隊を作りたいのです、と言ってきたときに、お前らで好きにしろ俺は干渉をしないから、と言ったのは悠里自身であった。…だからこそ厄介事に巻き込まれたくない秋月のようなこの学校では特異なタイプの人間が集まってきたのだろうけれど。

そんなふうなこともあり、悠里からリオンや秋月を頼ることは、こと食材の調達以外の面では一切なかった。かれらの助けを借りずともなんとかやってこれたのは、かれらが一途に悠里を氷の生徒会長だと信じているからでもある。かれらのまえでだけは、これからもずっと演じ続ける気でいた。…たとえそれがどれだけ滑稽でも、かれらに愛された「氷の生徒会長」を守ってやるために。

たくさんの愛と羨望をうける「そのひと」のことを、悠里も実のところよく分かっていない。けれどリオンのきらきらした目を見ていると、ああ俺は決して外せない仮面をかぶってしまったのだと、悠里はひどく他人行儀に思うのだった。





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