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異変が起こったのは白々と夜が明けかけるころのことだった。すでに火から離れたところで寝入っていたスグリを、隣の家の親父が揺り起して怒鳴りつける。それに急激に意識を覚醒させて、スグリは飛び起きた。

「は、はいっ!?」
「起きろスグリ!敵襲だ!」

それだけいって駆け出したその背を茫然と見て、座り込んだスグリはのろのろと周りを見回す。煩いくらいの怒号と轟音、いつもなら朝になっても踊り呑み騒いでいる火のそばの人間たちは誰ひとりいなくて、その代わりに数人が忙しなく走りまわっているのがわかった。異常事態と、一目でわかる。

少し寝たせいで酒は抜けていた。立ち上がってすこしふらつくのをなんとか木の幹に寄りかかって耐え、スグリはさきほどの言葉を反芻する。

「…敵襲」

その言葉の意味することを悟り、スグリは飛び上がって駆け出した。妹たちはどこにいるだろうか。カンナは無事でいるのか。思いながら、家で寝込んでいる父を助けなければと走る。すぐに息が切れて心臓の音ばかりが鼓膜を叩いたけれど、それに構っていられる余裕はなかった。

「スグリ!家に隠れていなさい!」

スグリの身体のことを知る大人たちが、武器を手にそれぞれ叫んでスグリとは反対方向に駆けていく。なんでよりによって今日、と呟いているのは親戚にあたる男だった。スグリを見て、スグリの父の名を尋ねる。

「今見てきます!」
「分かった、頼む!」

武器を持てる大人たちは祭議場をもっと行ったさき、森のほうへと進んでいるようだ。すでにムラのなかは悲鳴や怒号に満ちていたから、もう侵入されているのかもしれない。生まれて初めて体験する襲撃に、スグリの心臓は先ほどから早鐘を打っていた。

「父さん!」

取り残されたように人気のない、スグリの家がある地区につく。話声ひとつしないそこは酷く静かで、スグリは思わず身体を固くした。来たる朝の日差しばかりが、眩しい。

「…スグリ!」

スグリを迎えたのは、布団の上に上体を起こした父だけではなかった。妹たちを抱えたカンナが、花嫁の纏うローブを着たままその顔を真っ青にしている。

「姉さん、おまえたちも!…一体何があったんだ?」

傍までいって膝をつき彼女へにじり寄れば、カンナはスグリもまとめて胸に引き寄せて低く囁いた。同じくらいに早い心臓の音に、いつもおおらかで頼ってばかりいた姉の不安を悟る。ますます恐ろしくなって、それでもなんとか彼女らを守らねばならぬと思いながら、スグリは妹の肩を抱き寄せた。

「…山の上の集落が攻めてきたの」
「なんだって!?」

酩酊していたけれど、長老から聞いた言葉はスグリの胸にしっかりと残っていた。スグリが生まれる少し前に来たきりのかれらが、よりによってカンナの婚礼の日にやってきたのである。姉の背に片腕を回し、スグリは痛いほどの決意で顔を上げた。

「…クサギは?」
「剣と弓を持ってムラを守りにいったわ。…みんな家で隠れているようにって」
「姉さん、チビたちともっと奥に隠れて!」

言いながら、姉の纏う花嫁の証を半ば力づくで奪いとる。手にした白いローブは痛いほどに眩しく、スグリはすこし切なくなった。中に着ていた礼服で茫然としている姉と息を殺して震えている妹たちを奥に押しやり、スグリは頭からその純白を被る。なんとしてでも、きょうだいを。カンナを山の上の集落に渡すわけにはいかないのだ。彼女は今日、花嫁になったばかりなのだから。

「スグリ、何を…!」
「姉さんになにかあったらクサギに合わせる顔がないよ!父さん、みんなをよろしく」

彼女たちのうえに申し訳程度に毛皮を掛けて家具を寄せ集め簡単なバリケードをつくり、スグリは扉からすこし離れてじっと息を殺した。これでもし見つかっても、スグリが引きずりだされるだけでほかの家族は無事だろう。唯一の男でありながら戦えないスグリにとって、彼女たちを守る手段はこれしかなかった。

「スグリ、待って…!」
「しっ、足音がする!」

そう鋭く言ってから、スグリは頭を抱えて小さくなった。スグリは小柄なほうとはいえ、朝の日差しのなかで顔を見られては十中八九男だとばれてしまう。ローブを目深にかぶり、震えて耐えることしか、スグリにはできなかった。

「…!!」

地を蹴散らす足音が大きくなった。それがムラの仲間でないことは、その話声がしらない言葉であるからすぐにわかる。恐怖に身を竦めながら、それでも震える家族を守るために、スグリは耐えた。

「…」

ヒトの気配が、すぐそばにする。だれかがこの家を覗きこんだらしかった。乱暴な足音と、そして何かを怒鳴る気配。腕を掴まれてスグリの咽喉を悲鳴が漏れた。どうか泣かないでくれ、と妹たちを思いながら、スグリはその痛いほどの力で引き起こされる。

ふいに昼のことを思い出した。あの時引っ張り上げてくれたあの男の手は、こんなふうに冷たくはなかった。こんなふうに乱暴にスグリに触れはしなかった。どこかでまだ山の上の集落のことをやさしいと思っていたスグリのこころが、容易く絶望に塗り替えられる。

怖かった。ただひたすらに、怖い、とそう思った。






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