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「…判子よこせ、判子」
「俺はライオンか何かか」

風紀委員が根城にしているのは屋上にある大きな物置だった。物置といってもいまは好き勝手に改造されて、ソファとか明らかにヤのつく自由業の事務所にあるようなでかい机とか観葉植物とか、そんなので埋め尽くされている。校長室より高級そうなものが揃っている気がするのはたぶん悠里の気のせいではない。

で、窓から覗いてなかに目当ての人物しかいないことを確認した悠里は、うすく扉を開けて中に書類の詰まった封筒を差し入れたわけだ。ほうきの柄にそれをわざわざ針金でくくりつけたうえで、である。すでにかれのまえで氷の生徒会長を装うことを諦めている悠里だけれど、こんなところ誰かにみられたらかなり恥ずかしいと思うだけの理性は残っていた。

「黙れセクハラ魔人!」
「いてえ針金刺さってる!」

ソファの上で寝ていた雅臣の腹をつっついて起こした悠里がそのまま封筒でばしばしとかれの腹のあたりを叩いたら、耐えかねたように雅臣が身体を起こす。そのまま封筒ごとほうきを掴んでぐいっと引いた。

「で、お前らのほうははかどってるのか?」

悠里なりにけっこう考えて作った対雅臣用のギミックもむなしく、結局そのまま悠里は風紀委員会の根城に足を踏み入れる羽目になった。ちなみにいまは平日の午前中である。夏休みまでいよいよ一週間を切ってしまったから、生徒会の面々は授業を出席扱いの処遇で仕事に明け暮れているのであった。そしてそれは、委員長である雅臣も変わらないはずだ。今寝てたけど。

そんな雅臣に聞かれたので、悠里はまあそれなりに、と応じる。雅臣だって二年生なので、委員長になって初めて迎える忙しさであるはずなのに、この落ち着きようはどういうことなんだろう。むかつく。なんて思いながら、ソファのひとつに腰掛けた。あんまりクーラーがきいていなくて意外に思っていたのだけど、どうやら風紀委員会は扇風機を採択しているようだと気付いて思わず笑ってしまっていた。

「…クーラーだと身体だるくなるだろ」
「お前は年中だるそうだけどな」

首を振って音を立て、扇風機が回っている。それが悠里の髪を揺らすのを見るでもなしに眺めていた雅臣が、ふいに口元を歪めた。

「こっちはもう殆ど終わったぜ。この判子押したらおしまいだ」
「…それはそれは」

風紀委員のこの時期の仕事は、たしか一学期中に悪いことをやらかした連中の夏休み中の処罰についてだった気がする。一定以上悪いことをすると夏休みにボランティア活動を義務付けられることになっているのだと、たしかマニュアル――、生徒会のほうのに書いてあった。

「不良どもはちゃあんとシメてっからな。今年はボランティア組はゼロだ」

なんて書類に目を通しながら雅臣がいう。風紀がどれだけの勢力を持っているかはその実悠里はあまりしらないのだけど、それは凄いことだっていうのは分かった。去年、悠里が次期生徒会長と目されなにくれとなく生徒会の仕事に加わっていたとき、ボランティア組と称されるその問題児はかなりの人数いたように記憶している。なによりすごいのは、その問題児にはボランティアをやりとげるまで風紀委員の監視がつくことだろうけれど。椋に聞いたところ愛を芽生えさせるためだとか云々かんぬん。そこまで聞いたところで柊の飛び蹴りが炸裂したので続きはきけなかった。

「ていうか雅臣、監視めんどくさかっただけだろ」
「何のことかわからねェなァ」

いつかの悠里の台詞をまるまる口にして、雅臣が笑う。それから手持無沙汰にしている悠里に気付いて長い人差し指を立てた。

「そういえば」
「ん?」

僅かに眉を上げて首を傾げた悠里の顔は、いつものあの氷のような表情ではない。氷の生徒会長でいる、皆が憧れるその存在でいるのはわりと気を張るんだと言っていたから生徒会にかかりっきりなこのところは大変なんだろう。運のいいことにいまはふたりのほかに誰も居ないから、悠里はかれのほんとうの顔で対応をしてくれている。それにうれしい、と思ってしまう自分にちょっと呆れながら、雅臣は浮かび上がる笑みを殺しきれずに口端を歪めた。

「千尋。――柊ちゃんのとこの。風紀に入った」
「えっ、そうなのか」

あれからしばらくして、柊が悠里に、千尋と和解した、とちょっと恥ずかしそうに教えてくれた。それまでは椋の部屋で寝泊まりしていたらしい柊が自分の部屋に戻ったのもかれから聞いて知っている。つまり千尋にとっても雅臣のまえであまりに無力で、どうしようもなく暴走してしまった気持ちが柊を傷つけてしまったことはひどくおおきな出来ごとだったのだろう、と悠里は思う。変わるための、始めるための第一歩だったのだ。一匹狼として有名だった千尋が集団に加わる、というのは、雅臣にとっても意外な出来ごとだったらしかった。

「結構つかえる奴でさ。助かってる」
「…なんかホッとした」

あのときのくるしそうな千尋の瞳は、どこかで悠里の胸にずっとひっかかっていたから。恋というのはくるしくてつらいものだ。それを怯えることもなくするかれは、きっと悠里よりずっと強いのだと、悠里は思っている。…そしてそんなかれが恋を向ける相手は、悠里にその感情を向けてくれているのだと、いう。それに答えを出すこともできていない悠里はひどく臆病で、だけどそれを許してくれているまわりはとても、やさしい。

それは目の前にいる雅臣も同じだ。かれもまた、てらいもなくためらいもなく悠里に好きだという。悠里がそれにひとつも応えていないのに、それでもまだ、好きなのだという。それはすごいことだ。

いつまでも甘えては居られないことは、わかっている。だけれどもう少し、まだ少しはこのままで居たいと望んでしまうのは、悠里の悪い癖だ。歩み出すのは、こわい。変わるのは、それでなにかを失ってしまうのは、あまりにも、こわい。愛というものは悠里にとって未知で、そしてなにか悠里のたいせつなものを奪い去ってしまうような、そんな恐ろしいものにさえ思われていた。





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