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alike you



「凪、まだ平気か」

俺の手を引きさきを走る郁人が、肩越しに振り向いてそんなことを聞いた。一も二もなく頷いて、俺は固く唇を噛み締める。

俺は、郁人に守られてばかりだ。

「…郁人」

かれの背中にはいつも背負ってくる黒のカバンはない。いつもなら他愛もない話をしながら歩いて帰る放課後の帰路を、こんなふうに全力で走っているのには理由があった。…俺のせいだ。

「裏をかいてやろう!あの太ったハゲ、どんな顔をするだろうな!」

なんて笑いながら郁人は楽しそうで、俺はともすればこれが、かれにとってはいつものかれのいう「遊び」の一環なのではないかと思ってしまうほどだった。郁人はいつも、俺にいろいろな話をしてくれる。目を向ければそこらに転がっているらしい謎を、ひとつずつ丁寧に解きほぐしていく話。それはたいていが、かれの騎士やその仲間たちからもたらされてくるものだったから、俺にはすべてが目新しく新鮮だった。楽しそうで、うらやましかった。

「…ごめん。巻き込んでしまったな」

けれど、きょうは違う。
郁人を巻き込んだのは俺で、それはいかに東の大公の息子であろうとも、身の危険すら孕む事件だった。帝位の継承権を唯一この国で有する俺には昔から、その恩恵に肖ろうと群がってくるやつらがまとわりついている。その中には俺を殺して外戚である自分が次の帝位継承権を得ようとするものも、少なくは無かった。

父に露呈すればたちまち爵位もなにもかもを剥奪されて追放される。それでも執拗に俺を狙うほどには、このうつくしい海の国の帝位は魅力的なものであるらしかった。

今日も、そうだった。ちょうど郁人と俺が学校から出たあたりで、俺も見知っている醜く肥えた男がお送りします、などといって俺を連れていこうとしたのである。いつもそれとなく護衛をしている騎士や兵士たちが飛んでこないということは、あの男は権力やカネを駆使して護衛の担当そのものを捻じ曲げたのだろう。そのくらいは俺にもわかった。

「何言ってるんだ!おれは、楽しいぞ」

なんて見当違いなことを言って、郁人はその智謀を存分に廻らせているようだった。不穏なものを感じとったらしい郁人が俺の腕に手をかけたあの外戚の男の腹を蹴り飛ばし、俺の手を引いて逃げてくれたのだ。教科書や本が詰まったカバンをおもいきり振りかぶって顔面に叩きつけられた追っ手のひとりは、おそらく今頃城下町のどこかで昏倒したままだろう。そのせいで身軽になった郁人は、またたくまに下町の細い道路を縫って走りまわっている。慣れていることがすぐにわかる足取りだった。

「あの男の屋敷は?」
「…貴族街の中央部だ。いちおうは血族だからな」
「なるほど、あの男がきみの外戚か。…覚えておくよ」

とてつもなくあくどい笑みになった郁人に、なんとなく俺もつられて笑う。かれに感じた引け目も負い目も、かれ自身がすべて追い払ってくれる。

「…みっけた!郁人だ!」

走る速度を緩めて息を整えていたあいだにふいにかれの名を呼ばれ、郁人だけでなく俺も身を縮ませた。とっさにかれを庇おうと前に出ると、郁人が困った顔で俺の腕を引く。その声の主に、俺も驚いて目を見開いた。

細い路地に立っていたのは、俺や郁人よりもまだ幼い少年だった。明らかに外戚の男の手下ではない、そこらで遊んでいそうな子供の姿に、俺は安堵をして息を吐く。それにしてもなぜ郁人の名を、と思ってかれを向けば、かれは口元を愉快そうに歪めてその少年のほうへ歩み寄っていった。

「早いな、テツ。たすかる」
「へへ、みんなもすぐに来るよ!」

テツ、と郁人に呼ばれた少年は、言いながら砂粒のような細かい魔石のかけらを地面に置いてそれを踏みつけた。細い煙が上がっていくのを、俺は茫然と見上げている。そんな俺を見かねて郁人が俺を手招いた。

「おれの騎士のともだち。…あれだけ派手にやったからな、思ったよりはやく合流できそうだ」

そこまで聞いて、俺はほんとうに郁人がこの状況を楽しんでいる、と直感した。そして俺が、いつも郁人が俺に話す冒険譚のなかに巻き込まれていることも。郁人は外戚の男、かれの飼う精鋭に血眼で探されているであろう俺を、かれらを使って守ろうというらしい。

「…ホント、お前、派手すぎ」

先ほど俺達が入ってきたほうの路地から、そんな声と一緒に足音が近づいてきた。俺にも聞き覚えのある声に、思わずそちらを振り返る。そこに立っていたのはどこか楽しげに翡翠のいろをした瞳を細めて笑っている、腰に剣をぶら下げた男だった。郁人の騎士だ。そうとは思えないほど粗野で扱いにくく真っ直ぐで、それでいてみょうな伝手を持つということは真琴から聞いて知っている。そしてかれがどれだけ従順な郁人の剣であるか、俺は身を持って知っていた。…俺は、こいつが、きらいだ。

「おれのカバン持ってきてくれた?あれ無くしたら父さんにバレる。困る」
「誰かが運んでた。たぶん。…怪我はないな?」

たぶんてなんだ!と言いながら郁人が両手を広げてみせる。怪我ひとつない。テツと呼ばれた子供は一目散にかれの傍まで駆け寄って、かの騎士に頭を撫でられてうれしそうにしていた。ふいに目が合って、にっと笑われて調子が狂う。かれの手を借りるのはひどく癪だったけれど、状況が状況だから仕方ないだろうか。

「で?どうするんだ」
「まずは凪を無事に城まで送り届けないと。今はどうなってる?」
「あの見るからに怪しい連中を張ってる。数は多いけど路地は知らないみてえだから、こっちのが有利だ」

郁人の手が俺の背中を安心させるようにぽんぽんと叩いた。いつのまにかこの路地裏には何人かの男女混ざった子供たち、それから俺たちと同じような年頃の少年なんかが集まってきている。騎士学校の制服を着ているのが、何人かいた。

「郁人、これ誰ー?」
「おれのともだちだ。いじめるなよ」

まとわりついてきた子供たちに俺が動揺しているのを確実に分かっていて、郁人はそんなことを笑いながらいった。それから数人となにかをぼそぼそと話し始める。ほんとうにかれが東の大公候補なのかと思うくらいには馴染んでいて、俺はまた郁人の知らない一面を知ったような気がしていた。子供たちに名前やらいろいろを聞かれながら、所在なく周囲を見回す。好奇の目線はたくさんあるけれど、敵意はひとつも感じられなかった。

「かっこいーな、王子さまみたいだ!」
「郁人のともだちなんだから、きっと変わり者なんだぜ!」

なかでもこの、俺の腰辺りでわらわらしている子供たちはあけすけにものをいう。なんとなくそれに笑ってしまった。…郁人の頭をぐしゃぐしゃ撫でているあの男は嫌いだけど、この子供たちは嫌いではない。そんなことを思う。

「…凪、いこう。ちょっと狭い道を通るけど、我慢してくれ」

それから子供たちをべりべり引き剥がして、郁人が俺に手を差し向けてくれた。今度はわらわら列になってついてくる子供たちに道順を説明しながら、路地裏のさらに裏へと回る。

「洸、そっちは頼む」
「はいはい、任しとけ」

かれは木刀を足先で蹴りあげて、それを軽く掲げて答えた。えっマジで郁人って帝都学校の生徒だったの、とか俺がびっくりするようなことを言いながら、何人かの年嵩の少年たちがそのそばに並ぶ。なんとなくそれを眺めていたら、郁人に笑いを含んだ声で名前を呼ばれた。

「あいつら、凪が皇子だって知ったら腰抜かすかもな」
「…楽しんでるだろ、郁人」

子供たちが、迷う様子もなく先だって道を駆けていく。どうやら周りに追っ手がいないか合図をくれているらしい。そしておそらく、もう一方のあちらは攪乱だ。…裏をかいてやろう。その言葉どおり逃げるのではなく攻撃をしかけるらしい。まったく郁人の考えていることは、俺なんかにはぜんぜんわからなかった。

「楽しいに決まってるだろ!」

…でも、郁人のそういうところが、たまらなく好きだと。俺はそんなふうに思ってしまうのだから、きっとかれに相当毒されている。





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