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心象レアリズム




予算案の見直しも生徒からの要望も片付けて、俺はひとつ息を吐いた。昔からこういう仕事は嫌いじゃないけれど、こうも規模がデカいと緊張してしまう。

入学してしばらく経ってこの特異な学校のシステムにもようやく馴染んできた。来年からは俺の当初の目的どおり俺様生徒会長になれるよう、今のうちにやるべきことはたくさんある。こういった仕事に慣れるのもそのひとつだった。

「じゃあこのリストにあるもの、よろしくね」

現生徒会副会長はどこかの花道の家元の出である和風美人だ。男に興味がないうえにマニュアルを読んでいる俺でさえ微笑みかけられて嬉しいと思うんだから周りはメロメロだろう。麻里に状況をレポートしたところかれには会計のチャラ男とフラグが立っているらしい。もったいない。

「わかった」
「悠里はちゃんと働いてくれるから嬉しいよ。ところであのバ会計がどこで油売ってるか知らない?」

もう少しこの学園にいたら俺はフラグを目視できるようになる気がしてならなかった。チャラ男会計も美人副会長もマニュアルの登場人物欄にしっかり記載されていたしな。我が妹ながら恐ろしい。

俺は柳眉を寄せている副会長にそれ以上なにもいわず、リストだけもらって何くれとなく出入りしている生徒会室を出た。入学してすぐあの副会長に声を掛けられてなんとなく仕事を手伝うようになって、いまではすっかり仕事も板についてきている気がする。備品部屋で判子の朱肉とついでに風紀委員のだれかから委員長の居場所を聞いてこいという若干難度の高い依頼だったけど。

風紀委員っていうのは生徒会の対になるような存在だ。その委員長は真面目そうな堅苦しい人なんだけど、その分いつも学園を歩き回って取り締まりをしているから所在を掴みにくい。それを探すには、風紀委員を捕まえるのが1番だった。

ひそひそ噂をされながら(あの人が悠里か、とか、あれが次期会長、とか)廊下を歩いていると、俺はやっぱりこの学園は特殊だなあ、と思う。だいぶ慣れたけど注目されるのはあんまり得意じゃないから目を伏せた。ピアノのある音楽室に引きこもりたい。

麻里の弾く旋律も好きだけど、俺は母さんのピアノが好きだった。繊細で優美なあの音色は、小さいころからあまり外で遊びたがらなかった俺の幼少の記憶のほとんどを占めている。

…そういえば。

入学式のあとに、ピアノに触れているところを見られてしまったのを思い出した。うろ覚えの猫踏んじゃったは俺のこの学園での立ち位置に相応しくない。あの無駄にイケメンなクラスメイトはあれから何かにつけず俺のほうをじっと見てくるので困りものだ。ツッコミをいれるならちゃんといれてほしい。

「よーォ、悠里」

…噂をすれば。
備品部屋のまえで遭遇したこの残念なイケメンは雅臣といって、一年生でありながら風紀委員のなかでひとつの派閥を作り上げていると聞く遣り手である。俺が次期会長ならこいつは次期風紀委員長、とそんなふうに言われていた。

「何か用か」
「なにしてんのかな、と思ってさ」
「…備品を取りにきたついでにお前のところの委員長を探している」

そいつは何事もなかったように備品部屋の中までついてきた。正直ちょっと怖い。喧嘩にめちゃくちゃ強い話しか聞かないし。二年生の誰それをのしただとか三年生の誰それとやりあっただとか、周りがいつも噂している。

「あのカタブツ?知らね、また喫煙でも取り締まってんじゃねえの」

しかも役に立たないしな!朱肉を二つ三つまとめてポケットに突っ込んで、俺は平然を装って部屋を出ようとした。さっさとほかの風紀委員を探さなきゃならない。

「…な、待てよ」

ばん、と目の前に長い腕が伸びてきた。思わず身体を竦めて振り向けば、ドアを開けようとした俺の腕を掴んで素早く部屋に鍵を掛けて、雅臣はそのイケメンフェイスになにかんがえてんだかわかんない笑みを乗せている。

えっこれどうしよう。マニュアルにはなんて書いてあったっけ。

「俺とオハナシしよーぜ」
「…退け」

辛うじてそれだけ絞り出して、俺は目の前に突かれた雅臣の腕を引き剥がしてドアに手を延ばした。去年までの俺だったらこういうのに睨まれただけで動けなかっただろうから成長しているのかもしれない。

「待てよ、ツレねェな」
「…ッ」

笑いを含んだ声と一緒に、俺のドアノブに伸ばした手首を掴まれた。こいつからすればほんのちょっとの力なんだろうが俺の腕には筋肉とかぜんぜんついてないし、おまけに痛みに慣れていない。つまりだいぶ痛い!

「俺、お前のことすげェ気になってるんだけど」
「知るか、離せ!」

掴まれた手首をドアに押し付けられる。薄い灰色をした水色にすら見えるその切れ長の目が、緩慢に細められて俺を見た。笑ってる。なにこいつ怖い。

「いつもあんなに涼しい顔してるくせに、こうすれば泣きそうな顔するし。お前わけわかんねェ」

泣きそうな顔、といわれて俺は慌てて表情を引き締めた。このくらいで挫けてちゃ俺様生徒会長なんてほど遠いよお兄ちゃん!とドSな指導をしてきた麻里を思い出す。お兄ちゃん麻里のあんな顔はじめて見たよ。

「お前を知りたい、悠里」

ぞくっとするような低い声で耳朶にそんなセリフを吹き込まれて、背筋がぞくぞくした。身体を強張らせていると、雅臣が困ったように笑う。

「…んな顔すんなよ」
「…離せ」

緩んだ腕を振り払って鍵を開けるのももどかしく俺は廊下に飛び出した。そのまま向かいの空き教室に飛び込むと、目の前に古びたピアノがある。思わず身体の強張りを解いてその前の椅子に座れば、廊下から例の熱っぽく低い、ひどくくすぐったい声が聞こえた。とりあえず鍵掛けとこ。

「こんなに真面目に口説いたのも、フられたのも初めてだ」

知らねえよそんな屈折した愛!と内心で叫んだ俺のことなんてしらないで、雅臣は扉越しにとんでもないセリフを残して笑いながら去っていった。俺が風紀委員長を探すのを諦めて逃げ帰ったのもしょうがないと思う。

「…覚悟しとけよ、悠里」






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