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それからのそれから




「エリオット、出掛けるぞ」

相変わらずレオンハートや侍女達とばかり仲の良い俺の後宮は、それを聞いて目を丸くした。

政務が忙しいせいもあるけれど普段からあまりエリオットに構ってもらえない俺がついに一計を企てたのは、いまからおよそ一週間ほどまえになる。少しずつ仕事を前倒しにしてついに今日、無理を言って完全なる休暇を作ったわけであった。そんなの王に即位して以来初めてなんじゃないかっていうくらいの快挙で、俺はゆうべ自分で自分に少し感動した。

「え、お前今日休みなんじゃないの?」
「休みだからだろう。ほら」

わけがわからずきょとんとした顔のエリオットに手を延べると、完全に話についてきていなかったけれどそれでも俺の手におずおずと掌を重ねてくれる。エリオットは俺との触れ合いに、ほんの少しずつ慣れているようだった。こういう些細な進歩でさえ喜んでしまうくらいには、俺はエリオットに毒されている。

エリオットはどうやら毎朝の日課である朝食用のパンを焼きにいこうとしていたらしい。毎朝こんな早くから起きて働かずともいいと俺はいつもいうのだけれど、エリオットはこれを譲ろうとはしなかった。今日の事はエリオットにはなにも知らせていないから、驚くのも当然だろう。…裏を返せば驚かせたかったから、秘密にしておいたわけだ。

「遠乗りだ。…連れて行きたかったんだ、ずっと」
「…遠乗り?」

春の風は暖かいから上着はいらないだろう。路銀も一日の小旅行には十分なくらいには持ったから、あとはこの愛しい後宮を連れ出すだけだ。躊躇いがちについてくるその手を引いて長く清掃の行き届いた廊下を歩きながら、俺は困り顔のエリオットを振り向いて湧き上がる笑みを殺し切れずにいる。

いつも俺はエリオットに振り回されていた。たまには振り回したいと思うのも人情というやつだと思う。

「待て、アル。それってどういう…」
「ふたりで出掛けるなんてこと、ずっとなかっただろう?」

ただでさえエリオットはこの城の中でちょっとした人気者なのだ。美味いパンを焼き、城中の誰も知らない下町の話を教えてくれる面白い青年がいる、そんなふうな噂が俺のところまで届くくらいである。だれもそれが俺の後宮だって知らないあたり、あんまりだと思うけれど。前なんて衛兵にレオンハートの守り役扱いをされていて脱力した。本人も乗り気だから手に負えない。

「…でも、いいのか?せっかく休めるのに」
「俺がそうしたいんだ。…いやか、エリオット」

相変わらずエリオットは俺のなかでの自分の価値をちっともわかっちゃいないようだ。エリオットを後宮に据えてから一年とすこしも経ったくせに、この城のなかでいまだに俺が迎えた後宮とエリオットが結びついていないのも、エリオットがそんなそぶり一つ見せないせいである。

「…俺は、嬉しい」

ぎゅ、と僅かにただ包み込むようにしていたエリオットの手指に指先を握り返された。それが嬉しくてのどの奥で笑えば、エリオットがくすぐったそうに肩を竦める。それだけで俺は幸せだ。

思えば俺は、エリオットが楽しそうにしてくれさえすればそれでよかった。だからこそ招いた結果がああなのかもしれないけど、まあ諦めるしかないだろう。たぶんこの分じゃエリオットはずっと俺に甘やかさせてはくれない。ちょっと人前で抱き寄せたり髪にキスをするだけで盛大に暴れるのは一年経っても変わらなかった。

「待って無理!怖い!」

お前は王様なんだから、とエリオットはいつも俺にいうくせに、その本人は俺をちっとも王様扱いしてくれないと思う。別にしてほしいとも思わないが、むしろエリオットのほうが王様扱いなんじゃないだろうか。

と、俺は思いっきり背中に爪を立てられながら思う。

「エリオット、前を向けよ。あと痛いぞ」
「ストップ!怖いってば!」

よく手入れのされた葦毛の馬を馬舎から拝借して、エリオットを前に乗せて軽く走ってみている。まだ俺が王子だったころはよく馬で遠乗りに出掛けていたものだけど、王に就任してからはさっぱりだった。だけど意外となんとかなりそうである。

下町ではやはり馬は荷台を運ぶものであるらしく、エリオットは馬に乗ったことがないという。身体を捻って俺の胸に頭を突っ込んで、さっきから悲鳴を上げていた。従順で利口な馬は大人しいもので俺が軽く手綱を引くとすぐに足を止めた。衛兵がそろそろこちらにも見回りにくるだろうからさっさと城外まで走ってしまいたいけれど、エリオットを胸にくっつけたこの状態ではまともに手綱を操れそうにない。

「…本当に落ちないのか?これ…」
「ちゃんと掴んでいてやるから」

恐る恐る俺の胸から頭を上げたエリオットの腹に片腕を回し、ゆっくりと再び馬を歩かせる。大丈夫だろ?と聞いてエリオットがかくかくと何度か頷いたのを確かめて、俺は一つ馬の腹を蹴った。うずうずしていた馬が、まるで放たれた矢みたいに走り出す。

「うわあああ!」
「馬術の訓練は好きだったからな、安心して掴まってろ」
「は、速い!速い!」

手綱を繰って跳ね橋の降りた城門を一気に走り抜ける。ひどく足の速い馬だった。城下町に出るのとはまた違う道を駆け抜けながら、俺は抱え込んだエリオットの様子を伺う。エリオットは馬のたてがみをしっかり掴んで、なんとか前を見据えているようだった。もうすこし経てば景色を楽しむ余裕も出るだろう。

すこし離れた街へと続くこの森はかつて俺が馬術の訓練で隅々まで駆けた美しい場所だ。緑に溢れ木漏れ日がやさしいこの森を、エリオットも気に入ってくれたら嬉しいと思う。

「ど、どこ行くの?」
「森を抜けて、すこし遠出をしよう。この森もすごくきれいな場所なんだ」

懐かしい森の小道を抜けながら、そんなことを話した。今日エリオットと遠乗りにゆくなんてことは誰にも言っていないから、もう少ししたら城は混乱するに違いないだろう。置き手紙は残してあるけれど、そうでもしないと護衛がついてきそうだったからしょうがない。
お忍びで何処かに行くなんてことはエリオットのもとへ夜に抜け出していたときぶりだから否応なしに胸が躍る。腕の中に大事な人がいるからなおさらだった。

軽やかに駆ける馬鉄の音がリズム良く響く。馬が跳ねるたびにびくりと身体を竦ませるエリオットがなんだかひどく新鮮だった。してやったり、という気分に、そんな見慣れないエリオットをいじましく可愛らしく思うのが重なる。本人に知られたら拗ねられるだろうから、口には出さなかったけれど。

「…な、アル」
「どうした?」

それから、しばらくしてだいぶ慣れてきたらしいエリオットが俺を降り仰いで、あわく微笑んだ。ゆっくり俺の頬に手を延べて、水仕事ばかりするせいで荒れがちなその指で俺の頬に触れる。

「どうしよう、なんかすごくしあわせだ」

ひどくやわらかな声でエリオットがそんなことをいうから、俺は胸がいっぱいになった。ぎゅっとつよくエリオットを抱きしめて、身を屈めてその額にキスを落とす。

「…今日は一日、遠くまでいこう」
「…うん」

深い森の静けさと朝の光が鮮やかで、俺たちはそれきり言葉を失う。だけどそうっとエリオットが手綱を握る俺の手の甲にてのひらを重ねてくれたから、俺の心はひどく満ち足りた。






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