You are the one
「そんなの窓の錠に糸を引っ掛けて窓の外にその端を出しておけば簡単に密室になるじゃないか」
…相変わらずの名探偵さまを横目で見ながら、俺は一つため息をついた。三日ぶりの依頼人が帰ってすぐ、休業の看板を下げた郁人が不満げに唇を尖らせている。
俺からすれば家族しかいない家のなか密室で消えた宝石はなかなかに不思議に思われたものだけど、郁人からすればそうじゃないらしい。間取り図と現場の写真を数十枚机の上にぶちまけて、こうしてご機嫌斜めだ。その後頭部に手を載せてぽんぽんと叩き、相変わらずこの上ない郁人の表情を伺った。
「でも、誰が?」
「大方この使用人と次男坊がグルだな。お互いがお互いのアリバイだが目撃された浴室のなかの人影はどうとでもなる」
しかしまあ、よく回る頭だ。この首都アリアから少し離れた街の豪商は、この間のアルメリカが持ってきた事件の依頼人の古い知り合いであるらしい。消え失せた大きなルビー。時価でいえば家がふたつみっつ建ちそうなくらいだ。金持ちの考えることはわからん。
「密室っていうからワクワクしたのに」
ソファに沈み込んだ郁人がそんなことをいう。こいつのいうこともわけわからん。まあそれはいつものことなんだけど。
「密室を名乗るなら窓に二重錠をかけて扉の下も目張りをしてからいってほしいな」
「それで推理出来るのか?」
「そのくらいでないと張り合いがない」
なんてことをいうんだ。とりあえず郁人の頭を撫でてから、俺はコーヒーでも淹れてやろうかと思って台所に向かう。その俺の背を追うように、郁人の声が聞こえた。
「ほかにもなにか推理するようなポイントはないのか」
「…俺に聞かれてもだな」
「メイドと次男坊は大方デキているんだろう。実家を出奔ついでに駆け落ち資金にルビーをいただいたということかな」
「当たってそうなところが嫌だ」
インスタントにしては香りのいいコーヒーを注ぎながら、俺は肩をすくめる。出奔だとか駆け落ちだとか、当事者だった過去があるせいで妙に居心地が悪かった。
「思えば、おれたちも宝石や宝剣のひとつやふたつ掻っ攫ってくればよかったな」
とんでもないこと言い出した郁人のせいで思わず手元が狂ってコーヒーを手に掛けてしまった。熱い。郁人が何事かと寄ってくるのにかける言葉もないで手を冷やしていたら、郁人が大丈夫か?と心配気な顔をする。お前のせいだ。
「な、なんてこと言い出すんだおまえ…」
「なにをそんなに驚いてるんだ。むかし、いけすかない帝都の貴族の家に忍び込んだことだってあったろ」
あのときは盗られたもんを盗り返しただけだろうとか、そもそも学生の頃の話だろうとか、言いたいことはたくさんあった。どれも言葉にならなかったけど。
「薬もってくる」
ばたばたと走っていった郁人の背中は相変わらず薄っぺらくて華奢なくせに、俺の目にはひどく広くみえる。実際はびっくりするほど細いんだけど。
俺の騎士学校時代の友人、貴族でも騎士でもない平民の子が貴族の子に侮られ軽んじられて母親の形見を奪われたことがあった。そのせいでしばらく、どう奪い返してやろうかと思案をしていた俺や仲間たちはない脳味噌を振り絞っていたわけだけど、結局「楽しそうだな!混ぜろ!」と首を突っ込んできた郁人の計でそれを無事に奪い返したのである。
…あのときは、俺の仲間たち、たいていが平民だったり下級騎士の末裔だったりするやつらに大公さまってのはみんな郁人みたいなのかって詰め寄られて大変だった。あいつが特別なんだといえばすごく羨ましがられて、悪い気はしなかったけど。
「洸、手」
「ん」
痛々しく赤くなった俺の手を取った郁人が、危なっかしい手付きで軟膏を塗り込んでいく。僅かな痛みはあったけれど我慢できないほどじゃなかった。
「あのときはすごく謎解きっぼかった」
「どっちかってと探偵より怪盗だったけどな」
包帯で手を巻かれる。ちっとやりすぎな感じもしたけど、なんとなく嬉しかったから放って置いた。めちゃくちゃに巻かれた包帯を留めた郁人が、一仕事しましたって顔をしている。
「サンキュな」
「ん。気をつけろよ」
郁人は、特別だ。ふつう、騎士ってものは貴族を守護するためにいる。その対象たる立場でこんなふうに、郁人が俺に対するように騎士を扱う人間を、俺は見たことがない。
「いわくつきの宝石は山ほどあるんだから、怪盗のひとりやふたり来てもよかったよな」
「どこの怪盗が天下の東の大公家になんて盗みに入りたがるんだ」
「怪盗ってのは難しければ難しい盗みほど喜ぶものなんだ」
それは小説のなかだけだろうとかいいたいことはたくさんあったけどやめる。こと探偵やら怪盗の美学において、こいつになにをいっても無駄だ。
「もし宝石でも持って来てたら、ここまで怪盗が来たかもしれないのに」
「狙いはそれか」
結局郁人がコーヒーをふたつ淹れてソファのほうまで運んでいった。仕方ない奴だなとかいやに嬉しそうに郁人がいうから、俺は気恥ずかしくてそっぽを向く。
「依頼も解決したことだし、そろそろ大怪盗との対決があってもいいんじゃないか」
「嫌だよ、そんなの。めんどくせえ」
おまえちょっと怪盗に依頼出してこいだとかそういう突拍子もないことを言い出した郁人にいまさら呆れることも出来なくて、俺はとりあえず散らばった依頼書の類を取りまとめることに専念する。コーヒーを飲みながら俺を見ていた郁人が、やけに嬉しそうな声でおまえも助手業が板に付いてきたななんていうから、俺はまあいいかと思ってしまった。やっぱり俺は郁人を甘やかしすぎているのかもしれない。