「あっ、なあなあこの子かわいい!」
アルの膝をばしばしとたたきながら、俺はそのブロンド美少女の写真を取り上げた。ふわっふわの髪もくりっとした目も化粧のせいでなくばさばさしたまつげも、それでいて厭味を感じさせない活発そうな表情もどれをとっても俺好みだ。名前はエリザベートちゃん。なんかお嬢様っぽい名前である。
「ピアノにヴァイオリンにフルートが達者!すごい!」
世の中にはこんなにすばらしい絵に描いたような美少女がいるのか!と俺が大変感動していたら、となりで深々アルが溜息をついた。よくもまあこんなかわいい子の写真のまえでため息をつけるものである。美形に見飽きてるってのもなかなか不幸なのかもしれない。
「…エリオット」
名前だけは上品な俺の名を呼び、アルの長い指が俺の髪を梳く。大事に大事にしてくれてるのがよくわかる手つきだ。それが心地良くてうっとり目を細めながら、俺はエリザベートちゃんの写真を机の上に戻す。その隣にあるのは、俺と同じ黒い髪に黒い目をした女の子の写真。思わずそれを手にとった。
「…それはたしか、東の大陸の豪商の娘だ」
興味深そうな俺に気付いたのか、アルがそう解説をくれる。名前がここら辺では聞かない響きだったことに納得をしながら、俺はふうんとそれに返事をした。サツキちゃん、というらしいそのつやつやさらさらなロングヘアーの女の子は、舞が得意であるようだ。金持ちの娘っていうのが頷けるような、おっとりした上品そうな子。
「でもエリザベートちゃんのほうが好みだ」
って率直に感想をいったらアルに痛くないデコピンをされた。呆れたようにアルが俺からもう一度見ていたエリザベートちゃんの写真を取り上げる。
「そろそろいいだろ」
俺がこうして十枚ほどの写真をためしすがめつ眺めること数十分、軽く目をとおしただけで興味を失ったらしいアルが焦れたように俺の頬を指先でなでた。くすぐったくて首を縮めると、アルの引き結ばれていた唇がほころぶ。
「たいへん眼福だった!」
とつやつやして答えると、ちょっと微妙な顔をされたけど。
俺とアルが、アルの執務室で見ていたこの写真たち。これは世界各地から王宮宛に送られてきたものだ。なんかアルが隠そうとしてたから俺に隠さなきゃいけないものなのか、と詰め寄って水面下の戦闘に勝利し、見せてもらってたわけである。
「ひどいぞ、アル!これをこっそりひとりで楽しもうなんて」
「…エリオット」
「なんて、冗談だって」
やおら真剣な声になったアルをそうあしらって、俺はさっきとは違う目線で写真を見た。俺の好みのエリザベートちゃんは隣国の有力貴族の娘であるらしい。他の女の子も、どちらさまもやんごとない身分だ。それが精一杯きれいに写真に写って、精一杯素晴らしい人となりであることを訴えかけてきている。
「…レオンハートは見るのもいや、というふうだったけどな」
「お前といいレオンくんといい、ほんと損してるよ…」
何を隠そう、これらはレオンくんの元に届いた見合い写真なのだった。
王位継承の次位につくレオンくんの妃ということは、つぎの王妃ということになる。そんな美味しいポジションを得てこの国との関わり合いを深くするために、こうして色んなところから写真が届いたんだそうだ。レオンくんが十五歳になった途端にこれだから、もう少ししたらもっと賑わいをみせるに違いない。
「…これに限っては、俺からあいつに何か言える身分じゃないからな」
俺の頬をてのひらで包み込んで、アルがきらきら笑う。その青い瞳がひどく優しいから、俺の胸は驚くほど高鳴った。
…アルが選んだのは、俺だ。きっとむかしはこれよりもっとたくさん、もっと色んな綺麗なひとの写真が届けられたことだろう。それをひとつも選ばなかったくせに、アルは俺を、俺がいいんだといって選択した。美的感覚の問題なのか趣味の問題なのか、と本気で疑問に思って聞いたら甘ったるくていたたまれない説教をされるので俺はもう懲りている。
「…十五歳で婚約、とか、ふつうなの?」
「レオンは特殊な立場だからな。正式に決めるのはもっとあとになる」
特殊、というのは、ちょうど結婚して王子や姫をたくさん拵えるべきな兄のこいつが一切それをしないと宣言していることをいう。つまり、レオンくんの奥さんは未来の国王の母親になるわけだ。
先の王妃さま…、レオンくんの実母でありアルの育ての母であるひとは、先の王さまがこの国の大臣の娘であった彼女を見初めて娶ったものであるらしい。つまり二代連続でよその国からお妃さまを入れていないわけである。レオンくんをとりまく複雑な立場を再確認して、俺はちょっとせつなくなった。
申し訳ないなあ、と思う。レオンくんだって俺がアルの後宮に入るまえはアルに奥さんを娶ってしあわせに家族を作ってほしいと思っていたに違いないからだ。それを不可能にしてレオンくんに重責を負わせたのは俺である。
…なんだかんだいってアルが俺のほかに誰かを娶ったりすることがない、と信じている俺もまた、ほんとに即物的というか。
「だってさ、アル」
「ん…?」
どこか甘えたような声で、アルが聞いてるんだか聞いてないんだかわかんない返事をした。ほおから顎に唇を滑らされるのがくすぐったい。戯れみたいなそのキスも、もういちいち恥ずかしがって押しのけたり蹴っ飛ばしたりしないようになった。進歩だ。
「これ、お前のお妃にー、ってのも入ってるんだろ」
疑問ではなく確認だった。十五歳になったばかりのレオンくん(天使)のお妃候補にしては、エリザベートちゃんもサツキちゃんもちょっと年上だったから。こういうのってふつう、もっとちいちゃいような子をあてがうものだろう。下町で培ったおばちゃんたちからの知識もたまには役立つ。
ちゅ、と軽い音を立てて触れるだけのキスをした唇が離れた。相変わらず俺にどうしようもなくあまくやさしいアルの顔が、わずかに曇って俺を見る。
俺は、アルにお妃さまや子供が居た方がいいと思うのは当然だと思う。政治的にも、アルのしあわせにも。でもアルは俺がそう言うとかなしそうな顔をするから、俺は口に出さないようにしていた。…俺で、俺だけでアルがしあわせなら、うれしい。うれしいけどやっぱり心の何処かで負い目は消えないでいる。
「エリオット」
「うん」
指先でアルのきれいな金色の髪を弄びながら、俺は言い淀んだアルを促すように返事をした。二つ年下のこのどこかかわいい賢王さまがなにかをいうのを、じっと待つ。
「…さっきの金髪の子がいい、とかいったら、本気で怒るからな」
…思わずぷっと笑ったらそのままアルの胸に顔を押し付けられた。照れたらしい。なにいってんの、こいつ。
「アルさあもしかして、」
「妬いたんだ、察しろ」
おまえが妬いてどうすんの普通逆だろ、とか、言いたいことはあったけどどうしようもなくアルがかわいくなってやめた。なんでこんなに愛してくれるんだろうってくらいに俺にたくさんをくれるアルの背中をぎゅうと抱き締める。
一緒にいるだけでいい、それでしあわせなんだ、と、アルは言ってくれる。好きも愛してるもなにひとつ言葉にできない俺に、その分もたくさん愛をくれる。目が眩んでしまいそうなくらいのしあわせに、俺はどうしていいかわからなくなった。
「たしかにエリザベートちゃんはちょうかわいいけどさあ」
顔をあげたら、む、と口を噤んだアルの顔が目に入る。優越感とアルがかわいいのでにやにやしながらその頬を両のてのひらで挟んだ。
「俺だけでいいんだろ?アル」
それは、アルが俺にくれた言葉だ。俺以外にだれかを後宮に入れるつもりは少しもない、とアルはいった。それを無条件に信じられるだけの愛情も、俺にくれている。
そんなアルと違って、俺がアルにしてやれることはほんとうに少ない。せいぜいパンを焼くのと、こうやってかわいいアルをからかうくらいだ。むしろ逆効果な気がしなくもないけど。
「…当たり前だろう。ほかに欲しいものなんてない」
ほら、こうやってアルは俺をぐずぐず甘やかすような言葉をくれる。たぶん俺はそのうち、この砂糖よりあまいものに埋まって窒息するんだろう。
「じゃあ、ぜんぶやる」
俺がアルにあげられるのは、俺自身しかなかった。…ほんとうはずっと前から、そんなのとっくにあげてしまっているけれど。
なにか言おうとわなないたアルの唇に、ちょん、と軽く触れるキスをした。目を見開いたアルにしてやったり、と思うよりさきに、勢いよく抱きすくめられて息もできなくなるようなキスをされる。愛されているなあ、と俺はひどくこうふくに思った。いつかこのしあわせに窒息して死ぬまで、きっと俺はそう思い続けるのだろう。確信を含んだ予感がした。