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「…俺じゃ、もうここにはいられない」
「兄さんはさ、それでいいの?」

もとの高校に戻る、と柊が言いだしたのは、ちょうど同室者が休学している椋の部屋についてすぐのことだった。涙を拭い終えた柊の瞳が、悲壮なほどの決意を湛えて椋を見据えている。プライドのたかい兄があれほどまで一方的に押さえこまれた挙句に助けられたとあっては深刻な傷を心に負っているだろう、とまでは椋は思っていたけれど、まさかこんなことを言いだすとは思ってもみなかった。

「…俺は強くもなんともない。挙句、悠里とお前を危険な目にまで遭わせた」
「本気で言ってる?」
「本気に決まってんだろ!」

そして、柊のかわりにふたりを守ったのは雅臣だった。助けられる側だったことが柊をひどく傷つけたのだろう。好きだ、守りたいと思った相手を前になにも出来なかったことも。

「結局、兄さんの好きだって気持ちはそんなものだったってこと?」

椋は兄が好きだ。兄にはいつも、幼いころなすすべなく泣きじゃくっていた椋の手をぐいぐいと引っ張っていてくれたような存在であってほしかった。そとに出て遊ぶことを嫌うようになった椋のそばでピアノを弾いてくれた、あのころのように自信に満ちた強い笑顔でいてほしかった。笑っていて、ほしかった。

「…」

黙り込んだ双子の兄を、椋はそれでもなお追い詰める。いまここでかれが学園を離れたら、きっと柊は必ずそれを後悔することになるだろう。かれに後悔は似合わない。そしてなにより、椋は血相を変えて柊を一緒に探し回ってくれた悠里の思いをしっている。

いまは友人としてだけど、悠里は柊を、とてもとても大事に思ってくれているのだ。兄が好きになったのがそんな相手でよかったと思う。この学園を一歩出たら障害に満ちた前途であろうが、椋はそれでも柊にしあわせになってほしかった。

「それでいいの?」
「それしかねえだろうが…!」

柊の腕が伸びて、椋の胸倉をぐっと掴んだ。額が勢いよくぶつかって脳裏に星が散る。感情を押し殺そうとして、押し殺しきれていない柊の声がした。

「ほかにどうしろって言うんだよ、あいつに守られてるまんまで、何も出来なくて…!それだったらいっそ、もうここから居なくなった方がましだ!」
「兄さんの馬鹿!」

椋に兄の胸倉を掴み返すような力はない。だから代わりに、思いっきり大声で怒鳴ってやった。びくりと身体を竦めた柊が、ゆっくり椋の胸倉から手を離す。皺になった制服を軽く伸ばして、椋がまっすぐに兄の目をみた。兄と同じ色をした瞳である。

きっとほんとうは、柊だって分かっている。かれがどうしたくて、かれが何を躊躇っているのか、ほんとうは分かってしまっている。それから目を逸らせなくてそれのことしか考えられなくなるのは、―――好きなのに伝えられなくてもどかしくてつらいのは、きっと柊にとってひどくくるしいだろう。ましてやこんな、かれに守られるようなことになってしまった今ではよけいに。

だけれどそれではいけないのだ。歩き出さなければ、行動をしなければなにも始まらない。マニュアルの頁を捲るだけでは、かれと悠里の物語は動き出しはしないのだから。

「千尋さんのほうが、ちゃんと恋をしてるよ」
「…ッ」
「千尋さんは兄さんのために努力しようとしていたじゃないか」

兄さんは、悠里さんから逃げたいの?

とトドメをさして、椋は立ち上がった。授業はまだまだ続くだろうが今日は自主休校にすることにしていた。新聞部に属する椋は記事の作成に忙しかったりであまり欠席についてとやかく言われない。勉強面は定期考査をしっかりこなしていればなんとかなるものだ。

「…俺だって、ほんとは」
「うん」
「ほんとは、強くなりたい、…悠里のことちゃんと守ってやれるくらい」

学園に現れたイレギュラーの転校生は、この学校を取り巻く問題の悉くを微妙に変化させている。例えば悠里自身。例えば千尋。例えば悠里と雅臣の関係。これから先、悠里に困難が降りかかる可能性は限りなく高い。

きっとかれは越えて行くだろう、ひとりでも、それを。それを支える手は何本もある。柊でなくとも構わないだろう。それでも柊は、悠里のそばにいたい。となりでそれを、支えてやりたいと思う。それがマニュアルから外れてみて生まれた、柊自身の考えだった。

「でも」

けれども、悠里はきっとどんな時でも柊を守ろうとしてくれるだろう。それは「転校生に惹かれる生徒会長」としてでもあるし、「だいじな友達」のためでもある。悠里にとって、演じている普段の顔でも素の状態でも柊は、守るべき対象なのだ。それを痛いほど、さきほどかれに助け起こされたときに感じてしまった。

情けなく歪んだ視界で見えた悠里は、胸が詰まるほど一目でわかる安堵に満ちたやさしい笑顔をしていたから。

「俺に何が出来る?」
「…そんなこと、マニュアルには書かなかったよ。でもわかるだろ?」

ゆっくりと兄が落ち着いて冷静になっていくさまを見守って、それから椋は僅かに笑みを見せる。かれ自身がやりたいことを見つけたら、たくさん手伝ってやれることがあるはずだった。なんだったら氷の生徒会長の生態と称したマニュアルの別冊を作ってやってもいい。なんて、思いながら。

「…悠里の、そばにいて、雅臣より、…あいつより悠里を守れるくらい、強くなりたい」

それはまだ、願望でしかない。それでも確かな意志を持って柊はそれを口にした。満足げに頷いて、椋は柊にかれの携帯を投げ渡す。

「よくできました。…さっき、悠里さんから電話きてたよ」

思わず手のなかの携帯を見た。たしかに受信マークの付いたディスプレイのとなりには、登録された「悠里」の文字が見てとれる。僅かにためらってから、柊は携帯を開いて受信履歴を呼び出した。



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