main のコピー | ナノ
39



長い夢を見ていた。長い、長い夢だ。まだ子供だった自分が選んだ道が正しかったのかそうでないのか、勃発した三国間の戦争のまえで途方にくれてそれを眺めながら岐路の前に立っている。他に取れる道はなかったのか、頭のなかで誰かが囁きかけてきた。なかったといえば嘘になるだろう。みつけられなかった、というのが、正しい答えだ。みつけようとしなかったのかも、しれない。厭な夢だった。心地のよい眠りではなかった。けれどそれは、唐突に醒める。

名を、呼ばれたからだ。郁人、と、泣きだしそうな幼馴染の声に。闇のなかでしゃがみこんでいる幼い日のかれに駆け寄ったところで、目が醒めた。ほおに落ちた涙のあたたかさが、郁人の意識を覚醒させる。

「…洸」

未だ何も言えずにいる洸に、さてどう怒られないですませようかとまだ麻酔のせいで痺れた頭のままで郁人は思案を巡らせていた。呼吸の状況と繋がれている点滴の類から、傷ついた臓器の見当はつく。医者の腕は相当なものだったようで、いまのところ死ぬような気配はない。腹部はじりじりと焼け付くように痛かったが、薬のせいか平気な顔を出来ないほどではなかった。それよりもまず、現在真上5センチにある男をどうにかするほうが先決だろう。

「その、近いぞ。顔」
「…」
「あれか。タイミング悪い時に起きちゃったのか、おれ。リテイクする?」
「郁人」

つらつらと冗談を口にしていると、ついに洸が口を開いた。夢のなかで聞いた声だ。もういちど、郁人の名を呼ぶ。泣きだす一歩手前の、声だった。あやしてやらなくては。それでも泣きだしたら、大丈夫だよと笑ってやらなくては。

「…ごめん」

頬に添えられた手が震えていたから、郁人はひとつ深呼吸をして、それからちいさく吐き出す。それを聞いた洸がぎゅっと眉を寄せ、郁人の頬から手を離した。同時にゆっくりと枕から引き起こされ、ぎゅうと洸の胸に引き寄せられる。へんに腰がねじれて痛い。あと腹も痛い。言いたかったが、つぶれて声が出なかった。

「ごめん」

そして生まれた妙な沈黙を埋めるそれは、郁人の口から出た言葉ではない。心配掛けてごめん、といったつもりが、郁人の口からはむぎゅうという変な声しか出なかった。背骨が軋む。痛い。つまり今のごめん、というのは、と郁人がまだ廻らない頭で考える。

「ごめん、…間に合わなかった」

洸だった。泣き虫のくせに涙声にもならず、ただ押し殺せない感情の端っこが漏れ出た慟哭を、静まり返った病室のなかで零す。郁人はそれきり何もいえなくなった。

後悔はしていない。あそこで凪を守れたのは自分だけだし、凪を庇ったことについては胸を張ってよくやった自分、と言ってやれる。ただ、ただもうすこし実力があれば、こんな無様なことにならなかったんだけどなあと情けない気持ちでいっぱいだった。それが、こうして洸にこんな思いをさせている。じり、と胸が痛んだ。

「あの状況で、お前は十分間に合ってたよ」
「…」
「大体なんだ。悪いのは誰だと思ってる」
「……」
「おれだぞ」
「お前だな」

意見の一致が見られた。十分な収穫だろう。なんて頭のどこかのふざけた部分で考えながら、郁人は強まった腕の力に耐えきれずもう一度むぎゅうと鳴いた。限界を告げるためにその背中をタップする。ようやっと解放されたころには郁人は息も絶え絶えだった。相変わらず馬鹿力である。

「ところで」
「もういい。喋るな。寝てろ」
「――ところでここはどこなんだ?東の街で亡命者たちは喰いとめられたのか?ラインハルトとシオンは?どのくらい経った?」
「ひとの話を聞け」

あわいオレンジの光に照らされて、安堵と不安と焦燥がないまぜになったような洸の顔がよく見える。いつだったか、こんなふうな顔をした洸を見たことがあった。ぼんやりとした思考のまま、郁人は東の街の大公邸、ひろい郁人の部屋の寝台のことを思い出す。流行り病にやられて寝付いたとき、目がさめればいつも洸がこんな顔をして泣いていた。変わらない、と思いかけて、いいや変わったのか、と気付く。ずいぶんと頼りがいのある顔になったじゃないかと言ってやろうと思ったが、続く声は包まれた掌の熱に掻き消された。

「お前は、…俺がどれだけ、心配したと」
「…わかってるよ。わかってる」

かれのなかで自分がどれほどの比重を占めているのか、しらない郁人ではない。それは郁人もおなじだ。自分の中での洸の存在のことを考えれば、逆を推論することは容易い。…だからこそ郁人は、戸惑ったのだ。なんといって謝ればいいかわからないから、だから思考をすることにした。これからのことについて。探し損ねた謎の事も。それから、たくさんの、考えなければならないことについて。

「分かってねえだろ、この馬鹿…」

洸は表情を歪め、それは郁人には、泣きだす寸前のようなそれでいてどこかこちらを安心させようと背伸びをしているような、そんないじましいそれに見えたのだけど、そのくるしそうな表情のままでするりと郁人の輪郭線を撫でる。それからゆっくり、なにかたいせつなものを慈しむようなやわらかい声で囁いた。

「…それで、謎は見つかったのか?名探偵」

郁人はその心地よさに目を閉じて、ゆるやかに笑みを浮かべる。なんだかんだいって洸が許してくれるから、郁人はそれに甘えてしまうのだ。そんなことは分かっているけれどいまさらそれはどうとなるものでもなくて、だから謝罪のことばは胸の中で呟くにとどめておく。

「…謎なんて、ひとつもなかったぞ」

そのことばを聞いて、洸がそうか、と答えた。…目を開けなくともかれがどんな顔をしているかなど、よく分かる。
洸はきっと笑っているに違いない。いつもどおり、ちょっと呆れたような顔をして。




top main
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -