雨を請うひと | ナノ


  7



「よしっ」

威勢よく拳を突き上げ、セツはとりあえず王都までの方角に見当をつけて歩き出す。モンスターといつ出会ってもいいように、柄の中からロングソードを取り出した。回復魔法とくらべたら剣の方はからっきしだったけれど、勇者に選ばれたということはそれなりに潜在能力があるということだろう。試しに剣を振ってみれば、はるか上空を飛ぶ鳥人種の郵便屋の笑い声が聞こえてきた。気恥かしくなってさっさとそれをやめて、編みあげブーツで平原の土を蹴る。

平原は街のなかの森とはまるでちがう。モンスターも獲物として人間を狙ってくるし、怪我をしたらすぐに回復術をかけてもらえる施設だってない。それでもそれの恐怖よりワクワクやドキドキのほうが大きいのは、きっとセツが勇者としての冒険に、昨今の勇者事情なんて関係なく浮かれているからだ。

出来るだけ早く遠くまでいかないと悪魔もといレインに見つかってしまう。かれは強い魔導師だが、魔導師というものは本来ひとりで行動したりはしない。詠唱のときに生まれてしまう隙を誰かにカバーしてもらわなければならないからだ。だから、ある程度探してみつからなかったら、レインはセツを探すことを諦めざるを得なくなるのだ。そのためにセツは、いつも以上に大股に歩みを進めている。

レインは、とてもつよい魔導師なのだと、街のひとはいう。セツはレインの初級魔法しか見たことがないけれど、それでも森のモンスターたちを指一本で蹴散らしてしまえるレインはすごい、と思う。…セツと出会うまえはどんなところで、どんなことをしていたんだろう。何度となく思った疑問は、結局聞けずじまいだった。

…セツと出会う前のレイン。
かれはどんな名前をして、どんな声でその名前を呼ばれていたんだろう。ふっと、そんなことを考える。思えばセツは、レインを出会って数年のことしかしらなかった。レインのほうはいつのまにかセツの両親から、いろんな小さい頃の失敗談を聞いているくせに。

さっそくホームシックになりながら、セツは首を振って頭から悪魔をおいだした。なんだかんだいってひとりっ子だったセツにとってレインは大きな存在だったのだと、改めてそんなことに気付きたくはない。

「あ、よし!」

物陰から飛び出してきた森でも見かけるモンスターに、ひとつ頭を振ってからセツは剣を握って駆け寄っていった。勇者セツレベル1はすこしでも経験値がほしい。飛びかかってくる大きな一角の兎の鋭い爪の一撃を避けて、セツは体勢を整える。剣の柄を両手でつよく握り込んだ。

右足を踏み込み、潜って左足!必殺の切り下げで一角獣を両断すると、すこしばかり力が漲るような気がした。レベルがひとつ上がったらしい。勇者レベル1は勇者レベル2に上がった!と吟遊詩人がパーティにいたならば教えてくれただろう。まだまだたくさんのモンスターと渡り合えるほどのレベルではないけれど足掛かりにはなる。そしてなにより、回復魔法にだけは自信があったから、しばらくはレベル上げに明け暮れるつもりでいた。

「よーし」

拳を固め、セツは再び歩き出す。レベルをあといくつか上げたら、この先の街までいってみようと思っていた。王都とセツの故郷のあいだに位置するその街も、セツはレインが話してくれたことくらいしかしらない。広がる未知は、存分にセツを魅了した。ワクワクで恐怖を押し殺してしまっているセツにいま、怖いものなどなにもない。

「!」

仲間を倒されたせいで気が立っているらしい一角獣が四匹、並んで目の前に現れる。すこし手こずりそうだ、と思いながらもセツは沸き上がるワクワクに胸がいっぱいだった。勇者に選ばれた、その実感がようやっと追いついて来る。

「拘束せよ雷撃」

…セツのそのワクワクを一瞬で凍りつかせるようなつめたい声が、まるで射抜くような鋭さをもってその背中に突き刺さった。思わず身を竦めたセツの、剣を振りかざした両腕を、電気で出来た棘が拘束する。電気など通らないはずの地面から生えた棘に足首を取られ、セツは微塵も身体を動かせなくなってしまった。

悲鳴を上げる間もなく、続けざまに声が響く。頭の何処かではその声の主が誰かなんてわかっていたけれども認めたくなくて、セツは身を竦めて息を呑む。

「貫け」

詠唱省略なんてものじゃないまるでやる気のない号令と共に、セツの頭上を炎で出来た槍が駆け抜けた。四匹の一角獣をまとめて串刺しにした一撃とともに、セツを拘束していた電気の棘が消滅する。思わず膝をついてしまってから、セツは恐る恐る首だけで背後を振り向いた。

魔力の粒子が、目視出来るほどの質量をもってかれを取り巻いているのが見える。それを掌で握り潰し、かれはゆっくりと歩み寄ってきた。セツのもとへ、真っ直ぐと。

「…あ、あの、その」
「……、セツ」

黒いローブが揺れて、かれの長い髪が草原を吹き抜ける爽やかな風に嬲られた。逃げようと無謀なことを考えて立ち上がりかけた勇者セツのそんな抵抗も虚しく、長いレインの足は数歩でセツの前まで歩みを進める。かれのつくりものみたいな綺麗な顔が、ふいに歪んだ。その薄い唇を、吐息が漏れる。

「…怪我は」
「な、ない」
「そうか…」

ゆっくりと大きく深呼吸をしたレインにはいつものような悪魔みたいな性格の悪さはちっともなくて、そのせいでセツはひどい罪悪感に襲われた。危険だとわかっていながらついて来てくれると言い張った兄貴分の顔を、うかがうようにして見上げる。

「…レイン、」
「この俺を謀ろうなんざ、いい度胸じゃねえか」

やっぱり悪魔だった!なんてセツが思ったのも束の間、レインの手がぐいっとセツの襟くびをつかんで引き上げた。無理やり立ち上がらせられて、セツは爪先立ちになりながら身体を捩る。このままでは本当にやられかねない!というセツの本能的恐怖など知らぬふりで、レインはゆっくりとその口元に嗜虐的な笑みを浮かべる。これはまずい、と脳が警鐘を鳴らすけれどかれの腕から逃れるすべはひとつもなかった。

「だ、だって!おまえ、勇者の仲間になんてなりたくないって」
「お前が俺のお守なしでモンスターどもから生き延びられるわけがねェだろうが!」

魔導師のくせに態度のでかくて素行の悪い男に怒鳴られて、セツは身を竦めて黙り込む。レインにとって自分がどれだけの比重を占める存在であるかなどしるべも無いセツには、レインのこの烈火のような怒りの理由がわからないのだ。

「だって…」
「おじさんとおばさんに挨拶もしないでどういうつもりだ」
「…オレは生きて帰ってくる。だからそんなの、そのときでいい」

レインの手を振り払おうとして無理で、セツはちょっと自分の腕力のなさがなさけなくなった。魔導師のくせに!とレインをジト目で睨むと、しんそこ呆れた顔をされる。

「おまえのその根拠のねえ自信はいったいどこから湧いてくんだよ…」
「オレは勇者だからだ!」

諦めたのか呆れたのか、多分後者だと思うのだけれどレインがセツの襟から手を離す。なんとか態勢を整えて、頭ひとつ大きなレインを見上げた。

「どのみちだれかが今の魔王を倒さなきゃだめだ。挑戦するチャンスがあるなら、オレは賭けてみたい」

それはどこにも嘘偽りのない、セツのほんとうの気持ちだった。勇者になって、だれもが出来ないと思っていた冒険を成功させる。そんなのに憧れない男がいるわけがない。その権利があるのなら、セツはそれをやってみたかった。たとえその結果、命を落とすことになるとしても。

面喰ったように目を見開いたレインに、セツはぐっと胸を逸らして主張をした。かれを連れていく気はない。セツの命を掛けた賭けに、かれを巻き込んではいけない。



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