雨を請うひと | ナノ


  5



街の外れから大回りをして平原に向かうつもりだった。家のあるほうとは反対方向の、うっそうと茂る森を抜けて進んでそのまま平原に出る。ユリアには内緒にしておいて、と彼女の母にいうのも忘れずに、セツはたったひとりで勇者としての冒険をスタートさせていた。

街の人は最後まで、セツにとてもよくしてくれた。たくさんアイテムが入るポーチ、しばらく困らないだけの薬草に魔力を微量に回復する飴、それから街で一番防御力のたかい盾もみんなセツにくれたのだ。本当なら剣士になりたかったセツは勿論剣や盾を扱うことが出来るから、見た目だけはいっぱしの勇者の出来あがりである。

「必ず帰っておいでね、セツ」

武器屋の女将に抱きしめられて、セツは母のことを思い出していた。昔は王都に住んでいたという母。今から二十年前に起こった事件の際、当時剣士をしていた父に命を救われたのが縁でかれと結ばれ、父の故郷であるこの街に越してきたのだという。仲のいい両親がよく語る当時のその事件のことは、無論セツもよく知っていた。

王都に、魔王が攻めてきたのだ。

大規模な侵攻というにはそれはあまりに気軽すぎた。ドラゴンに乗った魔王が手勢たった数人を連れて、王都の中心部まで乗り込んできたのは真昼のちょうど市場がにぎわう頃。狙いはなにかといえば、当時の勇者が仲間にしたいと熱望していた「聖女」その人だったという。

類まれな癒しの才を持ち、どんな傷も病気も癒してしまえる白魔法を操ったというそのひとは、王都の神殿に仕えていた。魔王とはいえだれかと争うのは耐えがたいと、勇者の申し出すら断って街で冒険者たちの傷を癒し続けていた、まさしく聖なるひとだったらしい。そしてセツの母は、彼女のもとで見習いとして働いていたのだそうだ。

その日、ドラゴンは神殿の壁を突き破って中へと侵入をした。人々を守る障壁を張っていた聖女の腕を掴みドラゴンの上へと引きずり上げ、そしてゆうゆうと、魔王は城へと戻ったのだという。

その当時の魔王は、いま、セツが倒さんとしている魔王ではないらしかった。かれは聖女を攫ってしばらくして、さっさと王の座を棄てたらしい。それからはひとつの(しかし強大な)魔族として、辺境の山に城を築いて暮らしているらしいと聞く。何度となく聖女奪還のパーティが作られその山に向かったが、悉くが失敗に終わった。それでも負った怪我が一つ残らず治療されていることから、聖女もまだそこに生きているのだろうと言われている。

少女たちが好むラブロマンスのなかに、それをパロディしたものがあった。その物語のなかで聖女は魔王に攫われて、そしてかれと甘く切ない恋に落ちるのだという。なんでそれをセツが知っているかといえば、ユリアがそれにひどく熱中していたせいだ。なんとなく彼女のことを思い出してせつなくなりながら、とつとつとセツは勝手知ったる森のなかを歩いている。

「そういう、カッコよくて面白い魔王ならいいんだけど…」

残念ながら今の魔王は、レベル1の勇者をさっさと片付けてしまう掟破りの空気が読めないやつらしい。セツはひとつため息をついて、ロングソードの柄を撫でた。そのため息はこれからモンスターの大軍に呑まれようとするにしてはあまりに軽かったけれど、本人は対して気にもしていない。勇者はどんな困難だって跳ね返す、とそう信じていた。

レインは怒るだろうか。いつかこの街に戻ってきたときどんなことを言われるか気が気ではない。いや、むしろあいつだったら、途中の街で出会う中ボスとかかもしれない。本人に聞かれたら間違いなく麻痺の呪文でもかけられそうなことを思う。

「セツ!」

声をかけられ、思わず身を竦めた。びくりとなって振り向けば、そこには息を切らせた少女が立っている。ユリアだった。

「ゆ、ユリア、おまえなんで」
「何で勝手に行っちゃうのよ!レインさんは!?」
「レインは連れて行かないよ。オレは帝都で、とびっきりつよくて性格のいい人とパーティを組むんだ」
「馬鹿じゃないの!?あんたひとりじゃ、すぐに殺されちゃうに決まってるじゃない!」
「…お前なあ」

そうズバッと言われてしまえば返す言葉もなくて、セツはやっぱり勝ち気でおてんばな幼馴染をじっとりと見上げた。神官が扱うのはすこしの白魔法と神聖魔法なのだけど、なぜかユリアは剣をぶら下げている。やっぱりこいつが神官って間違ってたんじゃないか?なんて脳天気にセツは思っていた。泣きやんでくれて、よかった。そんなことを考えながら。

「今の魔王は、とーっても強くてとーってもズルいのよ!?馬鹿正直なセツが敵うわけないわよ!」
「そ、そういわれても…」

女の子って現実的だ。勇者なんだからなんとかなる!だけで突き進もうとしていたセツを現実に引き戻しながら、ユリアはその柳眉をぎゅうっと寄せる。泣きだしそうだ。もう泣き顔は見たくなかったから、だからセツはにっと笑う。

「とにかくオレは行くよ。わざわざありがとな」
「…だから、セツ、レインさんは…?」
「アイツは、連れて行かないって」

セツのつかった白魔法が、だれかの命を救った。それはいまよりもっと子供だったセツにとってとても大きな自信を齎した出来ごとだったし、それ以来レインが怪我をしていないことも、かれが救った命を無駄にしていない証みたいでとてもうれしかった。だからセツは、かれに生きていてほしいと思う。出来ることなら両親のそばに、セツのかわりにずっといてあげてほしいとも。

「でもセツ、レインさんはきっとセツといっしょに…」
「アイツ本気で悪魔みたいだからな。ユリアも気をつけろよ」

いつかそしてユリアの恋が叶うなら、それはとても素敵なことだと思う。もう痛みのない胸のあたりをぎゅっと服の上から握りしめて、セツはそんなことを考えた。そしてそのまま、平原へと続く道をふたたび歩き出す。真新しい盾が陽光を弾いてすこしだけまぶしい。

「セツ!」

ユリアの声が、セツを呼ぶ。だけれどセツは、今度こそ振り返らなかった。子供のころ憧れていた勇者は、つねに格好良く街を去るのだ。もしそれが、今生の別れになるとしても。だからセツは、片手を上げてかるく振る。母にも父にも、そしてレインにも別れを告げないままに、そうしてセツは森を出た。

広がるのは、平原だ。むかし迷い出たそこはあの時と同じように、どこまでも青く広がっている。みたことがないようなモンスターがやまほどいて、みたことがないような街があり出会いがある。新米勇者の胸が、希望と期待に膨れ上がる。眼下にある滅びと終焉などすこしも目に入らないかれのその澄んだ瞳こそが、もしかしたら勇者の証なのかもしれなかった。





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