雨を請うひと | ナノ


  3



「遅かったわね、セツ!」

神殿の前で仁王立ちしている幼馴染に迎えられ、セツは思わずじと目になった。さっきまで大わらわで街のあちこちを駆けまわっていたのはどこのどいつだ、と口に出しそうになったところで、視線でそれを黙殺される。レインさんの前で変なこと言ったらどうなるかわかってるんでしょうね?という顔だ。聖職についているくせにこの幼馴染の眼光に勝てる気がしないのは何故だろう。てっきりセツは、彼女が戦士とかそういうのになるんじゃないかと思っていたくらいだ。

「なかなか板についてきたんじゃねーの?」

セツが淡い恋心を彼女に抱いていることなどとっくにお見通しのレインは、だからこそ敢えてよくユリアに構っていた。褒められて耳の先まで真っ赤になっている彼女を見て、セツが頬を膨らませているのを見るのがたのしくてたまらないらしい。セツはそれを知ってしまっているせいで妬くに妬けないわけだった。何もかもこの悪魔みたいな男の思う様になるのはごめんである。

「そんな、まだまだです!レインさんこそ、今回の旅もすごいご活躍だったみたいで…!」

ユリアが嬉しそうに頬を上気させたまま、そんなことをいう。そうなんだ、とそっけなくセツが言えば、レインがなにかをいうよりさきにユリアに脇腹をつっつかれた。

「レインさんはすごいんだから!セツもちょっとはレインさんを見習いなさいよね!」
「お前、幼馴染を悪魔にしたいのか…」

思ったよりも重い肘打ちに身体を曲げて苦痛に呻いていたら、今度はいやにさわやかな笑顔をしたレインに首の後ろを掴まれた。ぎゃあと叫んでそうそうにその手の範囲から逃げ出して、セツはとにかく!と声を張り上げる。前門の虎後門の悪魔は分が悪すぎた。さっさと神託の儀式を始めてしまいたい。

この街で最も大きな施設でもある神殿は、今日も水と緑に満ちてうつくしい。歴史のある建物だが掃除が行き届いているせいで、いつも眩いばかりの白に輝いていた。この街に住むものはみなこの神殿で洗礼をうけたのだ。セツの父も例外ではない。ユリアもそうだ。そして、セツもそうなろうとしている。

ユリアがゆっくりと神殿の扉を開けた。彼女に続いて中へと入ると、数人、神官ではないものの神殿の手伝いをしている大人たちが待っている。てっきり静まりかえった神殿で厳粛に行われるとばかり思っていたので少しばかり拍子抜けをして、セツは知った顔ばかりの大人の顔をまじまじと見る。長老の姿もあった。かれからは、ずっと昔勇者が街に立ち寄ったときにかれら一行を家に泊めたのだと、その話を何十回も聞かされた覚えがある。ちいさいころセツが勇者に憧れていたのは、だいたいが長老の話のせいだった。

誕生日おめでとう、セツ。かれらにそんなふうにあたたかく祝われて、セツは頬を赤らめて頭を下げた。純朴でまっすぐなセツは街のひとにとても愛されている。それはかれの両親の人柄もあってのことだったが、セツがいまどき珍しいくらいに純粋な子供だったから、ということもあった。だからこそかれが神託の儀式を受けるということで、まだ未熟な神官をサポートするために大人たちが集まってくれたらしい。

神託の儀式は、神殿の奥に設置された魔力の込められた水のまえで行われる。神官が祝詞を唱えると神託の精霊が現れる仕組みになっていた。長い絨毯を歩きうつくしいステンドグラスのまえまで進んだユリアの背に続きながら、セツは所在なげに左右を振り仰ぐ。この神殿に入る機会なんてめったになかったからよけい緊張が煽られた。

「あんまキョロキョロすんなよ、笑われるぞ」

後ろからそうレインに囁かれ、思わずぎくりと身体を縮める。わかってるよ、と唇を尖らせてひとつ深呼吸をした。聞きなれたレインの声は、すこしセツを冷静にさせる。

壇上には、儀式に使う祭具が揃っている。おずおずと陶器で出来た桶の前に座り込んだセツのまえに、緊張した面持ちのユリアが立った。ふたりを少し離れた椅子に座り長い足を組んで見つめながら、レインがひとつ欠伸をする。

「では、神託の儀式を始めます」
「よろしくお願いします」

畏まって挨拶をして、セツが水のなかに手を入れた。水面に映る自分の顔が、ひどく強張っているのがわかる。ひんやりとした感覚に身を縮ませるセツの耳に、幼馴染の震える声が入ってきた。

「古より伝わりし神託の精よ、この者、セツの宿命を示したまえ…」

儀礼通りの祝詞を吐き、ユリアが精神を集中させるように大きな亜麻色の目を閉じる。水面から顔を上げてそれをどこか眩しいような思いで見上げながら、セツはみょうな緊張感を紛らわすために顔を廻らせた。すると、僅かに顎を上げたレインと目が合う。に、と口の端を上げてレインが笑った。からかっているようなそれになぜか安心している自分に幻滅をして、セツは再びユリアに視線を戻す。彼女はすでに固く引き結んだ唇を綻ばせ、おずおずと両手を下げたところだった。

「で、できた…」

ほうっとしたように息を吐き、ユリアがその場に座り込む。思わずセツが手を突っこんだままの水を見れば、水面が自然と揺らいでいる。何が始まるのかと目を見開いたセツのまえで、水面の揺らぎが大きくなった。何かが内側から水を押し上げているような、そんなような気さえする。水の突き上げが大きくなり、桶よりも水が盛り上がりはじめていた。

「まずは十六歳、おめでとう」

そしてまるで卵から雛が孵るようにしてついに水から現れたそれは、ちいさな鳥のすがたをしていた。水で出来た透き通るような翼がはためくたびに冷たい飛沫がセツのほおを濡らす。これが精霊か、と初めてみるそれに驚いてぱちぱちと瞬きをしながら、セツは思わずありがとう、と返していた。

「ああ、ああ、きみが!」

そしてその喋る鳥、もとい神託の精霊はうれしそうに囀ると、水桶の上から舞いあがり神殿中を飛び回り始める。あっけにとられるセツが辺りを見回せば、それは大人たちやユリア、レインもいっしょだった。どうやら精霊とはこんなにアグレッシブなものではないらしい、とおぼろげながら理解をして、セツは恐る恐る小鳥に声をかける。

「あの、精霊さん。オレのジョブは…?」

精霊は高らかに囀ると、ふたたび水桶の傍まで戻ってきた。端っこにちょこんと止まって、その瑠璃色のひとみでまっすぐにセツを見る。流れ出す中性的な声に、水を打ったように静まった神殿の人々が聞きいった。

「ごめんね、ついはしゃいでしまったよ」
「は、はあ…」
「長年精霊をやってきたけど、このジョブを出すのは四十五年ぶり二回目だからね!」

なんてなんとなく下世話な口調で言いながら、精霊はその翼を広げて言った。爆発しそうなくらい高鳴っているセツの心臓のことなどお構いなしに、たからかに宣言をする。

「おめでとう、きみこそが救世の勇者だ!」




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