雨を請うひと | ナノ


  2


「で、神託はまだなのか?」
「ちょっと待て!結局これ何の聖水なんだよ!」
「レインくん、お帰りなさい」

掴みかかってきたセツの頭を押さえこみながら、レインはぎゃあぎゃあ騒いでいるふたりを見かねたように窓から顔を出したセツの両親にかるく頭を下げた。ただいまッす、とどこかぎこちなく声をかける。おかえりなさい、と朗らかに迎えられ、どこか擽ったそうにその口元が歪むのを、セツはしっかりと見ていた。

レイン、というのは、かれが親から貰った名ではない。

数年前、セツがかれにやった名前がそれだ。
セツとレインの出会いもそのときで、行き倒れのように森に倒れていたかれを、ちょうど近くを通りかかったセツが見つけて怪我を治療してやったのである。折しもの雨のせいで深紅の水溜りを作っていたかれだが、セツが母から習ったつたない回復術はその流れ出す血を止めて、かれの殺せという呻きを塞いだ。そしてほとんど引きずるようにして家にかれを連れ帰り、セツは残りの治療を母に託したのである。セツが最初に止血をしたおかげで、かれの命に別条はなかった。

落ち着いてからかれに名前を尋ねたセツに、そのときかれは、名前がないのだと言ったのである。だからセツは、かれにレインという名をやった。その日の雨は、ひどく印象的だったから。かれには雨がとても似合うと、そのときにセツは思ったものだ。

それからというもの、行き場がないというレインの事情を深く聞くこともなく、セツの一家はかれを居候という形で、家の傍に立っている父が狩猟道具をしまっていた小屋に住まわせてやっているのである。

かれほどの魔導師が、どうしてあんなに怪我をしていたんだろう?セツはむかしからよく疑問に思っていたけれど、両親に詮索はするなと言い聞かされていたから律儀にそれを守っていた。ただ純粋に、意地悪な兄に対するようなそんな気持ちでレインに接している。そんなセツにずいぶんとレインはひどい悪戯だったりこういう嫌がらせをするのだけれど、とっくにセツも慣れているふしがあった。仲がいい、と周りには思われているらしいのは心外だったけれども。

「…神託はまだだよ。ユリアの準備がまだかかるから、って」

神託をうける神殿は、普段は神官が呪いを解いたり街の冒険者たちが尽きた魔力を回復する場所でもある。しかし神託を受け持つ神官がちょうどいま王都に用事があって留守にしているせいで、普段通りには儀式が進まなかった。なにせ今日セツの儀式を受け持つのは、レインにベタ惚れなセツの幼馴染の少女なのである。

セツより数か月早く生まれた少女は、神託の儀式で神官というジョブを享けた。いまは見習いとして街の神殿で働いているのだ。そんな彼女の初めての大きな仕事が、セツの神託なのである。

「ふーん」
「それでさ、レイン。ユリアが、レインも連れてこいって」

正直なところ気に食わないのだけれど、折角だからレインさんにも見てもらいなさいよ!と彼女に三度ほど念を押されてしまったために忘れたことにすることもできなくて、セツはレインにそう呼びかけていた。長旅のあととは思えない軽装のレインはちょうど、家に入ってローブを脱いでいるところである。長身を包むのは防御力なんて欠片もなさそうな普段着で、まったくこいつはどうなっているんだと毎度になることを思いながらセツはレインの背中をじっと見た。そこには大きな傷が二つ、罰印のように残っているはずである。出会った時の大きな傷を見た時の衝撃を、セツは鮮明に覚えていた。セツが必死に唱えた回復の魔法が、かれの命を救ったことも。

かれが驚くほどの才能を秘めた黒魔導師であるとわかってからというもの、かれは街中の護衛にひっぱりだこだ。簡単な仕事は請け負わないせいでそれほど忙しそうではないけれど、危険な仕事ばかりしているくせに最初のあの時以来、レインが怪我をしているところは見たことがない。それだけ強いのに、なんでこんな田舎町にいるんだろう、とよくセツは思っていた。王都にいっても通用するような強さだと父親が自慢げに話していたからである。

「レインさんが望むなら、この街からの勇者の仲間候補として…」

そんなふうな声すら、上がったことがあった。誇り高き勇者のパーティに入ることは冒険者すべての目標でもある。だから、優秀な戦士や魔法使いには、勇者のパーティ候補としての訓練を受ける施設へ入るチャンスが与えられるのだ。それでも狭き門だが、ふつうに王都で勇者に声をかけられるのを待つよりもずっと確率が高い。田舎とはいえひとつの街だから、この街からも数年に一度候補生を出すチャンスがあった。

「いやだよ、めんどくせえ」

とは、そのときのレインの弁である。レインはあっさりとその提案を蹴ったのだ。あのときほどセツはレインのことがわからなくなったことはない。あれだけ強いくせに、どうして簡単にチャンスを棄ててしまえるのか。そう問い詰めたら、かれはなんともないふうな顔でいったのだ。

「俺は別に、勇者サマのお仲間になんてなりたくねーもん」

勇者、というのもまた、ジョブの一種である。無論それは魔王を倒すためにいる存在だ。ごく稀に勇者というジョブを神託で与えられる者がいる。かれらだけが魔王城へと続く門を開けることが出来るのだという。選ばれた仲間を連れ、そしてかれらは魔王城へと踏み込むのだ。上級モンスターが蔓延る城を攻め、そして凶悪なモンスターを野に放つ魔王を倒すことがかれらの旅の目標でありゴールでもある。無事に魔王を倒した勇者は次の魔王が出現するまで真の勇者として祀られ、名声をほしいままにする。次の魔王が現れたあとは王都で次代の勇者にアドバイスをする役を受け持つのが習わしだった。むかし一度、セツも勇者さまを見たことがある。とても笑顔のやさしい、背の高い人だった。

勇者を目指すものも沢山いた。望んでなれるものではないけれど子供なら一度は憧れるだろう。だが、ここ十数年というもの新しい「真の勇者」は現れていなかった。というのも、今の魔王が凄まじい強さを持っているせいである。例年神託を受け勇者になる若者は一定数いるのだけれど、それの悉くを、魔王の手勢は旅に出てすぐに葬ってしまうのだ。レベルを上げる間もなく、ひどいときには仲間を集める間もなく。それでは勝ち目がない。魔王を倒すためには勇者がいなければ話にならないのだ。だからこそ勇者を守り共に闘う強い仲間が欲されている。そんななかですら協力のきの字も見せないレインは大したものだ、と怒りを通り越して呆れてセツは思ったものだった。

「そろそろ行ってくるよ」
「楽しみね、セツ」
「セツならいい剣士になるさ」

両親がセツの肩に手を乗せる。父の大きな手に頭を撫でられ、セツがはにかんで笑った。セツが幼いころからこれと決めていたジョブは剣士である。剣士とは、戦士ほどの攻撃力は持たないがひとつの属性の魔法をつかうことが出来るジョブだ。小さい頃から母の血のせいか回復魔法が使えたセツには誂えむきのジョブである。あの滅多にセツを褒めないレインでさえ、セツの回復術だけは買っているようだった。

「じゃ、行くか」
「しゃーない、見届けてやるよ」

口ではそんなことをいいながらどこか嬉しそうに、レインが脱いだばかりのローブをまとめて肩にばさりと掛けながら笑った。なんとなくむずがゆいような気分になって、セツは下を向いて頷く。幼馴染が失敗して変なジョブを宛がってくれなきゃいいんだけど、と思いながら、家を出たところで見送ってくれる両親に手を振った。

「いってきます!」

よくよく晴れた、雲ひとつない日のことである。




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