雨を請うひと | ナノ


  9



結局二体の熊のモンスターは、詠唱すら省略したレインの腕の一振りでやっつけられてしまった。晴れてパーティだな、とレインがいったとおりいちおうパーティを組んだことになったから、セツにも経験値が入ってふたつレベルが上がった。勇者セツ、レベル4である。

「…オレだってあのくらいやっつけられた」
「へー」

足もとの小石を蹴っ飛ばしたセツに、にやにや笑いながらレインが相槌を打った。まったくこの悪魔め、と思いながら、果てしなく広がる平原をセツはじっと見据えている。まだまだ次の街まではとおい。王都まで辿りつけば魔王城までシャトルドラゴンが出ているので、それに乗って魔王城へといこうと思っていた。あまり風情はないけれど、魔王城は高くそびえる山のただなかにあるのでしょうがない。

「なあ、レインってシャトルドラゴンに乗ったことある?」
「ああ、二、三回な」
「どんな感じだった?」

ふいに思い立って尋ねると、レインからなんでもないふうに返答がきた。魔王城だけでなく色々なところに運航をしているシャトルドラゴンは、セツもたまに街の上空を飛んでいくところをみたことがある。ドラゴンというものはセツにとって憧れの存在だったのだけど、レインにとってはそうではないらしい。

「追加の料金請求してきやがったけど、ちょっと脅したらタダにしてくれたぜ」
「…やっぱ聞かなかったことにする」

頭のなかで悪魔とドラゴンの力関係がはっきりとしたところで首を振った。やっぱりこいつ、いろいろおかしいと思う。セツが軽い頭痛すら覚えていることなどお構いなしに、レインは大空を振り仰ぐ。手頃なドラゴンでも飛んでいたら王都まで行くのに楽なんだけどな、などど、セツが聞いたら卒倒しそうなことを考えながら。

「…あれ、レイン」
「ん?どうした」

ふいに足を止めたセツがレインを振り向いた。空からかれに視線を戻し、レインは小難しい表情をしたセツに首を傾げる。新米勇者は眉を寄せ、耳をそばだてているようだった。

「…なんか、聞こえない?」

セツの傍まで寄っていって耳を澄ましてみる。何も聞こえない。目を閉じて集中をするセツの表情をなんとなく見ながら、気のせいじゃねえの、といってやろうとした、次の瞬間。

「…!」

びくりとセツの肩が跳ねあがった。それに身構えて、レインはかれを庇うように左右を振り仰ぐ。魔導師のローブがばさりと風にはためいた。

「何か聞こえるのか」
「…音じゃなくて、気配?かも」
「気配?」

うん、とセツが頷く。よくわかんないけど、多分何かの気配がする。そんなふうにセツが不安げな声を出すのを笑ってやらず、レインはその紅玉の瞳をすっと細めた。遥か彼方、平原の地平線の向こうを見つめる。

その「気配」とやらはセツに不安を与えるようで、彼の肩がらしくもなく震えているのを、レインは面白くなさそうに見ていた。

「…噂通り、早すぎるな」
「え?」

セツの手を取って地平線のほうを指し示せば、かれが空色の目を見開いた。地平線が揺らいでいる。…そんなわけがないから、あれはきっと何か動くものなんだろう。思わず後ずさったセツの背中を抱きかかえるようにして、レインが反対側を見てひとつ嘆息。

「さて、どうする?勇者レベル4」

なんてことを言っている間に、目視できるくらいまでそれらが迫ってきた。即ち、見渡す限りのモンスターの大軍である。くらりと眩暈を覚えてセツがよろめけば、レインの腕がその肩を掴んだ。その不遜なる魔導師どのを見上げると、なぜかかれは口元に笑みなど湛えている。なんなんだこいつ、とセツはもういっそ諦めを通り越して尊敬の念すら覚えながら思った。

地響きすら聞こえる。迫りくるモンスターの大軍は勇者ひとり殺すには十分すぎた。全くもってこれでは冒険など始まるわけもない。セツはひとつ、細く長いため息をつく。

「…ほんとに空気読めないんだな、今の魔王」
「…、あれ?セツ、チビって泣くかとおもったけどそうでもねーのな」
「……」

その物言いでいろいろどうでもよくなった。セツは前向きな勇者である。これは勇者に与えられる最初の試練、とそう思うことにして、今度こそ先頭のモンスターの顔まで見えるくらいに近づいてきたその大軍を睨みつけた。これではユリアが泣くのも当然だと思う。…出来れば街からこの様子が、見えなければいいんだけど。思いながらロングソードを抜こうとしたセツの腕を、レインのそれが押しとどめる。

「テレポつかって街に戻るか?」

空間を転移して訪れたことのある街へと戻るその術は、並大抵の術師では使えない中級の魔法だ。中級魔法も難なく扱うらしいレインが涼しい顔でいうのを、セツは唇を噛んで首を振る。

「だめだ。街にこいつらが来たら困る」
「言うと思った」

ぐしゃりとセツの奔放に跳ねる金の髪を撫で、レインが喉の奥で低く笑った。じゃあどうする?とどこか甘い声が、セツのフル回転している頭を見越したように投げかけられる。

「…レイン、テレポ使えるんだよな?」
「ああ」
「お前だけ、さきに街に戻って。オレは走りまわってこいつらを撒いてから、」
「…あのなあ、セツ」

結局導きだせたのはそんなお粗末な回答で、呆れたようにレインがため息をつく。その声がいつものレインの声より数段低く、地を這うような機嫌の悪そうな声だったせいで、思わずセツはびくりと身を竦めた。まわりのモンスターの大軍があんまり怖くないのはたぶんセツの頭の中で、モンスターよりドラゴンがつよく、そのドラゴンより悪魔がつよいという不等式があるせいだろう。

「いいから、早く!」

それでもいつモンスターが襲いかかってくるか分からない状況で、セツは拳を固めてレインに怒鳴る。普段なら触らぬ悪魔に祟りなしなんだけど今はそんなことを言っていられる状況ではなかった。…セツは、レインを道連れに死なせる気は、すこしもない。それをレインが望まないとしても、だ。

「…てめェは、本当に阿呆だ」

呟いたのと同時に、レインの足下にかれの瞳と同じ色をした魔法陣が出現した。じりじりと包囲の輪を縮めていたモンスターたちを牽制するようなところまで、ふたりを中心とした魔法陣が広がる。なんて魔力だ、と思わずセツがよろめくくらいには高濃度の魔力が迸っていた。ほんとうに、なんなんだこいつは。結局逃げ出す時間もなくなってしまって、セツはどうしようもなくてレインを見上げる。この魔法陣は防護なのかそれとも障壁なのかそれすらわからなかった。もしかしたらセツの聞いたことのないような魔法なのかもしれない。

でも、この量のモンスターをひとりの魔導師がやっつけるには無理があった。魔力は無尽蔵ではない。魔力を回復させてやれるようなアイテムは長老に貰った聖水だけで、それだけでは到底この大軍を倒せるわけもなかった。レインの体力だって、そんなにたくさんの詠唱に耐えられるわけがないだろう。

「レイン、何でお前まで…、オレのことはいいから!」
「…黙ってろ」

不愉快そうに顔を歪めたレインが、そういってセツの頭を押さえこむ。魔法陣を前に踏み込んでいいのか、それとも様子を見た方がいいのかと目配せをしあっているモンスターたちを睥睨しながら、レインは冷ややかな声音でいった。

「お前が悪い、セツ」
「ッそんなことわかってる!だけどオレは、お前まで死ぬのはいやだ!」

だから、と言いかけたセツの頭を拳骨でごん、と殴って、レインはレベル4の新米勇者を、愛しくて愛しくてたまらない、というふうな瞳で見下ろす。もちろん頭を押さえて蹲っているセツには、そんな表情を目視することはできなかったのだけれど。

「…勇者になんかならなけりゃ、大人しくしててやったのに」

表情までは見えなくとも、セツの耳に声は届いた。セツが聞いたこともないような、やさしいレインの声は。座り込んだままのセツの目の前で、淡く発光する深紅の魔法陣が、まるで生きた蔦のように伸びてゆく。モンスターの大軍の下を、見渡す限りどこまでも。



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