ごみぶくろ | ナノ

02/18(Sat):<鶺鴒はかく囀り・本編後>


人間にとって獣人の世界は、予想もしなかったことに溢れている。ということは、マヒロの様子を見ていたらすぐにわかった。屋敷へ連れ帰ったかれは零れ落ちてしまいそうなくらいに目を見開いて、茫然と周囲を眺めていたから。高いビルも飛び交う郵便屋も、眩暈がしそうなスピードで駆け抜けていく豹族の運び屋もなにもかも、マヒロには無知の世界のはずだった。

「…カザハヤさま」

古くから仕えている老執事――かれもまた狼族なのだが、にマヒロを落籍したことを伝えに行っているあいだもずっと、マヒロは外を見ていたらしい。美しく手入れのされた庭園の奥にはこの王都のメインストリートが見えるから、かれが目を奪われる理由もすぐにわかった。信号機が変わり、獣人や機械が大量に通りを行き来している。マヒロが思わず感嘆の息を飲むのがわかった。

「…さま、はいらない」
「…む、むりです、そんなの!」

カザハヤさまは、カザハヤさまです。そういってぎこちなく、けれど確かな笑みを見せてくれたマヒロはまだ春華楼の小間使いの服を着ている。かれに見合うサイズの服を仕立ててやらないといけないな、と思いながら、カザハヤはそっとかれに近付いた。

やはりかれの身体は、獣人であるカザハヤとはまるで違う。顔形に違いはないのに、その手に鋭い爪はないし、髪の間から見える耳はまろい。骨も筋肉も、カザハヤのものよりずっと脆い。

「じゃあ、そのうち慣れてくれ」

そう言って、かれの見ていたそとをちらりと一瞥した。どこを見ても獣人ばかりで、無論そのなかには種族ごとに持った特別な力、たとえばあそこの信号機の上に座ってぼんやり町を眺めている鷹の持つ翼という力なんかをつかって時間を過ごしているようだった。マヒロにはそれがない。たとえばこの鋭い爪がなかったら、と、カザハヤはかれと知り合ってからよく考えたものだ。

例えば爪が無いのなら、牙がないのなら、かれはどうやってこの脆く弱い身を守るのだろう?

「マヒロ」

かれの名を呼ぶと、はい、と声を上げてマヒロが身体ごとマヒロを振り向いた。ただでさえ浮世離れした遊郭で生まれ育ったマヒロを眼前に広がる外の世界に連れ出すことが、今更ながら少し怖くなっていた。かれはあれを見て、あれの前に身を晒し、怖がりはしないだろうか?

「…どうだ、外は。怖くはないか」

不安げに尾を揺らすカザハヤを見て、僅かな間、マヒロは黙った。けれど次の瞬間には、見たことがないような華やかな笑顔になる。そんな顔も出来たのかと、カザハヤが驚いてしまうような顔だ。

「…はい!外に連れていってくださるのが、とても楽しみです!」

その言葉がとても意外だったから、カザハヤはちょっと面喰ってしまった。マヒロは楽しげに笑顔を浮かべたまま、窓のそとの世界にまた目を向けている。その横顔が、ひどく明るい。

――カザハヤは、分かった気がした。なぜ人間たちが、力こそ弱めたけれど今も脈々と種を存続させているのかが。春華楼を始めとする遊郭が、もはや傾城と呼ばれるほどにこの獣人の世界において重要な場所になっているのかが。

マヒロの身の裡に息づくのは、たしかにそれだ。その環境への順応性、そして、その前向きな瞳。かれは、カザハヤには到底及びもつかない、そんな強さを持っている。だから、きっと今まで生きてきたのだろう。

「…そうか」

かれの薄い肩を抱き寄せる。また更にかれのことを好きになった気がして眩暈がした。




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