ごみぶくろ | ナノ

01/07(Sat):<やんでれ・遊郭・雰囲気エロ習作>


火照る指が背中を滑る。滴る汗が鎖骨に跳ねる。夕星がまだ昇り切らぬこのうつくしい廓に、風鈴の音がころりと落ちる。紅い紅い廓の格子が、視界の端にゆらめいていた。熱い、暑い、あつい。そればかりが頭を支配する。熱い。痛みを与えられないせいで、正気を保っていられない。このまま融けて消えてしまいそうだ。あつい。ついに声になって転げたそれを、男は小さく笑って拾い上げてくれたようだった。


「…今日は、西瓜が売っていたんです」

薄い浴衣を纏って縁側に手足を投げ出した背中に、男は穏やかな笑いを含んだ声をかけた。食べやすい大きさに切った西瓜を小鉢に入れて、縁側に腰掛けているそばまで運んできてくれる。それに刺さった竹串を手にとって、そうか、とそっけない返事をやった。水分ばかり含んだ甘い果実が、口の中で綻ぶ。普段は包帯に隠されている痣や縄や鎖の手酷い折檻のあとが残る手足を惜しげもなく投げ出して、かれはゆうつづを見上げていた。

「つめたい」

ただ堕ちていく。呑み込みきれなかった紅い果汁が、その病的なまでに白い咽喉を伝って落ちた。隣に座った男はちいさく苦笑いをすると、その紅く甘いしずくを指先でぬぐい取る。躊躇わずに近付いてきた頭が、引き寄せられるように男のその骨ばった指を舐った。たしかにかれの口腔はさきほどとは比べ物にならないほどに冷えている。急にあのあたたかな羽二重布団から抜け出して夜風に身を晒しているのだから、それも当然であろうけれど。赤ん坊のようにちゅうちゅうともう味のしないだろう指を吸って、どうやらかれは満足したようだった。紅く濡れた舌が、もう用はないとでも言いたげに指先を押し戻す。

「…つめたい」

かわりに男の首に伸びた手が、緩慢にそれを抱き寄せる。見つめ合った瞳は誘うように濡れていた。つめたい、ともう一度繰り返して、まるで給餌を待つ小鳥のように目を閉じる。西瓜の果汁で濡れた甘い唇に唇を重ね、男は氷のように冷え切った男の足首を掴んだ。生々しい傷が痛んだのか、円い歯が男の舌に僅かに引っかかる。それに萎縮したように奥の方にわだかまった舌を誘いだしながら、男はそっとその冷えた足を擦った。

「もうすぐ、冬ですよ」

季節外れの西瓜は狂い咲きか何かだったのだろうか。目の前のひとによく似ている。思いながらかれの身体を解放し、熱を取り戻したらしいかれの頬を手の甲でそっと撫でた。初めての日もこうしてここで、西瓜を食べたことを思い出す。

「この傷が癒えたら、ここを出ましょう」
「…、ここを?」
「ええ」

額をこつんと打ち合わせて男が言った言葉を、かれは理解しきれていないようだった。それも当然だろうか。かれは風切り羽を切られた鳥で、ここはかれの鳥籠だったから。紅い檻に阻まれた、かれだけのための籠。両足に残る傷跡は、かれが無様にもがいたあとだった。籠の隙間から伸ばした羽を、踏みつけられた痕だった。それでもまだかれは鳥だった、と僅かな郷愁を含んで男は思い出す。竹串を庭に転げてしまったらしいかれは、その手指で西瓜の欠片を摘まんで口に含んでいた。また身体が冷えてしまう。かわりに背中からかれを抱え込むと、かれは僅かに笑ったようだ。

「…あつい」

とくんとくんと波打つ心臓は、いっそのこと滑稽だろう。そんなことにも気付かずに、小鳥はまだ囀っている。男の言葉など忘れてしまったように、再び夕星を見上げることに没頭していた。…あの部屋、分厚い羽二重に囲まれた紅い格子の部屋からは、あの星がよく見える。そんなことに男が気付いたのは、ごく最近のことである。

「…なあ、」

じっと西瓜の欠片を見つめ、そして声を潜めた小鳥は、そういってひそやかに男の手を取った。じわりとあたたかいそこにそっと火傷のあとがのこる手を重ね、その薄い瞼を閉じる。

「紅は、いやだ」

その白い手を、潰れた西瓜の果汁が滴る。そこに紅い紅い舌を這わせ、そうして小鳥は吐き出した。紅は、いやだ。何度も何度も繰り返した言葉を、今宵もまた。

「…そうですね。赤はあなたには、似合わない」

男はそうやさしく言うと、掌でそっとかれの顔を撫でてやった。瞼よりももっと確かなもので、赤に満ちたこの鳥籠をかれの視界から抹消する。それからそっと振り向いた。紅い格子と燃えるような緋布団、そして畳から壁まで全て紅にまみれた、このかれの鳥籠を。

男はもう知っている。懸命に折れた翼を羽ばたかせようとしていた小鳥を掬おうと手を伸ばし、そしてそれを握りつぶしてしまったのが誰の手だったのか。かれを取り巻くすべての赤を、紅に塗り替えたのは、誰が握る白銀だったのか。知っていて尚、かれはまだ、いつか光を失った小鳥が前のようにきれいに笑って自分の名を囀ってくれると、そのこころのどこかで信じているのだった。





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