私はいつから長谷部をおかしくしてしまったのだろう。前までの長谷部はとっても優しかったはずなのに。私を暗い気持ちにさせることなんて絶対になかったし、ましてや自分がその原因になるなんてあってはならないことだと出陣にだって内番にだって励んでくれていた。なら今目の前にいる彼は誰だ。
「主?なぜそんなに険しいお顔を?」
「だ、って……。長谷部、今なんて?」
「もう、ちゃんと聞いていてくださいよ。主と俺にとって大事なことなんですから」
眉を下げて困ったふりをする長谷部。好きだったこの笑顔も今は私の心をざわつかせるだけだ。
「俺以外の刀を刀解しましょうという話ですよ」
なんでそんなことを言うのだろう。私はお腹の底がちりちりと焦げるような焦燥感に侵されているのに、長谷部はまるで誉を取った時のように嬉しそうに話している。皆大事なのに。そんなこと。
「どうして?と、お思いですか」
長谷部は怪しい藤の瞳を向けてくる。私は答えなかったが、長谷部は気にせず話し出した。
「主と俺が結ばれるのはこの本丸の中でしか不可能なことでしょう。他の連中が邪魔だと、ただそれだけのことです。俺には主以外みんな邪魔なんですよ。今のままだと夜に安心して目合うこともできませんよね?」
ますます訳が分からなくなってきた。まぐわうって、私は長谷部とそんな関係になった覚えはない。恋人でもないのに何をどう結ぶつもりだ。長谷部はまだ止まらない。
「最近は敵の数も減り、それに伴い出陣の頻度だって減りました。主は十分功績を讃えました。もういいでしょう。俺と一緒に幸せになりましょう」
「…待って、長谷部」
「はい?」
「私ちょっとよく分かんない。長谷部と付き合って、ないよね…?それに皆のこと捨てるなんて嘘でも言ってほしくないよ。皆同じくらい大切なんだよ、長谷部だって、」
「主」
びくり、肩が跳ねる。長谷部のこんな低い声は初めて聞いた。何に怒っている?恋人ではなかったこと?それとも私が他に何かまずいことを言っただろうか。
「どうしてそんな意地悪を仰るのです?」
「い、いじわる…」
「俺は主様のために最善を尽くしましたよ?なんでも言うことを聞いてきました。主様に愛してもらうために。こんなに想っているのにまだ足りないのですか。長谷部がいないとダメだと仰ってくれたくせに…!」
「あれは、そんなつもりで言ったんじゃなくて…」
「ではどんなおつもりで?俺の心を弄んだのですか!?」
もう長谷部がなにを言っているのか全く理解できない。私が今まで長谷部に言ったあれこれは長谷部の中で勝手に恋人への甘い言葉に変換されていたのだろうか。そんなの困るし長谷部には絶対に言えないけれどいい迷惑だ。正座したままスラックスの生地を握りしめて俯いていた長谷部は再び顔を上げ、どうしていいか分からず固まる私に縋るような視線を向けた。
「主様、もしかしてわざとそんな酷いことを…?そうですよね?…はは、悪いお方だ。主様は俺を困らせるのがお好きですもんね?」
黙っていても自分の都合のいいように解釈してしまった。狂ってる。私は本丸の皆が大好きで、大事だ。誰のことだって特別にはできない。長谷部の想いには応えられない。だからいつもの長谷部に戻ってほしいと、甘い私は彼はきちんと説明すれば目を覚ましてくれるとありもしない希望を抱いていた。
「長谷部、あのね、冗談でもなんでもないからよく聞いて。私は長谷部を一番にはできないし、長谷部の特別にもなれない。刀と審神者、神様と人間は一緒にはなれないんだよ」
私は何も悪くないのに何故だかいたたまれなくなって畳から視線が上げられない。長谷部は今どんな顔をしているだろうか。
泣いていたら、そこまでいかなくても悲しんでいたら可哀想だと、顔を上げたのが間違いだったのかもしれない。
長谷部はにっこり笑っていた。不気味だった。瞳をすうっと弓なりに細めた長谷部にはきっと私の言葉は届いていない。怖い。何か絶対的なものと対峙しているようで、指一本動かせない。
「それで…?今更そんなことを言われたって貴女への想いを殺すことはできない。だから最初から言ってるんですよ、邪魔なものは消そうと。手始めに本丸の連中からね」
長谷部は私がなんと言おうが初めからそのつもりだったんじゃないか。意思疎通のできない相手ほど恐ろしいものはない。少しでも距離をとろうと恐怖で固まった筋肉を必死に動かしてずるりずるりと畳の上を下がる。腰が抜けたようにお尻を浮かせずに後退する私は滑稽だろうが、そんなことに気が回らないくらい長谷部が怖い。
「大丈夫ですよ、主様を縛る全てのものを切って差し上げますから。だから……だからね…?俺を選んでくれますよね?」
長谷部が手を伸ばしてくる。掴めと言わんばかりに目の前に差し出された大きな手は、拒むとそのまま刀を握ることになる気がした。ここで首を縦に振らないときっと落とされる。長谷部の腰に差さった冷たい鉄は私の首を難なく落とすことができるだろう。私は知らず知らずのうちに逃げ道を断ち切られていた。
「ね、あるじ」
白い手袋に包まれた手は体温を感じなかった。


お返事はこちらから