梅雨が終わった。連日の雨で普段日当たりのいい本丸も昼間から電気をつけなければいけないレベルで暗く、寝転べば畳が、起きていれば空気そのものが体に張り付くようで不快だった。しかし今ではもうすっかりそんなことは忘れてしまうくらいの猛暑だ。朝から夜まで表示されている太陽のマークに心が躍る。ここで問題が一つ。降り続いた霧のような雨のせいで溜まりに溜まった洗濯物が二つの籠の中で日光を待ちわびているのだ。今日これを全部片してしまわないともう着るもののストックがない人が何人かいる。こんな日に限って手伝ってくれそうな人を皆出陣や遠征に回してしまったことを軽く、いやだいぶ後悔した。今朝の光忠の申し訳なさそうないってきますが再び脳内で再生された。その時。
「あの」
眼帯の彼よりもゆったりとした重い声音が後ろから聞こえた。振り返ると、たろちゃんが今まさに回廊から庭に降りてこようとしている。
「なぁにー?手伝ってくれるの?」
「はい」
「え?まじ?」
「お一人でこの量は大変かと」
滑らかに吊り上がった涼しい目元をじいっと見つめていると首を傾げられてしまった。あざといだなんて言葉も知らないんだろうなあ。これを私たち人間、特に女がやっていたら張っ倒しているかもしれない。
「じゃあ勝負しようか」
「いえ、別にいいです」
「早く干せた方が勝ちだからねー。いくよ、よーいどん!」
意地の悪い私は二つのうちの比較的少ない方の籠を早々に手に取った。人間なんてね、こんなものよ。重すぎて持てないそれをずるずると物干し竿の下まで引きずり早速大倶利伽羅のパンツを干しにかかった。
「負けたら罰ゲームね」
「はあ」
たろちゃんが作業に取りかかったのを横目でとらえた。こうやってなんだかんだと流されてしまうのはあの破天荒なじろちゃんと兄弟だからなのかな。
それはそうとこっちの籠、着流しが多い。和服を綺麗に干すのは難しいのだ。大きくて難解なカタチをしているし、水を吸ったそれは重くて私の二の腕を容赦なく痛めつけてくる。たろちゃん側の物干し竿には順調に洗濯物が干されて、籠の中身は見る見るうちに量を減らしていく。そういえば堀川くんがたまに太郎太刀さんが手伝ってくれるんですーとかなんとか言っていたような気がしなくもない。勝負しなければよかったかも。
結局私が五枚目の着流しに苦戦している間にたろちゃんの籠は空っぽになってしまった。それどころかなんとそのまま自然な流れで私の籠も手伝ってくれた。
「終わりましたね。主よ、その、なんと言いましたかね」
「罰ゲーム?いいよ、できる範囲で煮るなり焼くなり好きにしちゃって」
たろちゃんのことだからたぶん罰ゲームも優しいやつ。なんたって御神刀だからね、神威高まりまくってるもん。
「たかいたかい、させてください」
「なに?」
「昨日、一期一振殿が弟君に頼まれていたのを見ました。たいそう嬉しそうにしていたので、私もやってみたいのです」
「え、この年で?ちょっと恥ずかしくない…?」
「主、勝負でしょう」
「んん…。分かったぁ…」
ほんとは割と本気で嫌なんだけどなあ。観念してたろちゃんが持ち上げやすいように腕を広げると大きな白い手がするりと伸びてきた。少しだけくすぐったい。脇汗の心配をしているとぐっと力が込められ、あっというまに地面から爪先が離れた。待って、これは。
「あ!やばい!高い高い高い!やばい!」
「暴れると危険ですよ」
無意識に否定の言葉を叫ぼうとした口を、私は慌てて両手で塞いだ。下を向いて喚いていると涎が垂れてしまいそうで。たろちゃんの綺麗な顔に涎を垂らすだなんて、腹を切って詫びても足りない。でもほんと、高すぎる…!大きいたろちゃんより高い場所から下を見下ろすなんて、ああ、とんでもない。
あとたろちゃんの大きな手に抱え上げられている脇が、自分の重さでちょっと、だいぶ痛い。痩せよう。
「あッ、の…やっぱり怖い!もう降ろして!」
「嬉しくないですか」
「う、んん…」
眉を下げて見上げてくる彼が、少しだけ小さく見えた。きっと単純に私が見下ろしているから、ではないな。やめてよね、こめんねって気持ちになるじゃない。ゆっくり、怪我をしないように慎重に地面に降ろされてから私はたろちゃんに屈んでもらうようにお願いした。
「はい。なんでしょう」
「ありがとね。お手伝いも、嬉しかったよ」
右手をたろちゃんの頭に置いて、数回弾ませる。驚くたろちゃんに構わず頭を撫で続けるとじわじわ頬が色づいてきて、唇も真っ直ぐ引き結ばれてしまった。でもきっとこれは喜んでいる顔だな。
「私たかいたかいよりもこうやって頭撫でられる方が好きだから、次は撫でてほしいな」
「…わかりました」
よし、じゃあ籠を直して一緒に冷たいお茶でも飲んで休憩しようか。季節外れの桜が散っちゃう前にね。


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