朝餉の席で審神者は思い出したように口を開いた。この審神者は誰に何度言われても口にものを入れて喋る癖が抜けないから、審神者の隣に座している近侍の歌仙が眉間に皺を寄せて睨んでいた。
「今日は新しい遠征先に行ってもらいたいのでー、そうだな…みっちゃん、鶴丸、長谷部、蜂須賀、御手杵、蜻蛉切。2軍お願いしていいかな。隊長は鶴丸ね」
「っは!遠征先の人々にも、驚きを与えてくるか!」
「問題起こしたらまじでその羽織2Pカラーにするよ」
「はい」

遠征部隊が出発し、他の連中が各々自由に行動し始めた頃に審神者がふらりと俺の元へやって来た。庭を見ていた俺の隣に腰を下ろし、左肩に背をくっつけて体重を預けてくる。喋りもしないし、顔も見えないから何を考えているのか解らない。仕方なく少し低い位置にあるつむじに向かって話しかけた。
「…なんだ」
「べつにー。凭れてるだけ」
なんなんだ、こいつは。審神者の背中を左腕で押し返して自分の身体を前にずらす。
「お?おっ?」
十分に距離をとってから左腕を離すと、支えのなくなった審神者が畳に倒れ込む音が後ろから聞こえる。驚いた間抜けな声もついでに。
「ひどい!ひどいひどい、みっちゃんにチクってやる!」
「勝手にしろ」
そのみっちゃんはあんたが遠征に出したはずだけどな。横になって、折り曲げた自分の腕を頭の下に持ってくる。後ろでは起き上がる布擦れの音。
「えー、くりちゃん寝るの?」
「………」
「あー…寝ちゃった」
落胆した声を聞きながらゆっくり目を瞑る。どうしてこんなに構ってくるのかは知らないが、こうも話すことを拒絶されたらもう他の奴に当たる他ないだろう。これでいい、これでいつも通り。庭から差す柔らかな光のおかげで瞼を閉じても暗闇はない。白の中で俺は歩く。隣の光忠も歩く。鶴丸も歩く。順調だ、何も不満はなかったのに。
光忠は消し炭になって足元に散った。散る瞬間の悲しげな笑顔は俺に何かを言っていた。鶴丸は風に攫われふわりと消えた。きっと誰かの元に行ったんだ。顔を見る暇もなかった。光忠や鶴丸がまた、いなくなる。どうしようもなく不安で、後ろを振り返ると逆方向に歩いていく小さな背中があった。それも数多の手に招かれるまま遠ざかって、今にも消えてしまいそうだ。振り向け。振り向け。俺の手を掴んでくれ。小さな背中が歩みを止め、走り出した俺を振り向こうとする。そうだ、そのまま。女の髪が流れるように揺れる。一人は嫌だ。焦れったい程時間をかけて振り返る横顔に置いて行くなと叫んだ。
「ッ、は…っ」
眠るつもりはなかったのに、無視し続けている間に眠っていたらしい。何か夢を見ていた気がする。覚えていないが身体の中で騒々しい音をたてている心の臓から察するに、いいものではなかったらしい。やっぱり寝るんじゃなかった。ゆっくり深呼吸をしてからようやっと背中の温もりに気づいた。
「………」
「うくぅ…」
審神者が寝ていた。起き上がって確認したところ、丸まって俺の背中にぴったりと自分のそれをくっつけていたから穏やかな呼吸と俺よりもあたたかい体温が伝わってきていたのだ。あれだけ放ったらかされても他の奴らのところに行かなかったのか、おかしな奴だな。…別にいいが。
そこで障子が静かに開き、伸ばしかけていた右手を引っ込めた。
「おや、君もここにいたのか。道理で探してもいないわけだ。昼餉ができたよ、そこで眠りこけてる子も起こしてやってくれないか」
「ああ」
俺は今何をしようとした?本当に、無意識に手が伸びていた。あのまま歌仙が来なければ一体何に触れていたのだろうか。しっかりと目的を持った右手は今度こそ審神者の肩を掴み、揺り起こしにかかった。
「んー……。なに…」
「飯」
「ごはん…おきる…」
「っふ…ッ、食べ物に釣られて…っ、いつもより寝起きがいいなんて、ふはっ」
歌仙が袖口で口元を隠し、耐え難いというように少し屈んでくつくつと肩を揺らしている。こいつはいつもどれだけ寝汚いんだ。ツボに入ったらしい歌仙から視線を移し、なかなか開ききらない瞼と格闘している審神者を眺めているとごく自然な流れで肩に伸ばしたままの俺の手にそのふっくらとした頬を擦り付けてきた。そして小さく唇を開く。
「おーくりから」
!?!!!??!?!
混乱して前に向き直ると、さっきまで笑いすぎで涙まで滲ませていたとは到底思えないほどに恐ろしく冷めた目に豹変した歌仙が見つめ返してきていた。な、なんだ…。俺は何もしていないだろ。そうは思うが気まずさに耐えられず再度審神者の方を見やるとすでに起き上がって呑気に欠伸までしていた。こいつ。
「ふんふん…歌仙くん今日お魚ぁ?」
「…そうだよ。いい鯵が入ったんだ、一番美味しい時期に食べてあげないとね」
並んで前を歩く二人におとなしくついて行く。審神者が歌仙の隣に行ったことであいつの機嫌も少しは直ったらしい。心底面倒くさい。広間ではもう全員思い思いの場所に着席していて、俺たちを待っていた。食卓を囲む席は特に指定されていないから、いつも隣は違う顔だ。もう場所を取っていた歌仙を抜いて、最後に来た俺たちは必然的に空いている場所に隣り合って腰を下ろした。
「焼きー…?まじー?」
「へえ、不服かい」
「…食べますう」
渋々鯵の開きに箸をつけた審神者を横目に味噌汁を啜る。一生懸命身をほじくり返して骨を抉り取っているが、多くは上手く骨を摘まめず滑った箸と箸がぶつかってパチリと乾いた音を立てていた。
「………」
「ほっ…んん…」
「………」
「んー…。長谷部ぇ…」
とうとう審神者が泣き言を零した。気付けば味噌汁の器は空になっていた。
「…貸せ」
「え…あっ、ありがとうくりちゃん。お箸の使い方上手だね」
魚の身がぼろぼろと散乱している皿を自分の前まで引きずり持って来て尾の方から背骨を剥がす。他の骨よりもまずこっちをやれ。皿の端にできている身がこびり付いたままの骨の行列が倍以上の長さになったところで皿を返してやった。
「…あ、身ほぐしてくれてありがとう!食べれるところ残すと歌仙くん怒るんだよね、分かんないだけなのに」
「何度も教えてるはずだけどね」
「はい、すいません」
こいつは魚を食べるのが下手くそだ。献立に焼き魚が出た時は長谷部が率先してこいつの魚の骨を処理しにくるが、その後こいつが長谷部に黙って必死に手を使って皮から身を削いでいるのを俺は知っていた。骨を取ってもなお、こいつは魚を綺麗に食べられないのだ。誰にも知られていないと思っていたのだろう。皿を突き返した時のこいつの驚きで丸くなった目と、狭まった肩の間の距離に少しむず痒くなった。

夜、しずしずと部屋に入っきた審神者は布団で横になっていた俺の枕元まで膝行してきた。
「夜這いをしに参りました」
「そうか」
「くりちゃんだんだん慣れてきて流すようになってきたね?私がブラック本丸の審神者だったらどうすんの!危機感持ちなよ!」
それはお前だろ。いつもは光忠や鶴丸がいるからいいかもしれないが男の部屋に寝間着で来るなよ。いやあいつらがいても駄目だ。危険だ。
ふいに気の抜けるような掛け声と共に腹部に圧迫感を感じた。いつの間にか審神者が俺の腹に跨っている。本当にこいつは何がしたいんだかよく分からない。
「こんな風に組み敷かれて親には言えないようなことされちゃうんだからね。それを夜這いって言うんだからね」
「退け、重い」
「ひどい!デリカシーのないこと言われた!」
「大体親って誰だ」
「光忠お母さんと鶴丸お父さん」
「あんな親がいてたまるか…」
「年の差結婚したぴっちぴちの新妻光忠さんと見た目も心も若々しいけど年齢はやばい鶴丸さんは一人息子の大倶利伽羅くんの反抗期に悩まされているのです」
「光忠もあまり若くないぞ」
「じゃあ若作りだね」
それを光忠の前で言うなよ、いくら審神者でも絶対キレられるぞと言おうとしたがやめた。俺には関係のないことだから。ああでも光忠とこいつが戯れ合うところは見たくない。きっと鶴丸のところに逃げ込んで光忠から匿ってもらいながら二人で声を潜めて笑うんだろう。俺のところには来ない。それも嫌だ。
ぼんやり審神者を見上げていたら、そいつはハッとした顔つきに変わりいそいそと腹から降りて俺の頭をゆっくり撫で始めた。
「眠たくなった?もう寝る?」
本当は別に眠気は感じていないが頷いて布団をめくった。端に寄って一人分のスペースを空けることも忘れない。一人用の布団だから当たり前に狭いが、審神者くらいならなんとかなるだろう。
「ん?」
「どうした。夜這いに来たんだろう?」
「え、と…くりちゃんが寝るまでいようかなー?と思っただけで、それは冗談?っていうか」
「…帰るのか」
そう言うとバツの悪そうな表情の審神者が布団に潜り込んでくる。のろのろと四つん這いで近寄ってきたのが少しだけ面白かった。寝転がった審神者に掛け布団を掛けてやると寒くもないのに目の下まで引き上げて、チラチラとこっちの様子を伺ってくる。
「ほんとにこんなことしていいのかなぁ…。なんかいけないことしてる気分」
「いけないことするか?」
審神者の息を飲む音が聞こえた。
「えっ、え〜…?くりちゃんえっちー!ははは…」
眉を八の字に垂らして目線を彷徨わせている。明らかに動揺しているその様に自然と口角が緩やかに上がって、冗談だと紡いだ自分の声もいつもより柔らかくなっている気がした。すると審神者は目をこれでもかと見開いた後、一瞬のうちに顔を赤くさせて布団を一気に引き上げ頭まで被ってしまった。俺の布団がない。
「も〜!くりちゃん…っ、も〜〜〜!」
「俺は今夜牛と寝るのか」
「牛じゃないもん、審神者だもん!」
「ああ。おやすみ、主」
電灯の紐を引いて夜を落とす。再び布団に潜るとまた牛が鳴き出した。身体を俺のいない方に向けているくせに背中を擦り寄らせてくるのも、窮屈でやっぱり布団からはみ出る自分の背中もまあ、悪くない。

「倶利ちゃんただいまぁ…。寝てるか、な…」
「おい、どうした光忠。ここで止まるなよ」
俺を部屋に入れないつもりか?なんだ、サプライズか?と最近覚えた横文字をとにかく使いたがる鶴ちゃんに構っていられない程には驚いている。僕らの部屋に、倶利ちゃんの布団に主ちゃんがいる。どういう状況なんだ、これは。
「倶利伽羅!?どっ、え!?」
「鶴ちゃん声!まだ朝早いから!」
「わわわ分かった!けど光忠も声でかいぞ!?」
分かってないじゃん!僕ももう混乱してて上手く身体を制御できないんだよ。大倶利伽羅に腕枕なんかされちゃって、抱き合って一緒の布団で寝てるってことはさ、つまり、二人は目合っちゃったってこと…?
「ん…。うるさい……」
「くりっ、大倶利伽羅、おおお、おはよう…!」
「みっちゃん…?つうまる?おかえり…」
「主、その、これはどういうアレなんだ?ドッキリか?」
「そうね…ドンキはまたこんどね…」
「主…ねむい…」
「くりちゃ…」
「うん」
「んぐー…くるしい」
「うん」
倶利ちゃんが主ちゃんのことを抱きしめながら暫く寝言で会話し合って、二人はまたすぐに眠りの世界へと戻って行ってしまった。倶利ちゃんはうんうん返事してただけだけど。起きたら納得できるまで説明してもらうよ、大倶利伽羅。