茶色い天井の木目。
柔らかい肌触りの小さな布団。
並んで眠る同じ組の友達。
承くんと徐倫ちゃんと仗助はさっき私をいじめてた子たちと喧嘩したせいで怪我をして、今パパが迎えに来ているらしい。
そのおかげで今日のお昼寝の時間は保母さんが不在なため、彼方此方から話し声が聞こえていた。
『ねえ、ひよ子ちゃんって じょう太郎くんたちと かぞくなんでしょ?』
右隣で淡いピンクの布団セットに横になった女の子が、先生がいないのをいいことに小さな声で話しかけてきた。
眠れないらしい。
『うん』
『いいなー。ひよ子ちゃんのきょうだい 全いんかっこいいもんね!』
『うん!だいすき!』
大好き。
お兄ちゃんだってお姉ちゃんだって、キラキラ輝いていてすごく誇らしい。
『でもひよ子ちゃんだけ ちょっとちがうね』
『え?』
左隣の子が真っ直ぐ私の目を見ながら言った。
お喋りがうるさくて起こしてしまったわけではなさそうだ。
その子の目は少し茶色がかっていて、なんだか目を逸らしてはいけないと思わせるものがあった。
『ひよ子ちゃんだけふつう』
『ふつう……?』
『ガチャポンのハズレみたい!』

「………っ」
汗がこめかみを伝って枕に吸収されていく。
起き上がるとパジャマが汗で背中に張り付く嫌な感覚がした。
携帯のホームボタンを押して時刻を確認するとまだ5時48分、私が起きるのには1時間ほど早い。
さっきの夢のおかげで二度寝は無理そうだし、この分泌液に塗れた状態で学校には行けない。
バスルームは空いているだろうか。
「あ、ひよ子だ」
「…はい、ひよ子です。おはようございます、ジョニィお兄様」
「なんだよお兄様って。早起きだなんて珍しいね、今日晴れるはずなんだけどなあ?」
今日はなるべく誰にも会いたくなかったのに廊下に出た瞬間ばったりとはどういうことだ。
神懸かり的タイミングである。
「…たまたまだよ。私お風呂入るから」
「うわ、きったな。昨日入らず寝たの」
「違うよ、失礼な。早起きしたから入るだけ」
「ふぅん」
なんなの、なんでジョニィ朝からあんな毒舌なの。
違う、この我儘な兄はいつも毒舌であった。
制服を抱えて廊下をペタペタ歩いて行くと後ろから声をかけられた。
「なんなのジョニィ。はやくお風、」
「おはよう」
「………おはよ?」
「言い忘れてたから。はやく入ってきなよ臭い」
臭くないわ。
顔をしかめてわざとらしく鼻を摘まんだジョニィがしっし、と追い払うように手を払う。
鼻声でそれだけ言うと、ジョニィは車椅子を押して自室に戻って行った。
なんだあいつ、何しに部屋から出てきたんだ。
暫くぼけっとその場に立っているとジョニィの部屋から何やらぶつぶつ聞こえてきたので物音を立てないように慎重に部屋の前まで行き、扉に耳を近付けて中の様子を伺う。
「なんだよ、魘されてたくせに普通じゃん…」
少し不満そうな兄の声が聞こえた。
心配してくれてたのも部屋に戻る時に耳が赤かったのも、実は気付いていた。
いい事をして照れてしまうところが、あの素直じゃあない兄の可愛いと言われる由縁なのかもしれない。

髪をしっかり乾かしてから廊下に出るとリビングの方が騒がしかった。
もう7時半だし皆起きてきてるなあ、行きづらい。
朝ごはんはコンビニで買って行くことにして、早く家を出るために用意をしようと自室に向かって歩き出したところでリビングのドアが開く音がした。
「ひよ子、おはよう。朝ごはんは?」
うわ、お兄ちゃんだ。
柔らかい声の方に振り向くとそこにはやはりにこにこして私の返答を待っている長男のジョナサン、その人がいた。
「長男」という言葉には「おかん」というルビが振ってある。
誰にでも好かれ、短所すら愛しく思えてしまうこの生きる聖人の兄が、私はどうにも苦手である。
嫌いとかそういうわけじゃあないんだけれど、あの屈託ない笑顔を崩すことしかできない私は心が痛む。
「あー、おはよう…。あの、朝ごはんはいらないの。ちょっとおなかが…」
「え、痛いの?ダメだよ、無理しちゃ!薬飲んで行きなよ!」
「え、あー…うーん…」
「そんなに痛いの…?どうしよう、もう今日は休んだ方がいいんじゃあ…」
「なになにぃ?なぁんかあったわけー?」
心配性で何故か私にだけありえないほど過保護なお兄ちゃんが暴走し始めたところで、次男のジョセフが彼の肩に体重をかけるように腕を回して登場した。
早く!早く学校に行かせてくれ!
「なんでもない!ちょっと今日はおなかすいてないだけで…ごめんね、お兄ちゃん!」
無駄に聡いジョセフに嘘は通用しないので変な探りを入れられる前に、一気に畳み掛けて自室に逃げた。
お兄ちゃんはなんというか、あの図体で捨てられた子犬のようにしょんぼりしていた。
心中で謝辞を述べながら自室でぱぱっと身支度をし、スカスカで軽いスクールバックを肩にかけてまだ騒がしいリビングの前を通る。
別に皆が嫌いなわけじゃあない。
好きだったけれど、私みたいな庸俗な人間は入ってはいけない気がするのだ。
ここは私のような存在が居ていい場所じゃあない。
何故この家に生まれてきたのだろうか、というのが小さな頃から成長した現在まで私の胸の奥まった所に陣取っている疑問である。
ローファーを履いて、コンコンッとつま先を地面へ打ち付ける。
さあ余計なことは考えずに学校へ行こう。
ちょっと今日の朝ごはんは贅沢してデザートもつけちゃおう。

玄関の扉を開けると、今まさにインターホンを押そうとしていた年中クリスマスカラーの派手な出で立ちのチェリー大好き男と目が合った。
「典明!おはよう!」
「やあ、おはようひよ子。丁度君を迎えに来たところなんだ。今日はいつもより早いね?」
「典明典明!今日はあんまりテンションが上がらないひよ子ちゃんに優しいハグをくださいー」
「君、僕と会話する気あるの?」
「ハグー、のりくんハグー」
「もう、しょうがないなぁ…。ハグは承太郎に殺されそうだから遠慮。その代わりコンビニで何か奢ってあげるから、それでいいね?」
「のりくん大好き!」
「はいはい、僕も好きだよ。君のテンション低いは僕には理解できないよ。いつも通りハイテンションじゃあないか」
仕様がないなって風なため息をついて、笑いながら頭を撫でてくる典明と肩を並べて学校へと歩き出す。
昔から「のりくん」と呼ばれるとついつい私を甘やかしてしまう一つ年上の彼は、承くんの幼馴染で小さい頃によく遊んでもらっていたし気を張らなくてもいい雰囲気を醸し出している、気がする。
承くんと一緒にエジプト旅行に行ったり、学校を欠席して一日家でゲームに興じたりしていたから二人まとめて留年して今年は私と同じクラスになったお馬鹿さんだ。
本来なら承くんの友達なのだから一緒に登校すればいいのだけど、朝から元気な女の子達に騒がれるのは疲れるらしく私と一緒に登校するようになった。
承くんは見捨てるつもりか、とかてめーだけ卑怯だとか訳の分からん事をぼやいていたけれど、確かに朝からあの人混みに揉まれるのは疲れると思う。
私は思いがけずに典明と登校できる権利を獲得し、棚ぼた状態である。
「ねえねえ典明ー昨日ね、あの邂逅クエストでドロップしたよ」
「えー、僕昨日は全然だったよ…」
「ひよ子ちゃんはクソゲーマーののりくんよりゲームのセンスがあったみたいですね?」
「…………。悪いことは言わないから謝った方がいいよ?もう奢らないからね」
「ノリクン ゴメンナサイ」
なんとか機嫌を直してくれた典明はその後コンビニできちっとデザートまで買ってくれた。
ついでに今から食べる用に、とアイスも。
パピ子を半分こして、学校の門をくぐると女の子に囲まれた承くんと目が合って、こっちに近付こうと奮闘していたけれどその努力は屈強な取り巻き達に尽く阻まれていた。
承くんと一緒にいると目立つから見捨ててさっさと教室に向かおう。
承くんには悪いけれど、近くにいるとどうしても比べられるんだもん。
はー、やだやだ。
「ねー、典明?今日暇?暇でしょ?」
「拒否権はないですよって風な顔してるね…。まあ暇だけどさ」
「だよね!よかったー。今日典明の家行っていい?ゲームしよ、ゲーム!」
「だよねってなんなの…。どうせ僕は友達少ないよ…」
「んも〜、よしよし。私がずっとのりくんの友達でいてあげるからね、ぼっちなんかにさせないからね」
「いい役買って出てるけど僕のトラウマスイッチ押したのひよ子だからね」
いひひーと笑うと優しく頭にチョップされた。
家族から離れて友達と話しているとすうっと息苦しさが引いていく。
朝の憂鬱な気分はもうすっきりなくなってしまった。
いつからこんな風になってしまったのかはわからないけど、罪悪感はある。
しかし時間をかけて侵食されたこの溝は、そう簡単に埋めれるものではないのだ。


残念、私
(ンンンンッもう!絶対典明とゲームしない!)
(機嫌直してよ、ひよ子。ほらポッキーあげるから)
(………うん)
(餌付け…)