デイダラがポツリと溢した言葉にサソリは珍しく耳を傾けた。
その呟きはどちらかと言えば下らない問題提起の一種で、デイダラにしてもそれは無意識に口に出した独り言の部類であったし、普段のサソリだったら間違いなく無視をしている様な内容だった。
特に意味も理由もなかった。所謂単純な気紛れ。
しかしそれから、サソリはデイダラの指先に触れた。愛欲などでは決して無い。それは日常の、ほんの些細な出来事でしかなかった。

ふたりを包んだ雰囲気は形容し難いものだった。泣きたくなる程に優しくも見え、触れられない程に淡くも見えた。


ネイル


任務を終えたふたりは地方のアジトで忍具の手入れをしている最中だった。
アジトと呼ぶには大袈裟である。規模は小さく、それはまるで幼い頃に夢中で作った秘密基地程度の大きさだった。
取り分け小さな隠れ家の中で、ふたりは各々のテリトリーを保ちながらくつろぎ、お互いがそれを侵す事も無かった。

サソリはヒルコの手入れをしていた。毒仕込みの忍具を入れ替え、傀儡の動きに異常はないか、入念に点検していた。
そのために彼は姿を晒していた。大抵の人間は彼がサソリ本人であることを知らない。丹念にメンテナンスをしている最中の、攻防どちらにも優れたその傀儡を愛用し、日々姿を隠しているためだ。
彼は異様なまでに幼く、そして美しかった。人形を思わせる程に整ったその容姿は、彼が事実そのものである事を言わずとも物語っていた。

その近くでデイダラはせっせと粘土をこねていた。
彼はサソリやその他大勢の忍とは違い、一般的な忍具を使用することはほとんどない。彼は自身のチャクラを練り込んだ起爆粘土を主に使用するからだ。


「あ、あれ……?マジかよ」
「……」
「爪剥げてら」


ふたりの他には誰もいない空間。その中でふと、デイダラは小さく声を溢した。
一心に粘土をこねていた両手、その右の人差し指のマニキュアがいびつに剥がれている事に気が付いたからだ。
縦の亀裂が黒を裂き、爪本来の淡い色をまばらに覗かせていたのだ。


「しっかり塗ったのになぁ、うん」
「……」
「つーかちょっと伸びてんな。……手入れすっか、うん」


思考を隠す事なく口に出し、よっこらせ、と、年不相応な掛け声と共にデイダラは立ち上がった。
サソリを一瞥すると、彼は丁度メンテナンスを終了させ、工具を片付けているところだった。


「ほら」
「え?」
「爪切るんだろ?」


すると、目の前にふわりと爪切りが浮かんだ。デイダラが声を掛けようと口を開いたまさにその瞬間だった。
爪切りへ奪われた視線を再度サソリへ向けてみると、彼は人差し指のみをデイダラに向けているだけだった。それ以上の関心など到底見受けられない。


「……さんきゅ」


しかしデイダラは爪切りを手中に収めると、サソリの元に歩んで行った。
工具を片付け終えた彼の正面に、彼と同じく安座をかいて腰をおろし、指先に爪切りを乗せて右手を差し出した。
サソリは訝り、デイダラを睨んだ。


「何だ、要らねぇのか?」
「いや、そうじゃなくて」
「だったら何だ」
「切ってくれよ」
「は?」
「旦那器用だろ?剥げてんの利き手だし、頼むよ、うん」


些細な事。些細な言葉。そんな自身の些細な時間。デイダラはそれらをサソリが拾い上げた事にただ感動していた。
ほんの一瞬ふたりの思考が重なった事が、ほんの一瞬サソリの時間を、例えそれが指先だけであろうとも奪えた事が、たまらなく嬉しかった。
それが二度とは期待出来ない気紛れであるだろうとデイダラは理解していた。
しかし、だからこそ彼は高揚したのだ。彼は常日頃より儚さを纏う一瞬の中に、何よりもの価値を見出だしている。

後のサソリに対する行動と言葉はもはや無意識に近かった。興奮の末、あまり考えもせず、体と唇が流れる様に辿り着いた。
案の定、脈絡のない展開にサソリは不機嫌に顔を歪めてしまったけれど。彼は過ぎる程に短気だ。


「ふざけんな。忍に利き手もクソも関係ねぇだろ。甘ったれんな。殺すぞ」
「こんくらいで殺されちまったらたまったもんじゃねぇな、うん」
「黙れ。だいたい俺を何だと思ってやがる。人を下僕扱いすんじゃねぇ」
「下僕だなんて思ってねぇよ。うん。つか旦那は人じゃねぇじゃん」


のらりくらりと言葉尻を捕らえたデイダラに、サソリの眉間へは更に深いしわが刻まれた。揚げ足を取られた事に苛立った様子だ。

サソリは盛大な舌打ちを鳴らし、デイダラの右手から乱暴に爪切りを奪った。
気の短いサソリだ。本来ならここで攻撃のひとつでも繰り出しているところなのだが、生憎彼はつい先程メンテナンスを終わらせたばかり。
サソリは決して肉体派でなく、攻撃の際は必ず傀儡を使用する。つまりここでデイダラに仕掛けたら、彼はメンテナンスのやり直しを必然的に強いられてしまうのだ。
ここは地方のアジト。万が一を考えると傀儡に無駄な負担はかけたくない。サソリは苛立ちの中にもしっかりと冷静さを携えていた。
デイダラが折れる素振りはない。それなら爪の手入れをしてしまった方が、傀儡のメンテナンスをやり直すよりも遥かに楽だ。


「二度目はねぇからな」
「えー」


駄々をこねる様に語尾を伸ばしたデイダラをサソリはもの凄い剣幕で睨み付けた。
苛立ちを押し殺して妥協をしたのだ。調子に乗るなと威圧感だけが伝えている。


「…………分かったよ、うん」


眼光を受け、しぶしぶと言った様にデイダラは唇を尖らせた。そして今度はひやりと指先に触れた感覚に視線を落とした。

サソリの左手がデイダラの右手を取っている。チラリとサソリを盗み見れば、長い睫毛に縁取られた視線がただ真っ直ぐにデイダラの指先を捉えていた。爪の状態を確認している様だ。
程なくしてサソリは薬品を取り出し、布に染み込ませてデイダラの爪を拭った。マニキュアを落としているのだ。
その仕草は器用と言うより、丁寧と言う方がしっくりときた。薬品が爪を通り越して皮膚に触れる事は決してない。
人差し指から小指まで、最後に親指をサソリは拭った。デイダラは爪の上をなぞる感覚と、依然としてひやりとしたサソリの指先に、右手を支配されている。


「そっち」
「え?」


サソリは手を放し、デイダラの左手を顎で指した。デイダラは驚く。


「こっちもやってくれんのか?」
「綺麗なのが片手だけなんてみっともねぇだろ。ついでだ」
「……ありがと、旦那」
「うるせぇ。早くしろ」


抑揚のない声だった。けれどデイダラは心が揺れ、彼にしては珍しく、素直に感謝の言葉がこぼれ落ちた。
そして差し出した左手にサソリは同じ動作を繰り返した。デイダラの爪がゆっくりと露になっていく。黒を拭った両の爪は、とても淡いピンク色をしていた。

続いてサソリは爪切りを手に取り、そのまま左手の小指から順に爪を切った。パチンパチンと、デイダラにとっては聞き慣れた音が響き渡る。
爪の切り方も同じく丁寧だった。サソリの小さな指先がデイダラの指を固定するように添えられて、不要に伸びた部分のみを綺麗に切り離して行く。
親指まで終えると、サソリは切り口を順々にやすりで整えた。


「反対」
「おぅ……」


促されるまま右手を差し出し、親指の爪からパチンと音が鳴り出した傍で、デイダラは惹かれる様に左手の爪をまじまじと見つめていた。
こんなにも綺麗に整えられた自身の爪を見るのは生涯で初めての事だった。
種類は違えど自身も物作りとして、決して不器用ではないとデイダラは自負している。
けれど、別次元だった。サソリの指先は最早器用だの不器用だのという範疇には収まらない。彼の指先はまるで呼吸をする様に美しいものを作り上げる。

そして、音が止んだ。同じくやすりまでかけた後、サソリはいよいよマニキュアを取り出した。仕上げである。
サソリは一旦手を離し、マニキュアを開けた。そして再度デイダラの右手を取ると、小指の爪から順に、黒く、黒く、染めていった。

デイダラは染まりゆく色をただ無言で見つめていた。

サソリによって染められていく。人ならば誰しもが持つ、温もりの証とも言える色が、何ものでもない色に染められていく。
まるで彼と等しく温度を無くしていく様で、デイダラはひっそりとサソリを見据えた。
必然と伏せ目の彼。長い睫毛は揺らがない。
デイダラは右の指先が全て黒に染まるまで、ずっとサソリを見つめていたけれど、その間に彼のまぶたが上下する事は、一度も無かった。


「……爪を切るなんて久方振りだったな」


手を変え、今度は親指からマニキュアを施していたサソリがふと、誰に聞かせる訳でもなくポツリと呟いた。
その後、何事もないかの様にサソリの指先は人差し指へ移り、デイダラの淡い色を染め続けたけれど。

デイダラは見逃さなかった。サソリは笑っていた。
それは微笑みではなく、嘲笑であったのかも知れない。しかしデイダラは依然として何も言えず、何も出来ずにいた。
まぶたを伏せ、口角を優しくつり上げたサソリの表情が、ただ純粋に美しかったのだ。

彼には未だ人間らしさが残っている。
変わる表情。起伏する感情。彼に触れ、その造りを目の当たりにするまでは、彼が人形である事なんて誰も気付きはしない。
事実デイダラも触れ合う指先の冷たさと、決してまばたきの不要なガラス玉に、現状、その事を認識し直したばかりであった。

けれど、デイダラは内側を掻き乱された。
目の前のサソリをきつく抱き締めてしまいたい衝動に、今、駆られている。

サソリの微笑みに心臓の向こう側を揺らされてしまった。
長い年月を共に過ごした今となっては彼の笑顔など、取り分け珍しいものでは無いのだけれど。
けれど、先程の笑みは過去に幾度と無く目にした微笑みや嘲笑などでは決して無かったのだ。


(……っ何なんだよ、うん)


郷愁。
サソリの微笑みを通して、デイダラは全身でそれを感じてしまった。
過ぎ去った日の、遠い日の記憶を、彼はそっと呼び起こしていて。

過去を思い出し懐かしむなんて、そんな事をするのは人だけだ。
ノスタルジーに浸るなど、人以外の何者でもない。

それでも、目の前のサソリは人ではない。紛うこと無く、人形だ。
人形で、人形の筈なのに。


「……終了だ」


サソリの声と共に指先が離れた。デイダラが視線を落とすと、両の爪はやはり、生涯において見た事がない程に美しく仕上がっていた。


「……サソリの旦那」
「あん?」
「ありがと。めっちゃ綺麗だ。また爪やってくれよ、うん」
「冗談じゃねぇ。二度目はねぇっつったろが」


デイダラは口を開く。そして少しの会話を交わしたけれど、本当はこの会話さえも放り出して、デイダラは抱き締めてしまいたかった。今すぐにでも。今からでもサソリを。
しかし、それは決して叶える事は出来ない。マニキュアはたった今塗り終えたばかりなのだ。
もし抱き締めてしまったら。その瞬間、サソリに染めてもらえた指先はいとも簡単に歪んでしまう。
そんな事はしたくなかった。


(早く乾かねぇかな……)


デイダラは見違える程綺麗になった指先へ、そっと息を吹きかけた。
かかる吐息は少しだけ冷たくて、離れたばかりであるサソリの指先をひっそりと彷彿させる。

触れたい。抱き締めたい。デイダラの衝動は増していく。
サソリを見やると、いつの間にかふたりの間には一定の距離が保たれていて、彼はデイダラに背を向け、ヒルコの首の辺りに寄り掛かりながら比較的のんびりとくつろいでいた。
良かった。デイダラは安堵する。ヒルコに籠られたら、彼は中々出て来ない。

もう少し。後少し。マニキュアがしっかり乾いたら。しっかりと彼に染められたなら。
デイダラは想いを内に秘め、己の指先へ息を吹きかけ続けた。

衝動は止まない。





fin





サソリの本体は核じゃね?っていう突っ込みはナシでw





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