ボッスンが部屋を出た直後、椿は自室に戻り、壁ぎわに置かれたベッドに寝転がって尚も苛立っていた。
俯せになって枕を抱え、先程ボッスンがしたように頬を膨らませている。

ボッスンが反対する気持ちも椿は十分理解していた。何故なら椿自身、ボッスンがホストを始める際に同じ事をしたのだから。
だが、自分は結局折れた。それなのに。
こちらの意見も聞かずして一方的に声を張り上げたボッスンの態度に、そして彼自身に、椿は意地にも似た気持ちを抱えていた。


「佐介、入るぞ」


そこへ、ドアをノックする音と共にボッスンの声が椿の元へ届いた。
椿が返事をする前にドアは開かれ、ボッスンが足を踏み入れる。
髪が少し濡れたままの、パジャマを着ている彼。
椿はちらりと彼を一瞥すると、ぷいとそっぽを向いて、ふて腐れた態度を取った。


「怒ってんのか?」
「怒ってなどいない」
「じゃあこっち向けよ」
「うるさい」
「こっち向けって」
「うるさい!」
「佐介!」


椿の張り上げた声を塗り潰すように、ボッスンは椿の名前を呼ぶ。
小さい子供を相手にしたようなそれに、椿はたまらず上体を起こし、ボッスンを鋭く睨みつけた。


「怒ってんじゃん」
「佑助が偉そうな事を言うからだろう!僕の事情も知らずに、聞こうともせず!」
「あ?義理とか言ってたやつ?んなもん関係ねぇって。ダメなもんはダメだ。ぜってぇ認めねぇ。ホストなんか絶対ダメだ」
「……っそういう態度が癪に触るんだ!偉そうにするな!」
「偉そうになんかしてねぇよ!」


勢いのまま言葉を発するふたりには冷静さが失われており、ひたすら自分の意見を押し通す事に躍起になってしまっている。

椿はただ、自分を救ってくれた安形に対して義理を果たしたいだけ。
焼け付くような左腕の痛みから、一心に追い求めていた夢が暗闇に飲み込まれる恐怖から、
そして何より、ひとりぼっちの寂しさから自分を救ってくれた彼に。

一方でボッスンも、椿に意地悪で否定を突き付けている訳ではない。
椿を心から想っているだけだ。
他人に気を遣う行為がどれ程精神力を削り、そして摂取するアルコールがどれ程体力を奪っていくか、椿は知らない。
マニュアルなどない人との交わりを主流とした特殊な職業。
自身が感じた、そして今も尚感じる辛さや痛みを、椿には味わって欲しくないと、ただそれだけを願っている。

交わらないふたりの心の内。
ふたりが並べるのはひたすらに綺麗な平行線だ。


「君がそこまで否定をする意味が分からない!君と同じ事をしようとしているだけじゃないか!」
「だからだよ!ホストなんて許せるわけねぇだろ!」
「何故君は良くて僕は駄目なんだ!横暴だぞ!」
「……っお前の事大切にしたいんだって!」
「……なっ!」
「俺自身しんどいって思う時があんだ!だからお前にはこんな思いして欲しくねぇ!辛い気持ちも苦しい思いもしてほしくねぇんだ!頼むよ、頼むから分かってくれよ……!」
「……でもっ……!」


最後はか細い声で、ボッスンは縋るように椿に囁き、泣きそうに顔を歪めた。
そのまま真摯に椿を見つめる。
椿は思わず言葉に詰まってしまい、視線を下に逸らした。

沈黙。
小さな部屋は居心地の悪いものに変わり果て、気まずい空気がふたりを包む。


「…………っでも……」


だがそれもつかの間。椿の震える声が静寂を切り裂いた。
俯いているせいで表情は窺えない。
何かを言いたげに弱々しく体を揺らす彼に、ボッスンは瞳を丸くして彼の名を呼んだ。


「……佐介?」
「でも、君は……」

「……君は来てくれなかったじゃないか……!」


涙声と共に勢い良く顔があげられ、ボッスンは息を飲んだ。
悲しげに下げられた眉尻。ゆらゆらと濡れた瞳。赤く染まった鼻先と頬。
椿は大粒の涙を零して泣いていたのだ。


「さ、すけ……?」
「痛くて、怖くて、とても寂しかったのに、君は来てくれなかった……!僕は君を何度も迎えに行っているのに、君は……、君は来てくれなかった……!」
「……っ!」
「君のことを、ずっと、呼んでいたのにっ……、佑助を、ずっと、ずっと待っていたのにっ……!」
「……さすけ……」
「安形さんがきてくれなかったら、僕は、ぼくは…………」


椿は包帯の巻かれた左腕を、小さな右手できゅっと握った。
そして再度俯き、依然として涙を零し続ける。

そんな椿を見て、ボッスンは再度、激しい自責の念にかられていた。

包帯の下に隠された椿の傷。
自分はそれを知らない。見ていない。
それがどれ程に深いものなのか、そしてそれがどれ程の血を流したのか、知っているのは自分ではない、安形だ。
椿を救ったのも守ったのも、自分ではなくて安形で。
自分は日頃大切だと豪語している椿を危機に曝し、傷を負わせてしまっただけなのだ。

締め付けられる心。
次第にボッスンの双眼にも涙が浮かび、やり切れない思いから弱々しく唇を噛み締めて椿を見据えた。


「簡単なことではないって、……君を見ていれば、分かるよ。だけど……」
「さすけ……」
「それでもっ、僕は、安形さんに、お礼がしたい。だって、安形さんは、僕を助けてくれたんだ……」
「っ……」
「お願い、佑助。ちゃんと節度は守るから、だから許してほしい。認めてくれ……。安形さんに恩返しがしたいんだ……」


俯いていた顔を上げ、椿は再びボッスンを見据えた。
同じようにぽろぽろと涙を流す兄を、一心に。
ふたりは涙で瞳を濡らしながら、声を押し殺しながら、肩を揺らす。

するとボッスンは、何かを決意したようにまぶたを閉じた。
その後直ぐにそれを開くと、早足で椿の元に歩み寄り、ベッドに上る。
そして正座をして、不思議そうに自分を見つめた椿の眼前に、何かを突き立てた。


「ん!」


それは右手の小指。
膝に置かれた左腕と同様、それはピンと伸ばされており、爪の先は真っ直ぐに天井を仰いでいた。


「ゆう、すけ……?」
「俺が出勤しない日は絶対に出勤しないこと!」
「え……?」
「ひとりで帰らないこと!」
「ゆぅ……、すけ……」
「無理をしないこと!」

「みっつ、守れ!絶対に!」


それは譲歩だった。
条件付きではあるものの、ボッスンは椿の想いを尊重する決意をして、小指を差し出したのだ。


「佑助……」


ボッスンの言葉を、目の前の小指の意を理解した瞬間、椿の瞳にはじわじわと新しい涙が込み上げてきた。
それを乱暴に拭い、椿はボッスンに向き合う。
そして鏡のように同じ体制を取り、包帯の巻かれた左腕の、その先にある細い小指を、ボッスンのそれにそっと絡めた。


「約束な」
「分かった。約束だ」
「佐介はみっつ、守って。俺は、佐介を守るから」
「佑助……」
「今度は、俺が守るから。佐介を……佐介を、おれが……ひぐっ……」
「佑助……?」
「さすけぇ……、ごめんねぇ……。今度、何かあったら、絶対、おれが守るからぁ、ひぎっ、ひっく……」


言いながら顔を歪め、情けない表情でまたも泣き出したボッスン。
椿はどこまでも泣き虫な兄に驚き、呆れつつも、心の奥底に暖かな気持ちが芽生えたのを実感していた。
触れ合う小指の暖かさにとてもよく似ている気持ちを。


「……ひぐっ、ひっく、ひっく……」
「佑助……、ありがとう」
「どういたしましてぇ……」


椿は微笑んでいた。
痛みを共有出来るなら、気持ちも共有出来るのだろう、と。
だからきっと、今この心を満たしているのは、目の前に居る兄の、とめどない愛情であるのだろう、と。

この気持ちを、目の前のボッスンが感じているかなんて、椿には分からなかった。
けれど暖かい。それだけは確かで。

平行線は小指の先で優しく繋がった。
少しいびつで、解けてしまいそうに脆く見えて、だけどそれはとても力強くて。

ふわふわと心を揺らす愛情に、繋いだ指から感じる柔らかな温もりに、ふたりは今、そっと満たされ、包まれている。





fin





こうして椿ちゃんはホストになったのでした!

指切りの仕方が変なのは突っ込まないでw
鏡合わせにしたかっただけだからww双子大好き(^p^)

それと、ここに出て来る愛ってのは家族愛です。
恋愛的なアレでは決してありません。決して。

乙!(爆発)





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