そして漸くボッスンが着替えを済ませ、更衣室から姿を見せた。
締まりのないパーカーと半ズボン姿。
酔い潰れ、更には泣き疲れた為に、足取りは尚も覚束ない。
椿はそんな彼の左手を自身の右手でしっかりと繋ぐと、くせではねている髪を空いた左手で1度撫でた。


「佑助、お疲れ様。さあ帰ろう。安形さんが送って下さるから」
「うん……」
「帰るぞー。忘れもんねぇかぁ?」
「はい。宜しくお願いします」
『同じく』


安形の間延びした声にスイッチと椿は頷く。
そして出入口に向かう安形に遅れをとらぬ様に歩みを進めた。



***



程なくして、3人を乗せた安形の車はボッスンと椿の住むアパートに到着した。


「着いたぞー」
「はい。ありがとうございました。ほら、佑助、降りるぞ」
「ん……」


後部座席で椿の手を握ったまま、魂が抜けたようにもたれ掛かっていたボッスン。
椿は彼に優しく声をかけると、左の扉から車を降りて運転席にいる安形の元へと向かった。


「安形さん、本日は大変お世話になりました」
「いいっていいって。ほんとに真面目だなお前。兄貴とは偉い違いだ」
「はぁ……」
「ま、とりあえず2週間後の夕方6時に来てくれよ。腕厳しかったらもっと後でもいいから」
「了解しました。ご迷惑おかけ致しますが宜しくお願いします」
「あいよ。じゃ、お大事にな」
「はい。安形さんもお気をつけて。スイッチさんも、本日はお疲れ様でした」
『お疲れ様。後同い年だから敬語は要らない。またな、椿。ボッスンw』
「ん……」
「本当にありがとうございました」
「はいよー。じゃあなおふたりさん」


律儀に頭を下げた椿に安形は小さく手を振ると、アクセルを踏み込んで車を発進させた。
曲がり角を曲がって車が見えなくなったところで、椿はボッスンの手をひき、自宅へと戻って行く。2LDKの小さな部屋だ。

部屋に入ると、ボッスンは自室のベッドに沈んで動かなくなった。
しかしこれもいつもの事だ。椿は呆れたようにため息をつくと、着替えを用意してボッスンの傍に歩み寄った。


「佑助、ほら、シャワー浴びないと」
「うん……」
「もう少しだけ頑張れ。ほら、起きるんだ」
「うん……」


ボッスンの生返事に呆れつつ、椿は自身も着替えるため、安形のジャケットを脱いだ。
露になった左腕。包帯のおかげで痛々しさは薄れているものの、麻酔が切れかけているそこからは鈍い痛みが再度滲み始めた。
椿はため息を吐く。そして上半身の衣類をすべて脱ぎさると、安形のジャケットごとそれらを畳み、ごみ袋にしまった。


「……佐介?」
「ん?どうした?佑助」
「おま……、何だよそれ。どうしたんだよ。何で包帯なんか……」


すると、いつの間に起き上がっていたのか、ボッスンが瞳を丸くして佇んでいた。
視線は包帯の巻かれた椿の左腕に注がれている。
事実を知らないボッスン。
負傷を意味するそれに、彼はひたすら驚き、戸惑っていた。


「……先程、少し揉め事があって……」
「揉め事って何だよ、大丈夫なのかよ、一体何があったんだよ」


驚愕によってすっかり酔いが覚めたボッスン。
横たわっていた時とはまるで正反対な強い眼差しと、はっきりとした口調。
そんな彼に椿は隠蔽など無意味だと悟り、有りのままを伝える事に決めた。


「…………君を迎えに行く道中、喧嘩があったんだ。それを止めようとしたら刺されただけだ」
「……っ……!」


あっけらかんとした椿。だが、それとは対称的にボッスンは目に見えて動揺し始めた。
無理もない。今、彼の胸中は激しい焦燥に駆り立てられているからだ。


「……ごめん、ごめん、俺のせいで……。佐介、ごめんな、ごめん…………」


自分のせいで椿が傷付いた。
ボッスンはひたすらに自分を責め、謝罪の言葉と大粒の涙を弱々しく吐き出した。
緩い涙腺はまたしても彼の瞳をゆらゆらと揺らがせ、頬を絶え間無く濡らしていく。
椿は再度泣き出したボッスンに瞳を丸くして、ゆっくりとしたまばたきを繰り返した。
そして何も身に纏っていない上半身がふるりと震えたため、急いで部屋着を着ると、少しの距離を詰めてボッスンの涙を両手で拭った。


「君のせいではないよ」
「でもぉっ……」
「僕が軽率だっただけだ。それに、安形さんに病院へ連れていってもらえたから大丈夫だ。だからもう泣くな。ほんとに君は泣き虫だ」
「うっく……ひぎっ、さすけぇ……」
「大丈夫だから。僕を信じろ」
「ううっ……分かった……」
「それより、早くシャワーを浴びてこい。疲れただろう?」
「うん……じゃ、行ってくる…………」
「ああ」


鼻を啜りながら、ボッスンは椿に促されるままに涙を拭い、着替えを抱えてバスルームへ向かった。
直ぐに崩壊する兄の涙腺に椿は呆れつつも微笑む。
そしてボッスンが椿の横をすり抜け、扉に手をかけたところで、椿は、あ、と、短く声をあげた。


「佐介?」
「そうだ、佑助」
「ん?」
「僕も働くことになったから」
「は……?え、何、おま、バイトすんの?え、何で?必要ねーだろ?」
「必要とか、そういう訳ではなくて、その、何と言うか……、義理を果たしたいんだ」
「義理……?」
「ああ」
「はぁ……?」


聞こえた声に、ドアに手をかけたままボッスンは振り返った。
そして椿の言葉に、訝しげで腑に落ちないと言った態度を見せる。


「意味分かんねぇー……。大体、バイトなんかして勉強は平気なのかよ。結構しんどいと思うけど、俺」
「無理はしないようにするから。学業に響かない様にちゃんと弁える」
「ううーん……」


しかし、椿の眼差しは真剣にボッスンを射ぬいており、
観念したのか、ボッスンは髪をガシガシと掻き乱すと、息をひとつ吐いた。


「……まぁ、お前がやりてぇっつーなら俺は止めねぇよ。良く分かんねぇけど。とりあえず無理はすんなよな」
「ああ。分かっている。ありがとう、佑助」
「ちなみにどこでバイトすんの?ファミレス?コンビニ?あ、カラオケとか?」
「君と同じだ」
「…………は?」
「だから、君と同じ。僕もKaimeiで働くんだ」
「…………………………はい?」


バサリ。
ボッスンの手から、抱えていたパジャマが落ちた。
お互いの目を見つめ合いながらも、ふたりの間には沈黙が流れている。


「……佑助?」


固まり、全く動かなくなったボッスンに、椿は小首をかしげて彼の名前を呼んだ。
しかし無反応。
目と口を開いたまま微動だにしないボッスンに、椿の胸に疑問符が浮かんだ。


「……ゆうすけ?」
「………………せん」
「え?」
「…………許しません」
「は……?」
「断固反対!」
「なっ……!」


ボッスンは真剣な表情でぼそぼそと呟いた後、爽やかな朝には似合わない大声をあげた。
そして椿の元へ早足で歩み寄り、間髪入れずに無防備な両頬を両手でつまむと、真っ直ぐに彼の瞳を見据えた。


「んむっ!」
「お前がKaimeiで働く!?何言っちゃってんの!?スイッチの手伝いでもすんのか!?」
「いや、彼の手伝いではなくて、ホストとして……」
「はあぁ!?おまっ、冗談言うんじゃないよ!ホストなんて俺が許すとでも思ってんのか!?」
「しかし、僕は義理を……!」
「大体お前ホストが何するか分かってんのか!?客と会話するだけじゃねぇんだぞ!?」
「う……」
「固定客掴めるようになるまではずっと客のご機嫌取って酒進められたら気持ち悪くてもたらふく飲んで空気読んで気ぃ使いまくって常に笑顔で居なくちゃいけねぇんだ!空気ヨメ男で仏頂面のお前に出来るわけねぇだろ!」
「なっ……!」
「それにこんなふにふにでぷるっぷるでぷにっぷにの可愛いほっぺが酒でボロボロになるのなんか俺は見たくない!嫌だ!絶対嫌だ!」
「はあぁ!?」
「とにかくだな、お前がホストなんて俺は認めねぇかんな。ダメ!ダメ、絶対!」
「そっ……そんなの勝手だ!何故佑助にそこまで言われなければならないんだ!」
「うるさーい!ダメったらダメ!反論は受け付けないからな!」

「お兄ちゃんは許しません!」


ひとしきり叫んだ後、ボッスンはつまんでいた椿の頬を手の平で挟むようにして捨て台詞を吐いた。
そしてプンプンと効果音が聞こえてきそうな程に頬を膨らませ、椿に背を向ける。
そのまま足早にドアまで移動すると、放置されたパジャマを拾い上げ、ドアの向こう側へと去っていった。


「…………っ何なんだ一体!」


一方的にまくし立てられ、椿にはどこにもぶつけようのない苛立ちが芽生えた。
たまらず柳眉を逆立て、声を張り上げる。
しかしその声は誰に届く訳でもなく、ひとり残された小さな部屋に虚しく反響するだけだった。











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