会長の腕が緩やかに解かれて、俺はゆっくりと会長の方を振り返った。 視線の先で会長は俯いていて、柔らかな夕日が、会長の顔を、俯いたままのその表情を、長い睫毛さえも、オレンジ色に染め上げていた。 オレンジ色に染められた会長はとても綺麗で、とても儚なくて。 時間が巻き戻ってしまったかのような状況に、息が詰まった。 「……会長……」 「……っ」 だけど、今は違う。 たった今、向き合うと誓ったのだ。 一瞬怯えるように肩を揺らした会長へ俺は一歩足を踏み出し、あの時伸ばせなかった両腕を大きく伸ばしてゆっくりと抱き寄せた。両腕にきゅっと力を込める。 指の先から、両腕から、全身から、会長の温もりが伝わってくる。 あまりの愛おしさに先程堪えたはずの涙がせきを切って溢れ出して、俺は会長の左の襟肩に顔を埋めた。 「……かいちょう……」 「……キリ?」 「すみません……っひく……おれ、ばかで……好きです……大好きです……」 「キリ…………」 「……かいちょうの、じゃま、しちゃ、いけないと……おもって……っう……うぅ……」 くぐもった声は情けなくなるほどに弱々しい。 だけど想いの丈を告げながら、俺は愛しくて仕方なかったのだと、淋しくて仕方なかったのだと、改めて自覚した。 そして今度は失いたくないと切に願い、抱きしめる腕に力を込める。 「……すまなかったな、キリ。……そして、ありがとう……好きだ」 会長はそう言って俺の背中に腕を回し、きゅっと力を込めた。 「……かいちょうぅ……!」 愛しさが体中を支配して、溢れ出した。 ずっと触れられなかった空が、こんなにも近くにあるなんて。 俺は襟肩に顔を埋めたまま、ぐりぐりと左右に振り乱す。 会長はそんな俺の背中を、小さな子供をあやすように一定のリズムで優しく叩いた。 「……キリは、泣き虫だな。僕はここにいるから、……もう泣くな」 余りに優しい声色が鼓膜に響く。 会長はそのまま俺の髪に指を絡ませて、くしゃくしゃとやや乱雑に撫でた。 俺はぐすっと小さく鼻を啜り、何度も大きく頷くことで返事を返す。 「……子供のようだな、キリは。……収まったか?」 「……かいちょうは……」 「ん?」 「かいちょうは、空のようです」 「そら?」 変わらない優しい声色。 きっと今、会長の琥珀色の瞳は夕日に照らされて、とても優しく揺れているのだろうと、そう思った。 「空は、太陽も、月も、星も、雲も……、すべてを受け入れます。あなたと、同じ」 「……」 「そして、会長は、青空みたいに強くて、夕焼けみたいに優しくて、雨の日みたいに、ちょっとだけ弱くて……」 「沢山の色彩を持った会長が、俺にはとても眩しいです」 どこまでも澄み渡る大空があなたと重なったのです。 太陽も、月も、星も、雲も、何もかも、すべてを受け入れる空。 どこまでも澄み渡る青色は、常に前を向いて義を貫くあなたの強さのようで。 柔らかに差し込むオレンジ色は、あなたの琥珀色の瞳の優しい揺らぎに似ていて。 そして、青色を遮る分厚い灰色は、その裏側にある心の弱さで。 降らす雨はきっと涙なのでしょう。 「……そらは、からだ」 会長の呟く声が聞こえて、俺は顔をあげて会長の顔を見た。 やはり会長の琥珀色の瞳は、深みのあるオレンジ色に照らされて、優しげにそっと揺れていた。 「……から?」 「空は、からだ」 「……はぁ」 会長の言わんとしていることが分からず、疑問符が浮かぶ。 俺の怪訝そうな表情に会長はくすりと笑って、言葉を続けた。 「……空は、それだけじゃ空っぽだ」 「空っぽ……」 「太陽があって、月があって、星があって、雲があって。それらを包んで初めて、空だ」 「……」 「そして、誰かが見上げることで、誰かが求めることで、空はそこにある意味を持てる」 「僕が空だと言うのなら、それはキリが見上げてくれるからなのだろうな」 会長の言葉に、優しい琥珀色に、視界がじわじわと滲んでいく。 今日で何度目かわからない涙腺の崩壊を、口をきゅっと結んで耐えた。 「……本当にキリは泣き虫だな。目が真っ赤だ」 会長は俺の顔を両手で包んで、微笑みながらちゅ、ちゅ、と順番に俺の目頭に口づけた。 そして愛おしげに涙の跡を親指で撫で、俺がしたように、会長は左手で俺の唇の形をそっとなぞった。 心臓が静かに揺れる。会長の琥珀色の瞳を見つめていると、会長は両手を俺の首の後ろに回して抱き着き、ゆっくりと瞳を閉じた。 俺は導かれるように、そっと両腕を会長の腰に滑らせ、唇を触れ合わせた。 触れるだけの柔らかなキスだったけれど、合わせた唇から会長の想いが伝わってくるようで。 同じように俺の想いも、ひとつ残らず会長へ届けばいいと、ただひたすらに願っていた。 「……会長」 「なんだ?」 「……名前を呼んで下さい」 「名前?」 唇を離し、会長を見つめながらそう告げると、俺の言葉に会長は不思議そうに首を傾げた。 それでもすぐにふわりと微笑んで、緩やかなカーブを描いた唇を開いた。 「キリ」 「……はい」 「キリ」 「…………はい」 何度も同じやり取りを繰り返しながら、俺は自然と笑みが零れた。 この笑顔がやっぱり大好きで、愛しくて、心が満たされる。 幸せだと、心から実感した。 → |