馬鹿だ。
俺は馬鹿過ぎる。

失くして初めて気づくなんて、ありきたり過ぎて笑えない。


(俺は、まだ……)


「……会長、おれ……」


視界が揺れて、会長の顔が歪み始めた。


「……おれ、は……おれは……」
「……キリ……?」
「おれは、まだ……あなたが……」
「……」

「おれはまだ、……あなたが……、好き、です」


漸く絞り出した本音は微かに震えていて、情けなさを助長するかのように俺は顔をあげていられなくなって、そのまま俯いてしまった。

綺麗事を言うつもりは毛頭ないが、それでもやっぱり俺にとっての幸せは、会長の笑顔そのものだと思う。
俺は会長の笑顔のためにこの身を削ってきた。それだけなのだ。
会長が俺にしか見せない笑顔で、俺の名前を優しく呼んでくれた事は、何よりも嬉しかった。


(……会長)


一体藤崎と何を話したのですか?
俺はもう本当に要らないのですか?
まだ、俺のぬくもりを覚えてくれていますか?
お願いです。もう1度、もう1度だけ。
俺の大好きな笑顔で、俺の名前を呼んで下さい。
あなたが望むのなら、俺は体裁も葛藤もしがらみも、何もかも、すべてを放り投げて、この身ひとつであなたの元に跪づきます。
あなたの傍に居られるなら、俺は永遠にちっぽけな存在で構わない。いつ何時も、あなたの空に染まりましょう。
すべてを包み込むほどの凛とした青色に。柔らかに景色を彩る優しいオレンジ色に。

募る想い。俺は未だに振り払われない右手を滑らせ、親指でそっと会長の唇の輪郭をなぞった。
久しく触れていない感触に胸がきゅっと苦しくなる。

この唇で、俺の名前を呼んで欲しい。
もう1度だけでいいから。


「……好きです……」


繰り返し紡いだ言葉は、会長の耳に届いただろうか。
繰り返し紡いだ想いは、会長の心に届いただろうか。

俺はゆっくりと視線をあげ、会長を見た。


「……っ」


息が詰まった。
オレンジ色に染められた会長は今にも泣き出してしまいそうに眉を寄せていて、何かを言いたそうに唇を震わせていた。


(ああ……)


俺は馬鹿だ。
呆れる程に馬鹿だ。
俺の浅はかな行動で、言動で、会長を困らせてしまった。
後先考えずに、一方的な想いを吐露してしまった。


(こんな顔が見たかったわけじゃないのに)


もう以前のようには戻れない。
どう足掻いても、心の距離を縮めることは出来ない。
俺は、要らない。

1週間前に終わったんだ。俺達は。


「……すみません。こんな……。俺、帰りますね」


俺は会長の頬からそっと右手を離した。その瞬間、形容しがたい程の淋しさが俺の指先に触れて。
ごまかすように手の平をきゅっと握り締めても、虚しさが溢れるだけだった。
次第に会長の輪郭が歪んでいく。息付く間もなく、頬には幾重もの雫が伝った。

誰かを想って泣くなんて、初めてだった。


「……っく……」


会長が更に困ってしまうのが容易に想像出来る。
けれど俺は溢れる嗚咽を収めることが出来なかった。


「……ひっ、ぅっ……う……」


やっぱり空はこんなにも遠い。
触れる事さえ叶わないのだ。


「……ひくっ……ぅ……ぅああっ……」


突き付けられた現実に、心が声をあげて泣き始めた。



(俺はまだ、こんなにも)

(あなたが好きで)



好きです。会長。
晴れ渡る青空のようなあなたの強さも。
柔らかに染まる夕焼けのようなあなたの優しさも。
あなたを彩るすべてが、俺にはとても眩しくて。

大空のようなあなたが大好きでした。











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