生徒会室へ入ると、既に俺を除いた全員が揃っていて、それぞれ仕事をしていた。


「キリ、遅かったな」
「すみません」
「早く終わらせてしまおう」
「はい」


会長は俺を一瞥してからひと声かけ、そしてまた机へと視線を戻した。

俺はいつもの様に生徒の手助けをする傍らで、会長を後ろからお守りしていたが、その間もずっと鬼姫の言葉が体中を駆け巡り、ため息がとめどなく溢れていた。


『アンタは今、幸せか?』


鬼姫の言葉を反芻する。
俺にとっての幸せは、一体何なのだろう。
思えばいつも会長が傍に居て、いつも会長は笑って居て、俺は会長の笑顔の為にこの身を削ってきた。
改めて自身の幸せについて問われるとはっきりした輪郭が見えてこないのが現状だ。

分からない。
俺にとっての幸せって、一体何なのだろうか。


「ああ、もうこんな時間か」


会長の言葉に外を見ると、日が傾き始め、空は青からオレンジへと色を変え始めていた。
会長は手元の書類を綺麗に整え、言葉を続けた。


「さて、そろそろ日も落ちてきてしまったし、女子はこのまま帰宅、僕とキリは校内パトロールをして解散としよう」


その言葉に女子3人は帰り支度を始め、そのまま帰路についた。
3人の後ろ姿を見守った会長は俺の方に振り返ると、いつもと変わらない眼差しを俺に向けた。
そして刹那、まだ深みを纏っていない淡いオレンジ色が、会長の琥珀色の瞳を優しく照らして、輝かせた。
眩しいまでの輝きに目を奪われ、心臓が内側を揺らし始める。
会長の眼差しから視線を逸らすことが出来なかった。


「キリ?」
「……っ!」
「どうした?」
「いえ……何でしょうか?」


会長の訝しげな声色に、はっと我に返る。


「いや、パトロールだが、僕は2、3年の校舎を見るから、キリは1年と特別教室を頼む」
「あ……はい、わかりました」


そして会長と別れて、指示通り校内パトロールを開始した。
しかし今の俺には、もう何もかも上の空だ。

会長は藤崎と何を話したのだろうか。
鬼姫が聞いた限りでは、少なくとも俺との話はしているはずなのに。
俺は鬼姫と会長の話をしただけで、会長の琥珀色に見つめられるだけで、こんなに胸が苦しくなっているというのに。
会長の琥珀色の輝きが、脳裏に焼き付いて離れない。


「……はぁ」


何一つ変わらない会長が羨ましくて。
何一つ変わらない会長が悲しい。

未だに減らないため息を抱えたまま生徒会室へ戻ると、会長は窓際で戸締まりをしていて、ドアを開けた音に気付き、こちらを振り返った。


「キリか。ご苦労だったな」


俺はすぐに窓際に駆け寄り、戸締まりを手伝う。


「遅くなりまして申し訳ありません」
「いや、構わないが、それより……キリは、どこか調子でも悪いのか?」
「え?」


突拍子もない会長の問いに思わず疑問符が浮かんだ。


「先程キリが6時間目を欠席したと先生から聞いたものでな。具合が悪かったのなら、無理させてすまなかったな」


そう言って会長は眉を下げて俺を見た。
会長にこんな表情をさせてしまった自分が憎い。
全てを鵜呑みにして自分を責める会長の姿に、俺は自責の念にかられた。


「謝らないで下さい……」
「いや、僕が気付けなかったから」
「違います。俺は、どこも悪くありません」
「え……?」
「俺は、具合なんて悪くありません」
「なっ……。それならどうして欠席など!一体何をしていたんだ?」


俺が会長の言葉を否定すると、先程とは打って変わって今度は強い口調で問い詰めてきた。


「……」
「キリ……?」


言えない。言えるわけがない。
空に会長を重ねていた、なんて。

会長を想って、空を眺めていたなんて、絶対に言えるはずがない。


「……っ」


だけど、そっと見つめた会長の姿に、先週の光景が重なった。
オレンジ色の夕日が、優しく会長を染め上げていたのだ。


「……キリ?」
「……そら、を」


俺の唇は、俺の意思とは裏腹に言葉を紡ぎだした。

胸が苦しくて張り裂けそうだ。
どこまでも澄み渡る青空が余りにも眩し過ぎて。
柔らかに揺れる琥珀色の輝きが余りにも優し過ぎて。
言葉を制止する術を忘れてしまったかのように、全身に力が入らない。


「ん?」
「空を、見ていて……」
「そら……?」


どこまでも澄み渡る大空が、あなたと重なったのです。
太陽も、月も、星も、雲も、何もかも、すべてを受け入れる空。
どこまでも澄み渡る青色は、常に前を向いて義を貫くあなたの強さのようで。
柔らかに差し込むオレンジ色は、あなたの琥珀色の瞳の優しい揺らぎに似ていて。


「空を見ながら、ずっと、……会長のことを考えていました」


俺の言葉に会長の瞳が一際大きく見開かれた。


「……冗談はよせ」
「本当です」
「……っよせと言っているだろう!」
「本当です!」


会長の発した大声を掻き消す程の俺の声に、会長は大きく肩を揺らした。
一瞬空気が止まったような錯覚に陥り、気付けば俺を未だに映し続けている会長の大きな瞳が揺れていた。


「会長……すみません……」
「……」
「……だけど、俺、……俺は……」


俺はいたたまれない気持ちになって、思わず前髪をくしゃりと握りしめた。

会長が望むなら、と全てを受け入れたつもりだった。
心の距離が離れてしまっているのもちゃんと分かっていた。
だからこそ、会長が望むなら、と。

だからこそ、別れを受け入れたのだ。

それなのに。


(……どうして……)


こんなにも胸が苦しいのは、何故なのだろう。


「……会長」
「……」


俺は前髪をおろし、会長を見つめる。
晴れ渡る空へ手を伸ばしたように、そっと会長へ指を近づけ、オレンジ色の左頬に触れた。


「……キリ」


頬の柔らかな感触と温もりがあまりに優しくて、懐かしくて。

ただひたすら、愛しかった。











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