黒髪をさらさらと撫でる指先。
ふいに触れた温もりに椿は両手を下に少しだけずらして、視線をキリの右手に合わせた。
椿の瞳は涙で滲んだままで、不思議そうに右手を眺める眼差しに、キリは可愛いなぁと頬が緩む。


「貴女はダイエットなんか必要ないですよ」
「……ちがっ……駄目、なんだ、僕っ……」
「何ですか?」
「太っ、ている、みたいで」
「え?」
「この間っ、母さん、が……」


キリの優しい眼差しと声を受け、椿はポロポロと丸い雫を零しながらも途切れ途切れに言葉を紡いだ。


「この間、お風呂上がり、僕の、体を、見て」
「は、はぁ……」
「体…………、丸く、なって、きたわね、って……」
「……」
「僕っ……気づかぬ内に、ふ、太っ……」


その言葉を聞いた瞬間、キリの右手がピタリと止まった。


(……殺す気か……)


そしてときめきと妄想力で人は死ねるのではないのかと、
キリは溢れそうになる鼻血を堪えるのにひたすら必死になった。

椿が白状したこと、つまり、椿の母が指摘したこと、それは女であるが故の、成長に伴う体の変化だった。
元々細身で、周りの女子よりも筋肉質であるといっても、
椿だっていつまでも少年のような体つきでいるわけではない。
成長するにつれて、体は女性特有の曲線を描き始め、大人へと少しずつ変化していく。
そして娘の成長を瞳に確認した椿の母はただ無邪気にそれを喜び、歓喜を真っ直ぐ口にしただけだ。


(親子揃って天然か…………)


勿論キリも椿の母が言わんとしていたことは悟っている。
だがもう少し言い方があるだろうと、目の前の女の子とまるで生き写しな母親の存在に胸をくすぐられた。
そしてその内自分は目の前の女の子に殺されるんだろうなと、
まあ彼女に殺されるなら本望だなと、高鳴る鼓動に頬を染める。


「……僕は、キリ、より、いっぱい、食べる、し」
「……えぇ……」
「このまま、自己管理出来ぬままに、太っ、て……」

「キリが、僕を抱っこ出来なくなったら、どうしよう、って……」





ボンッ、と、何かが爆発した。

勿論そんなのは比喩である。
対象はキリの首から上。
真っ赤に染まった顔、そして耳から、脳天から、爆発に伴う真っ白な煙りが勢いよく放出した。


(……可愛いぃ…………!)


生きているだろうか自分は。
今、自分はちゃんと生きているのだろうか。

キリは真っ白になった脳内でひたすらに問うた。
自分の脳は、肺は、しっかりと酸素を与えられているのだろうかと。
爆発によって酸素を奪われてはいないかと、
見方によっては頭の悪さを露呈するような残念とも言える自問を繰り返した。

ただ、キリの網膜は目の前の椿を捉え、鼓膜は椿の声を聞き、
激しく脈打つ心臓は、その存在を強く主張している。

ああ、生きている。

キリは実感した。
自分はまだ生きている。
ときめきに殺されてはいない。

生きているって、素晴らしい、と。


「……会長……」
「なん、だ……?」
「俺が体を鍛えますので、貴女は何も心配しないで下さい」
「しかしっ……」
「ただ、100kgを超すようなら命に関わってきますので、その点だけご留意下さいね」
「でもっ……」
「会長」


理解が出来ないと言ったように困惑気味の椿。
可愛いなぁと、再度キリは胸を高鳴らせ、そして先程の、
去り際に放られた浅雛の言葉をそのまま飾らずに拝借し、紡ぐ。


「俺はいっぱい食べる貴女が好きですよ」





椿は息を呑んだ。

酸素が足りない。酸素が足りなくて、呼吸が上手く出来ない。
ただ、飾らない言葉の羅列と、優しいキリの眼差しが全身に伝わって、
椿は胸に込み上げてくる安堵感に心が揺れた。
そしてまだいくばくか不安の残る眼差しでキリを一心に見やる。


「…………ほんとか?」
「本当ですよ」
「……ほんとのほんとか?」
「本当の本当です」


むしろもうちょっと太ってくれた方が抱きしめた時に気持ちいいんで俺としてはあとプラス5kgくらいはお願いしたい所なんですけどね。いや、別に今が不満というわけではなくてそれ以上痩せられたら困るなぁっていう懸念ですよ。はい。とりあえず貴女はこれからもいっぱい食べていっぱい動いていっぱい笑っていて下さい。

と、流石にそこまでは言えなかったものの、キリは笑みを崩さぬまま止まっていた右手を動かし始めた。

緩やかな空間。優しいキリの眼差し、優しいキリの指先。
嘘ではない。キリは、飾らぬままに、自分を受け入れてくれる。


「キ、リ……」


椿は先程込み上げた安堵を唇からそっと吐きだした。
そして涙で濡れたままの睫毛を乱暴に拭い、キリを改めて見据える。
凛とした瞳。椿はそれを漸く取り戻すことが出来たのだ。


「良かった……」
「俺が少食なのは修業のせいですから。というか、人より運動量の多い貴女が食事を減らすなんて、無謀過ぎです。もう二度としないで下さい」
「すまない……」
「凄く思い詰めた様子でしたから、本当に心配しましたよ。大事に至らなくて良かったです」
「僕もどうしようとは思ってたんだ。お腹はすくし体は動かないし生理は来ないし」
「はっ……!?」
「でも、君が受け入れてくれると分かって、肩の荷がおりたよ。本当に安心出来た。ありがとう、本当にありがとう、キリ」


椿はふわりと笑う。
更にいつもの覇気さえも取り戻したのか、勢い良く立ち上がってスカートの乱れを無造作に直した。


(……この人…………)


キリは開いた口が塞がらなかった。


(女である自覚はあるのだろうけど、何か違う……!)


さりげなく空気に混ざる二酸化炭素如く、さらりと紡がれた爆弾発言。
キリは生き生きとする椿とは対照的に、両膝に顔を埋めて本日1番のため息を肺の底から吐き出した。


「キリ?」
「はい……?」
「どうした?そんな小動物の様な顔をして」
「いえ、別に……」
「……何で拗ねているんだ?」
「拗ねてません……」
「?」


怒っているんですよ。

キリは再度ため息を吐く。
しかし、まだまだ弱っている椿にそんなこと言えるはずもなく。
キリはあっけらかんとした椿に毒気を抜かれつつも、重い腰を上げて立ち上がった。


「急にどうした?」
「……いえ」
「変なキリ。何でもないなら帰ろう?」
「そうですね……」


未だ疑問符を浮かべながらも椿は帰り支度をするためキリに背を向ける。
だが、その足は直ぐに止まることとなった。


「キ、リ……?」


キリが椿を、後ろからそっと抱き寄せたのだ。


「……どうした……?」
「会長……」


キリは椿の下腹部の辺りで、優しく、祈るように両手を組んだ。
そして左の肩に顔を埋め、吐息混じりに口を開く。


「キリ?」
「体は大切にして下さい」
「あ、ああ……?」
「お願いですから」


きゅっと、キリは祈る手に力を込めた。
椿の大切なゆりかごを守るように。
いずれそこに眠る、まだ見ぬ未来を守るように。


(貴女は少女から女性になって、ゆくゆくは母になるのだから……)


流石にそこまでは言えなかったけれど。
というより、本日キリは椿に1つの核心も告げてはいないけれど。

ただキリが、遡れば浅雛が伝えたかったのは、そんな理屈などではないのだ。
椿にはありのままでいて欲しいと、それだけを願っていた。
人が無意識に酸素を求めて呼吸をするように、例え椿がどんな見目になろうとも、
結局キリは椿であるという理由だけで彼女を慕い続け、それが揺らぐことはないのだから。


「……心配かけてすまなかったな。ありがとう」
「はい」


椿は自由な両手でキリに触れた。
右手はキリの手に。左手は顔を埋めたままのキリの頭に。
体温を確かめるように重ねて、幼子をあやすように撫でた。


(……気持ちい…………)


酸素の薄い部屋の中。
勿論そんなのは比喩である。
それでもキリは酸欠状態のように目を細め、しばらくそのまま椿を抱きしめていた。

その体は彼女の母が指摘した通り、ほんの少しだけ柔らかく、しっとりと全身に馴染んでいて。
それを堪らない程に愛おしいと感じながら。





fin





何となくキリたんは少食だろうなと。
多分あの子は3日くらいの断食なら余裕でこなせるんだろうなと。
そんであんま食べないキリたんとは対照的に椿ちゃんはハムスターみたいにほっぺ膨らませていっぱい食べるんだろうなと。

そしてにと里のお気に入りCMソング、

♪がまんしないでおかわりしなよ〜
いっぱい食べる君が好き!

そんなんから生まれた話。


・蛇足
ママンが心配するといけないから昼ご飯をキャプテンにあげてました。

「キリが作ってくれるんだ。でも交際のことはまだ両親に伝えていないから、良かったら食べてくれないか?」
「うんいいよ!」シュッ

ってね!

あ?そんなら書けよって?無理無理。
5ページ超すよそんなんしたら。かったりぃw

他にも色々突っ込むとこがあったでしょうがそこはどうかひとつ(^ω^)つ空気





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