安形との悶着が昨日の事となった今日、キリは安形の言葉を無視し、武光の部屋に上がってDVDを鑑賞していた。


「いやーしかし面白かったな。来週は見逃さない様にしねぇと」
「そうだな」


テレビからは聞き慣れたエンディングが流れ、登場人物が次回予告をさらりと伝えている。
その後画面がメニュー画面へ切り替わると、スピーカーからは音が途絶えた。


「さんきゅー」
「おお」


武光は手際よくDVDを取りだし、ケースにしまったそれをキリに手渡すと、満足気に頬を緩めた。
とても無邪気な笑顔だった。ひと欠片の欲さえ感じられない、少年の顔だ。

やはり杞憂ではないかと、キリは安形を嘲るように思考を巡らせた。
安形は心配し過ぎだ。武光はただの友達だし、それ以上でもそれ以下でもない。それは向こうとて同じ事だと。
実際、武光はDVDを借りられた事を告げると子供の様にはしゃいでみせ、特に緊張した様子もなく、当たり前の事の様に自分を部屋に招いたのだから。


「やっぱいいな。こういうのはいつまで経っても褪せねぇし」
「……」
「兄上もこれ見てたっけ?やっべ忘れた。あ、なあ加藤、これちょっと借りてもいいか?」


何より、キリは安形の部屋に居た時に感じた、あの独特な気持ちを全く感じていなかった。
武光はいつもの彼であり、自分はいつもの自分であり、昨日の様な心臓の揺らぎを感じる事もなかったのだ。


「おい、聞いてんのか?」
「えっ?」


するとそこで、物思いにふけっていたキリに武光は改めて声を上げ、肩を叩いた。
話しかけるまではいかないにせよ、武光は先程小さく言葉を紡いでいたのだ。
しかしキリは全くもってそのすべてを聞いていなかった様で、キリにしてみれば突然武光に話しかけられたも同然だったのである。
驚きながら振り向けば、呆れた様な武光の眼差しが彼女を見つめていた。


「だから、DVD。借りてもいいかって」


言い聞かせる様に武光はゆっくりと話しかけた。


「あ、ああ、別に、いいと思う……けど、……何だよ」


それに対してキリが返したのは確証のない曖昧な答え。
武光は口をつぐみ、キリを見据えた。
依然として呆れた様な、そしてどこか訝しげな眼差し。キリが問えば、武光は頭をかきながら少しはにかんだ口ぶりで言葉を紡いだ。


「お前……、何かあった?」
「へ?」
「いや、その、……お前ってさ、元々そんな口数多いヤツじゃねぇけど、何か今日、ぎこちなくね?」
「……や、別に……、そうでもなくね?」


武光が口にしたのは大雑把ながらもどこか核心をついた問いだった。
図星だ。キリは思わず声を裏返してしまう。
平常を装って言葉を返すもそれは何の効果もなく、武光の問いをただ肯定するだけに終わってしまった。


「らしくねぇじゃん。話くらい聞くぜ?」


そう言って武光は、自分には見えない、キリの抱えている何かを和らげる様に、彼女の左肩を自らの掌でポンッと軽く弾いた。


「……」


思わずキリは口を結び、武光から視線を逸らした。迷っているのだ。話すか、否か。
何も無かった訳ではない。寧ろ大有りだった訳で。
ただ、その原因がこの状況だ。武光の部屋に上がる事を安形がよく思わなかったためだ。
キリからしてみれば何故安形があんなにも激昂したのか分からないまま。
そのため、今こうして彼女は武光の部屋に居座っているのだけれど。

キリはふと思った。
武光の部屋に上がっているこの時点で、安形との溝は深まるばかりではないだろうか。
寧ろもう修復する事など不可能ではないだろうかと。

キリは武光へ振り向き、視線を合わせた。あまり見たことのない、何処か不安を内包した武光の眼差しはキリを心配しての事なのだろう。
そんな彼に、実はアンタが原因なんだぜ、とキリは軽々しく言える筈もなかった。


「……まぁ、話したくねぇならいいけどよ」


そこで、キリの瞳に映る迷いを拒絶と勘違いしたのか、武光は視線を逸らして小さく告げた。
控えめな友情の形だ。キリを思うが故に、彼は耳を貸す事も、塞ぐ事もするという。芯がしっかりとした彼らしい優しさだ。
武光は彼の兄と等しく剣道家で、武道家である。他人を尊重する事の大切さを知っている。

普段はつい悪態ばかりをついてしまうキリではあるが、今日は違った。
やっぱり武光は自分にとって唯一無二の友人だと、そしてその優しさに甘えるのも悪い事ではないだろうと、そう思えたのだ。
そして漸くキリの唇がその役割を果たすべく、ゆっくりと動き始めた。


「……その」
「ん?」
「安形と、……ケンカしちまってさ」
「……珍しいな。安形さんってあんま怒ったりしなさそうなのに」
「や、いつもはそうなんだけど、何か今回はマジギレで……」
「……お前何したんだよ?」


ここでキリは一旦言い淀んだ。
視線を何度か泳がせて、非常に気まずそうだ。


「……武光ん家行くっつったら、キレた……」
「………………え?……俺?」
「そう、お前」
「え、ちょ……、何で?」


キリの言葉に武光は瞳を丸め、口を半開きにしたまま固まった。
無理もない。元気のない友人を励まそうと試みたら、まさかその原因は自分だったなんて。
武光はまぶたと唇の動かし方を忘れてしまったかの様に、微動だにしない。


「……男の部屋に上がる事がどーのこーのって、女の力はたかが知れてんだってよ。マジ意味分かんねぇよな。何でもかんでも男と女に変換すんなっての」
「…………まぁ、そうだな」
「だから、俺もムカついて……」
「……ブン殴ったと」
「殴ってねぇ。頭突きだ」
「変わんねーよ」


安形の力に抗えなかった事を思い出しているのか、キリは話しながら不機嫌そうに表情を歪めていった。


(……やっべぇ……)


だがそんなキリとは対称的に、武光は表情には出さずともその内側で自身の浅はかさを悔いていた。

安形も激昂するはずだ。というより、怒らない男がいるものだろうか。
キリの言う通り、何でもかんでも男女の関わりとして捉えるのは愚考でしかないが、それでも自分はきちんと配慮するべきだったと。

キリが武光に対して抱く感情と、武光がキリに対して抱く感情は同じである。お互い、それぞれの性別など全く気にも留めていない。
だからこそ武光は何の躊躇もなくキリを部屋に招き、キリもそれに応じたのだ。

だが、安形は違う。安形はキリに恋慕の情を抱き、キリをひとりの女性として捉え、大切にしている。
武光にとってキリは単なる仲の良い友人であろうとも、安形には関係ない事なのだ。
男女がひとつの部屋に居るという事実に変わりない。

武光はその点にまで思考が巡らなかった事にひどく後悔し、安形に対して申し訳ない気持ちになった。
まだまだ若い彼にとって、それは仕方のない事ではあるのだが。


「……加藤」
「あ?」
「取り合えずさ、今日はもう帰れよ」
「は?」
「安形さんに許してもらってる訳じゃねーんだろ?そこんとこはちゃんと話合っとけって」
「……何でダチの家行くだけなのにアイツの許可が要るんだよ。どんだけアイツは偉いんだ」
「……」
「俺が何しようがそれをアイツが束縛する権利なんかねーだろ。大体、そんぐらいでキレる意味が分かんねぇ。ダチでも男だったら遊んじゃいけねぇのか」
「いや、安形さんが怒ったのはそこじゃねぇと思うけど……」
「じゃあどこだよ?」
「……」


益々不機嫌に顔を染めたキリに武光は口を結び、言葉を探した。
キリが言いたい事も十分に理解出来るのだが、安形の気持ちも分からないではないのだ。
すれ違う男女の思考。キリに何を言えば伝わるのだろうかと、武光は尚も言葉を模索する。
正直、彼がここまで悩む必要性などは何処にもないのだが、そうしてしまうのは結局、彼にとってキリが大切な友人であることに変わりないからなのだろう。


「…………よし分かった。こうしよう」
「ん?」
「勝負だ、加藤」
「は?」


しばらく眉間に幾重ものしわを刻んでいた武光だったが、彼はふと手をポンと叩くとキリの正面に回り、ローテーブルの上にあったリモコンなどの小物をどけて右肘をついた。
言葉で伝える事を諦めた様だ。


「……何なんだてめぇ?」
「見りゃ分かんだろが。腕相撲だよ。お前もとっとと右手出せコラ」
「何なんだよ急にって事だよコラ。何でてめぇと腕相撲しなきゃなんねぇんだよ」
「安形さんがキレた意味が分かんねぇんだろ?」
「……」
「やりゃー分かるぜ、多分」
「…………多分て何だよ」
「加藤が馬鹿すぎたら分かんねぇだろうなって事だ」
「ブッ潰す」


気がかりな言葉と安い挑発にキリはカチンと怒りを添え、同じく右手を差し出した。
あまり背丈の変わらないふたりであるが、キリの腕と指先は武光のそれと比べると明らかに細く、華奢にも映った。


「つかいつ始めんだ?」
「加藤の好きなタイミングで構わねぇよ」
「……何かすげぇムカつくんだけど」


余裕な態度の武光にキリの苛立ちは募るばかりだった。
そして短く合図をかけて、ふたりは勝負を始めたのだが、キリはそこで初めて理解する事となった。

武光がやけに余裕であった事、組んだ右手、その指と腕の太さの違い、そして安形が何故あんなにも激昂したのか、それらの理由を。











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