赤い額縁


ひらひら。はらはら。しんしん。そんな平仮名がよく似合う、白い景色の中を歩いていた。
右には相方。整った目鼻立ちと華奢な出で立ちを珍しく晒していた。
問えば、ヒルコとその外套が汚れるから、と、旦那は仏頂面で答えた。足元に敷き詰められた降雪を恨めしく感じている様だった。
オイラ達はそれ以外に何か言葉を語る事もなければ、足を止める事もなかった。前へ進む度、さりさりと不思議な音が鳴るばかりで。
雪の音。舞い散るそれとは少し異なる、けれども等しく、優しい平仮名。

サソリの旦那は時折、左手に笠を取ってそこに積もった雪を払った。
右手を振ってひとつ残らず雪を払いのけ、雪景色に混ざりかける赤い髪も同じ様に拭ってから、笠を被り直した。
最後に両手を擦り合わせて、指先に絡んだ雪を落とし、また視線を前へ向けて。
その様子に、オイラも一度真似をしてみたけれど、笠を右手に取って積もった雪を払った瞬間、左手がきんと冷えた。
繰り返して笠を綺麗にはしたものの、二度は無理だと実感した。指先が濡れ、そこに冷気が纏わりついたために、じんと微かな痛みを生んだのだ。
そうか。納得した。旦那の指先は雪を溶かす事など無いのか、と。
オイラが最後に両手を擦り合わせたら水滴が飛んだ。旦那の様に、雪が落ちる事は無かったのだ。
それからオイラは旦那が笠を綺麗にする度に、笠を無造作に振り回して雪を落とした。
一度その雪が旦那の頬へ飛び、ギロリと睨まれてからは、その勢いはいささか落ち着いたものとなったけれど。

尚も歩み続けていく内に、オイラの指先はすっかり乾いていた。右手を見やると、そこはほんのりと赤みを帯びており、手のひらの口はカタカタと震えていた。
寒いよなぁ。そうぼんやりと感じながら、旦那を一瞥した。笠の間から見えたのは感情のない横顔だった。
一体何を考えているのだろうと思った。それは常に感じている疑問ではあるのだけれど、今日は、いつもとは少し違う。白銀。雪化粧。平仮名の世界。そこに何か思いを馳せたりはしていないのだろうか。
視線を戻した。ひらひら、はらはら、雪が舞い散り、さりさりと不思議な音が鳴る。しんしんと、聞こえはしない言葉が浮かぶ。
そこへ、ひゅるりと空気が鳴いた。短く小さな風が吹き、雪が胸元まで流れ込んだ。
風は一瞬で、世界は直ぐに戻ったけれど、外套に張り付いた雪は戻らなかった。じわりと滲み、ゆっくり溶けた。ゆっくり消えた。

少しだけ、何かが心に降り積もって、オイラは尚も舞い散る雪を、右手でそっと受け止めた。
ふわり、触れた。ゆらり、溶けた。
そして、つう、と、流れた。


「…………芸術だ、うん……」


流れた雪。それはとても儚くて、それは音もなく散って、それは形を無くして、美しいという感覚だけを心の中に積もらせた。
舞い散る雪も、一瞬の美を彩る芸術なのだろう。キュッっと胸が締め付けられて、頬が綻びたのが分かった。


「……くだらねぇ」


すると、今まで雪を払う以外、何の行動も起こさなかった旦那がぼそりと口を開いた。
視線を向ける。相変わらず、横顔から感情は汲み取れない。


「雪が芸術として成り立つのは額縁の中だけだ」


オイラの言葉に反応したのだろう。彼は芸術と薬物、そして時間に関してのみ、無表情の内側に関心を覗かせる。


「雪は残らない。つまり雪は芸術ではなく、芸術を引き立てる一つの要素でしかない」
「それは違ぇよ旦那。雪は目の前にあるから綺麗なんだ。ひらひら舞い散って、溶けていくその様が芸術なんだよ」


旦那の頬にオイラの言葉が飛んで行き、旦那は先程と同様にオイラへ鋭い睨みを利かせた。
けれど、今度はオイラの勢いが和らぐ事なんて無かった。旦那も同じだろうけど、ここには決して振り払う事など出来ない信念がある。


「この雪だって立派な芸術のひとつだ、うん」
「違う。雪は消えるんだ。消えてしまうものに意味などない。何事も残って初めて価値をもつ」
「そのものは消えても、美しいという感覚は残るんだ。その感覚こそに意味とか価値があるんじゃねぇのかよ」
「確かにその感覚は大切だ。何よりもな。だがな、それを生み出す対象となるものが芸術だろ。それが消えちまったら何の意味もねぇ」
「だから、雪でも何でも、消えるから受けた感覚がより際立つんだろ。何より消える瞬間が一番美しいんだ、うん」
「てめぇは俺に何度同じ事を言わせるつもりだ。どんなに美しかろうが直ぐに消えちまうもんに価値なんかねぇんだよ。長く、美しく、後々まで残っていくもの、永久の美こそが芸術だ」
「アンタこそ何回言えば分かるんだよ。消えるからこそ美しいという感覚が生まれるんだってば。散ることもなくずっと目の前にあるものにこそ価値なんかねぇ。儚く散りゆく一瞬の美こそが芸術だ」
「てめぇ……、喧嘩売ってんのか」
「先につっかかってきたのは旦那だろ、うん」


言葉達が視線と共にぶつかり合う。しかし、白熱する口論の最中でも、雪はその熱に溶かされる事なくはらはらと舞い散り、さりさりと静かな音を響かせていた。
さりさり、ひらひら、イライラ、はらはら。
そして、小さなため息。


「……もういい。てめぇと話してると疲れる。この分からず屋」


呆れた様に言葉を吐き捨て、旦那は笠を左手に取って、何も変わらぬ所作で雪を無造作に払いのけた。


「……分からず屋はアンタだろ。つーか疲れるって何だよ。傀儡のくせに、うん」
「肉体的な意味じゃねぇよ。何でもかんでもひとくくりにすんな。ばか」


凛とあらわになった幼顔が吐いたのは、それと等しく幼い暴言。
その後、旦那は笠を被り、視線を前へ戻して唇を閉ざした。横顔にはほんの少しの苛立ちを浮かべたまま。


「雪の冷たさも美しさも感じねぇなんてな、うん」


皮肉めいた言葉と共に頭の後ろで緩く手を組んで、そっぽを向いた。
幼稚な言葉だと頭では理解していたものの、それでもどこかカチンときたのだ。
そして先程と同じ様に右手で雪を受け止めた。儚く消え行く降雪は、やはり変わらず美しいものだった。


「ひらひら舞い降るだけの雪に、今更何かを感じる事なんてありゃしねぇよ」


さりさりと音が鳴り渡る中で、旦那の声が聞こえたと同時に、足音がひとつ消えた。
それは紛れもなくオイラのものなのだが、旦那は気にも留めることなく、真っ白な大地へ足跡を残していった。
やはりと言うべきか、広がる雪景色にすら全く興味を示すこともなかった。

その傍ら、オイラはしばし立ち尽くしていた。それはなんて事ない、本当に些細な理由からなのだけど。


(……舞い、降る……)


旦那の言葉が引っ掛かったのだ。
態度とは裏腹、なんて優しくて暖かな表現なのだろうと、そう思って。
彼はその身をもって雪を溶かす事など無いけれど、何だか彼のその言葉だけで、真っ白な雪が触れずとも溶けていく様な、そんな気がして。

空を仰いだ。先の見えない白銀がぼんやりと広がり、ひらひら、はらはら、真っ白な雪が舞い降っている。
平仮名の優しい言葉が似合う白雪には、同じく優しいこの言葉の方がしっくりときた。
右手を伸ばせば、ふわり、指先に雪が触れた。ゆらり、溶けた。つう、と、流れた。静かに、消えた。
そこへ、ひゅるり、風が吹いた。その冷たさに思わず俯き、反射的に笠を押さえ付けた。笠に積もっていた雪がどさりと落ちる。さっきよりも少しだけ強い風だった。
そのまま視線を前に向けると、立ち尽くす旦那の赤い髪が雪化粧を彩っていた。
雪に対して何も感じる事のない彼だ。その冷たさが際立った風の強さを思い知る事もなく、その為に笠を飛ばされてしまったのだろう。

ただ、そう考えるより先に、オイラは両の親指と人差し指を重ねて、長方形の額縁を作ったその中に、旦那と雪景色を映していた。
左目を伏せ、焦点を合わせれば、平仮名の世界の片隅に、彼の鮮やかな色彩が浮かぶ。


「……きれい……」


感嘆がもれ、同時に、額縁が力を無くして両脇に垂れた。
その間に旦那は笠を指先で手繰り寄せ、真っ赤な色を隠してしまって。
まさに刹那の出来事だった。

目の前に広がるのは、ひらひら、はらはら、しんしん、何も変わらない雪景色。
けれど、オイラの額縁が映した風景画は、二度と手には入らない。

何て事だ。旦那は雪を溶かす事もなく、美しい芸術をオイラに与えたのだ。





fin





右手を見やると、そこはほんのりと赤みを帯びており、手のひらの口はカタカタと震えていた。



ここ笑うとこなんですが伝わったかな?


(爆発)


手のひらの口がガチガチいってたら大分シュールw





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