その後、椿はしっかり授業を受けて、生徒会の従事もこなしてみせた。 そして今はキリと共に家路に着いている。 『会長……』 『なんだ?』 『一緒に帰りましょう』 『……』 『普通に接して下さるおつもりなら、これからも一緒に登下校しましょう』 『……そうだな』 キリは泣きそうになるのを必死で堪えながら椿に話かけた。 何でも良いから一緒に帰る口実が欲しくて、ずるいとは思いながらも椿の言葉を拝借したのだ。 北風が痛いくらいにふたりを突き刺す。 ふたりの頬は林檎のように真っ赤に染まり、吐き出す吐息は雪のように淡く白い姿を見せていて、それはこの間の帰り道を彷彿とさせたが、淡く染まるそれはあの日とは違い、ふたりの無言を破るきっかけにはならなくて。 どうしようと、キリは悩んでいた。 どのようにして切り出そうかと。 椿は自分の気持ちを誤解している。しかし、下手に話題を切り出して、あの日のように激昂されたら、きっともう修復は不可能だ。 どうしよう、どのようにすれば、容易に溶ける雪のように、この人の誤解を解くことが出来るのだろうか。 浮かばないアイデア。 キリは昼とは異なる不安感を胸に抱え、魔法が使えたらいいのにと、現実逃避とも取れる願いを抱いた。 魔法をかけて、流れた時間を巻き戻して、そしてあの自動販売機の前で、直ぐに想いを告げることが出来たなら。 そうしたら、ふたりが泣くことなんて、なかったのに。 「……キリ」 キリが幻想に目頭を熱くしていると、ふいに現実へと呼び戻すかのように、林檎へ暖かな無機物が触れた。 「えっ?」 「ぼーっとしてたぞ。ほっぺが真っ赤で、可愛いらしいな」 キリの目の前には、悪戯っ子のような笑みを浮かべた椿が居て、キリの右頬に購入したばかりの缶を押し当てていた。 (……かいちょう……) 気づけばふたりはあの自動販売機の前まで辿り着いていた。 そのことに驚愕しつつも、キリは椿をそっと見やる。 椿の周りを白い吐息が包み込んで、まるで触れたら溶けてしまいそうな、そんな儚げな愛しさが広がっていて。 動揺を悟られぬように椿の手から缶を受け取るも、微かに触れ合った指先が甘酸っぱいほどにくすぐったくて。 その感覚は、キリにある日の記憶を蘇らせた。 椿が初めて林檎に触れた、あの日の記憶だ。 椿はあの日、物憂いと侘しさから自分を救ってくれて、体の中に林檎の雪を降らせてくれた。 雪と林檎。瞳に映る自分の姿。 それらはキリに、幼い頃に読んだお伽話のワンシーンを彷彿させる。 お決まりの言葉は鏡よ鏡。 (世界で1番……) キリは思う。 美しいのは、この人だ。 この人の真っ直ぐな瞳だと。 そして、世界で1番、愛しいのも。 「……会長……」 「ん?」 「……お話があります」 「何だ?」 「……昼休みのことです」 キリは声を振り絞り、漸く椿に本題を切り出すことが出来た。 だが、驚愕したままだったキリに椿が不思議そうに瞳を丸めていたのもつかの間、キリの言葉を聞いた瞬間、椿の表情は打って変わって不機嫌そうなものとなり、視線がキリから大地に移る。 「……その話は聞きたくない」 「会長、お願いです、聞いて下さい」 「断る。少し黙ってくれ」 「……っお願いします」 「黙れと言っている」 「っ会長!」 「黙れ!」 「会長!」 キリは空いている左手で椿の右手を強く掴んだ。 その力強さに椿は苛立ち、うっすらと涙の滲んだ眼差しでキリを鋭く睨みつけた。 「何なんだ君は!」 「……っ!」 「普通であるべきと進言しておきながら、何故そうやって話題をぶり返す!?僕が今どんな思いで君に微笑みかけたかっ、どうせ君には分からないのだろうな!」 「かい、ちょう……」 「もう何もかもうんざりだ!頼むからこれ以上僕を惨めな気持ちにさせないでくれ!」 椿は声を荒げて激昂した。 怒りと悲しみとをその瞳に携えて、キリに衝動のまま感情をぶつけて。 鋭い視線を崩さぬまま、真っ直ぐにキリを射抜いている。 「……違うんです、会長、誤解なんです」 「黙れと言ったのが聞こえなかったか!?」 「……っ!」 「何が誤解だ!君にとって僕はただの生徒会長で、守るべき主君なだけなのだろう!?」 「ちがっ……」 「僕はこの耳で君の気持ちを確かに聞いたんだ!あんな回りくどい真似までして……っ」 「かいちょうっ……」 「傍らで想いを寄せているだけなのに、……っ僕は掻き乱されてばっかりだ!」 キリは息を飲んだ。 椿の瞳から、大粒の涙がこぼれだしたのだ。 (……っ……!) 椿の瞳に映る自分が揺らぎ始める。 そしてキリの胸中を自責の念が渦巻き始め、それはキリの瞳に同じく大粒の涙を溢れさせた。 「……かいちょうっ」 「なっ……!」 「あれはっ、ほんとに、ごか、いで……っ……」 「……キ、リ……?」 「すみま、せん、……すみ、ませ、……ごめ、なさっ……」 キリは涙を雫のまま大地に零し、それを拭うこともせず、ひたすら椿に謝った。 ごめんなさい会長、嘘なんです。 あの言葉は嘘なんです、と。 あの言葉は半分だけが真実で、残りの半分は嘘だった。 つまり、キリが鬼塚に差し出したのは、半分だけを真っ赤な嘘で塗り替えた、いわば保身の毒林檎。 嘘の色は林檎に混ざり、疑う余地もなく北風に揺れた。 だけどその赤さはあまりに巧妙で、綺麗な林檎を差し出すはずの相手さえも、取り違えて口にしてしまった。 キリは椿に毒林檎など、差し出すつもりは微塵もなかった。 鬼塚の手から守り抜いた綺麗な林檎を、椿に差し出すはずだったのに。 「おれ、はっ……」 「……」 「会長とか、主とか、そんなのは関係なしに……、俺は、貴方を、愛しています……」 「…………っそれなら何故、鬼塚に嘘をつく必要がある?」 「それはっ……」 「鬼塚にも同じようにそう言えば良かっただろう」 「……っ……」 「訳が分からない。同情なんて結構だ」 涙は止まったものの、椿の胸に溢れた疑念。椿は大地に視線を逸らし、キリにそれを真っ直ぐぶつけた。 椿の言葉にキリの涙が更に溢れる。 何故、なんて、理由はたったひとつだけだ。 「……1番最初が鬼塚なんて嫌だったんです!」 キリは震える声を張り上げ、椿の問いに言葉を返した。 突然の大声に椿はただ驚き、反射的に顔をあげ、キリを見つめる。 「俺も知らなかった俺の気持ちっ……、会長を好きな気持ちっ……何で1番最初に鬼塚に言わなければいけないんですか……っ」 「……キ、リ……」 「俺はっ、貴方に返事をしたいと言ったんです……!鬼塚じゃなくて、貴方にっ……!」 「……っ」 「……おれの、気持ちっ……、いちばん大切な気持ちっ……。いちばんにあげるのは、貴方でなければ、嫌だった……!」 キリは自分がしたいと思った事に対して、結構頑なにその我を通そうとする一面がある。 今回、キリは誰よりも先に、椿に想いを伝えたかっただけなのだ。 そしてキリは漸く椿に林檎を差し出せた。 守り抜いた綺麗な林檎を。 貴方が食べた林檎は毒林檎。 だから早く吐き出して、こっちの林檎を食べて欲しいと、嗚咽混じりの想いを乗せて。 涙がキリの林檎を流れる。 椿を想う気持ちを纏い、依然としてキリは一心に椿を見つめたままだ。 そして椿を見つめるキリの視線が意味するもの。 (……あぁ……) 鈍感な椿は漸く気付いた。 そして過去の恥ずかしいエピソードが椿の脳裏を駆け巡る。 (気付いていなかっただけか) (気付いていなかっただけで、キリの林檎は既に……) 椿は込み上げる想いに支配され、左手の缶をポケットに仕舞った。 そして未だに触れ合う右手を引いて、キリの右頬にそっと左手を触れさせる。 「……っ!?」 「前にも言ったんだがな……」 「……な、何でしょうか……?」 唐突に右頬を伝った温もりに、キリは涙を引っ込めて驚愕した。 椿は俯き、吐いたのはため息。 目の前で聞こえたそれ、そして徐々に上げられていく椿の顔に、キリは恐る恐る視線を合わせていく。 そして、自分を見上げた椿の表情。キリは思わず息を飲んだ。 「……その目はずるいぞ」 何だかんだで、椿はキリの、子犬の瞳に弱いのだ。 先程までの怒りが嘘のように、椿は優しくキリに微笑みかける。 そしてキリの林檎をそっと撫でた。 「……かい、ちょ……」 「すまなかった。ありがとう」 「っ……」 「最初からこうすれば良かった」 「え……?」 そう言って椿は両手をキリの肩に滑らせ、キリの右頬にそっと唇を押し当てた。 「……っ!!」 ちゅっと可愛いリップ音をたててそれを離す。 キリは持っていた缶を大地に落として数秒固まった後、顔を耳まで真っ赤にして、右の林檎を手の平で覆った。 「……いっ、いま……!」 「……キリ」 「ひぁっ……!?」 更に椿が噛み付いたのはキリの喉仏。 アダムが林檎のかけらを詰まらせた箇所に、椿はちゅっと軽く口づけて、舌を這わせて舐めあげた。 「んっ……!か、かいちょ……!」 照れるキリにはお構いなしに、椿の舌はついにキリの唇へと迫る。 真っ直ぐにキリを見つめる椿。そしてその眼差しを一心に受ける真っ赤なキリ。 高鳴る鼓動がふたりを揺らす。 揺れて、揺れて、ただ揺れて。 そしてついに、林檎はふたりの歴史を変えた。 「ん……」 「キリ……」 子犬の林檎は熱くて、とろけそうな程に甘かった。 漸く口に出来た林檎。椿の興奮は最高潮だ。 足りない、足りない、全然足りない。 椿は欲望のままにキリを見つめる。 キリの真っ赤な、甘い林檎を。 「……あ」 だがそこで、とあることを思い出した。 「……かいちょう?」 「そういえば」 「……?」 「君の林檎は、半分毒が塗られたままだ」 「えっ?ひっ……!?」 言うやいなや、椿はキリの左の林檎に舌を這わせた。 ギャルの唇、鬼塚の指が触れた左の林檎に。 執拗なまでに舌を動かし、林檎を綺麗に拭っていく。 椿は不器用だ。だから林檎の皮を剥くことが出来ない。 残念なことにひたすら林檎を洗うしか出来ないのだ。 「……んっ!かいちょ、……や、やめ……!」 「嫌か?」 「くっ、くすぐったいですっ……」 真っ赤な林檎。子犬の林檎。 椿に散々食べられて、それでも甘味を増していく。 林檎を食べた椿、食べることを許したキリ。 ここが楽園なのだとするならば、ふたりに待っているのは追放だろうか。 「は、はぁ……」 「ご馳走様、キリ」 「お、……おそまつさまです」 「さあ帰ろうか。今日はしっかり護衛を頼む」 「……はいっ」 しかしここは楽園ではない。 神もいなければ魔女もいない。 落ちた林檎が歴史を変えて、吐き出す吐息が淡く染まり、真っ白な雪が積もるだけ。 改めて家路についたふたりの足元には、いつの間に降り出していたのか真っ白な雪が。 少し大きめのそれは刹那の内に大地を白く染め、ふたり分の軌跡を浮き彫りにした。 寄り添うようにして刻まれた、ふたり分の足跡の軌跡を。 fin あぐ様より頂いた妄想。 ・キリ「会長とか主とかそんなのは関係なしに、俺は貴方を愛しています」 ・ひょんなことから軽く喧嘩→怒る椿くんにわたわたしたキリくんが泣きながら。 椿キリたぎった(・∀・)! ガチ喧嘩ですみません(爆発) てゆーか書いてる内に楽しくなってしまい、 自分が知ってる林檎にまつわる話を色々ぶち込んでみたらやっぱり長くなりました(爆発) 通行人居ねーんかい!とか言わないで下さい(^ω^)つ空気 ありがとうございました! |