ツンデレキリたんを目指してみた


トントン、小気味よい音が聞こえて目を覚ました。
一人暮らしのキリの部屋。所謂1K。
閉められていない1枚の扉は向こう側の音を、未だベッドに寝転がっている俺の元までしっかりと届けてくれた。

差し込む朝日がまばゆい。
俺の右側は温もりと皴だけが残されていた。
まだ覚醒しきらない脳でシーツの温もりに触れる。暖かい。昨晩のキリの体温が指先へ鮮明に蘇る。

そこへ嗅ぎ慣れた香りが鼻先をかすめた。日本ならではの、日本特有の香り。鰹の柔らかな香り。
キリが作っているのはおそらく味噌汁だろう。


(……お嫁さんだ…………)


様々なフィクションの中に存在するありふれたシーン。
それが今現在、俺が存在しているこの空間に流れている。作られている。
俺って幸せ者だなと心が満たされた瞬間、漸く脳が覚醒をし始めたように思えた。

ベッドから降りる。伸びをしたら欠伸が出た。
そのままのろのろと歩みを進めて、キリの元へと向かう。
そんなに広くない部屋だ。十秒もしない内にキリの横顔が見えた。
キリはぼーっとしている。きっとキリもまだ完全には覚醒していないのだろう。

キラキラ、朝日の眩しさにも、星の瞬きにも似た色素の薄い髪の毛は所々寝癖がついていて、柔らかいそれに包まれたキリの横顔は年相応に幼くなっている。可愛い。
キリは眠たげに瞬きを繰り返し、時折小さく欠伸をしながら、のんびりと手を動かしている。


「おはよ、キリ」
「……っ……」
「お、豆腐とネギか」


挨拶と共に後ろから腰へ腕を回した。切られた豆腐と切りかけのネギが視界に入り、声をかける。


「…………ちっ……」
「……何で?」


しかし、何故か返されたのは同じ言葉でもなく、肯定の言葉でもなく、舌打ちだった。
え、ちょ、何で?と戸惑っていると、おもむろにキリが左手の人差し指を口にくわえた。


「おほっ、お前指切ったのかよ」
「……急に抱き着いてんじゃねぇよ禿げコラ」
「え、俺のせい?」
「てめぇしかいねぇだろうが」


キリは指をくわえたまま右の肩越しに振り向いて俺を睨んだ。
ジロリ。そんな言葉がよく似合う仕草だ。
ただ、寝起きのせいで瞳の鋭利さは失われていて、やっぱり年相応の愛くるしい表情があるだけ。
少しも怖くなんかない。


「あらあら。そいつは悪かったな」
「本気でそう思ってんのかよ。相変わらず緩ぃなアンタは」
「そういうお前も相変わらずツンツンだよな。痛っ、もう、惣司郎のばか!ぐらい言ってみてくんねぇかな」
「刺す」
「すみませんした」


辛辣な言葉を浴びせて、キリはツン、と前を向いた。
だが相変わらずそのままの左手。まだ血が止まらないということは相応に深かったのだろう。
流石に悪いことしたなと、ほんの少し罪悪感が芽生えた。そして同じだけの優越感も。


「でもよ、忍者がこんな簡単に後ろ取られてちゃ駄目じゃねー?」
「……うるせーよ」
「そんで切っちゃうとか。流石の忍者もこの時代じゃ平和ボケか?」
「…………お前むかつく」
「何で?」
「……分かってんだろーが」
「いいや分かんないね。なぁ何で?」
「……このクソ禿げ」
「まだ禿げてねーよ」


もちろん、分かってる。
キリが俺に対して警戒心をすっかり解いてくれているってこと。
だから言ってもらいたい。アンタだからだよって。

付き合い始めの頃のキリは、それはもう酷かった。
隣に眠るキリの髪を撫でようとしただけで、気付けば俺の首筋に何処から取り出したのか全く分からないくないが突き付けられているなんて事はざらで。
鋭い目つきで俺を睨みつけていたキリは正直本気で怖かったし、少しでも動こうものなら確実に出血多量でオダブツになれる位置に研ぎ澄まされた刃が宛てられていた。
それこそ、今キリの人差し指から溢れる血液なんて比較対象にもならないくらいに。
寸分の狂いもなく、だ。

そんな背筋も凍るような時代錯誤ともとれる危機感を感じていた俺とは対称的に、キリは俺を認識すると瞳を丸くして、あ、なんだアンタか、なんて悪びれもなく呟いて再び眠りにつくものだから、本気で泣きそうになっていた。
あの時はずっと。よく心折れなかったもんだよ俺も。

だからこれくらいの意地悪は許容範囲だろう。
それにここまで問い詰めたなら、やっぱり聞きたい。言わせたい。
流れる血を絡めながら悪態をつく唇に、満たされてみたい。


「なぁ、何で?」
「……」
「キリ」


少しだけ吐息を混ぜて、声を低くして、耳元で囁いた。
そしてぎゅっと、抱きしめる腕に力を込めると、キリの細い体が強張ったのが分かった。


「…………むかつく」


ぼそっと呟いて、キリはまた振り向いて俺を睨んだ。
相変わらず幼い見目は威厳も畏怖も感じられない。可愛いだけ。思わず笑みがこぼれた。
するとキリは更に不機嫌そうに顔を歪め、唇から指を離して再度舌打ちをした。
そして小さく息を吐くと、そのまま近くにある俺の左頬にそっとキスをした。音はない。


「言ってやんねーからな。絶対」
「おほっ。かーわいい」
「……むかつく。このクソ禿げ」
「つーかお前さっきからそればっかりだな。他に言うことあんだろ」
「刺す」
「違う違う」
「潰す」
「違う違う」
「吊す」
「……おいおい」
「…………ぉはよ、そうじろ」
「おほっ」


少しはにかみながら小さく紡がれた言葉に満足する。
キリはまたツンと前を向き、手を動かし始めた。血は止まったのだろう。


「……切りづれぇ」
「だろうな」
「アンタ邪魔なんだよ」
「それなら離れた方がいいか?」
「……」
「キリ?」
「………………そこまで言ってねぇ」
「おほっ」
「ばかそうじろう」
「……やっぱお前可愛いなー」
「…………うるせー……」


真っ赤な耳。乱暴な言葉とは裏腹な可愛い反応。
全く可愛い。素直でよろしい。

若干動きづらそうにしながらも、キリは俺を拒むことはない。
ネギを半分残して手を止めると、張り付いたネギをはらい、今度は包丁を横に滑らせて刃の部分にサイコロ状に切られた豆腐を乗せた。
そしてそれを沸騰しているだし汁に入れ、コンロの火を消すと、味噌を溶かした。うん、いい香り。
それからキリは再度コンロに火をつけて、輪切りにしたネギも同様にして鍋に入れた。指を擦って張り付いた分も残さずに。

慣れた手つき。俺ってつくづく幸せ者だなと心が満たされて、もう一度ぎゅっと力を込めてキリを抱きしめ、真っ赤な耳に音をたててキスをしたら、キリはビクっと体を跳ねさせ、なんと包丁を盛大に落としてしまった。

反射的にキリごと身を引き、直撃は免れたものの、先程キリが指を切ってしまったように、包丁だって立派な刃物だ。
本当に危ない。本当に危険極まりない。


「あっぶねぇ!」
「……ってめぇのせいだろうが!」
「え、俺?」
「急にきめぇことしてんじゃねーよ!」


俺に抱き着かれたままのキリは振り向いて大声をあげた。心外な言葉、照れ隠しの悪態。

だが、真っ赤になって喚いているキリは全力で照れているのが一目で分かる。
いくら口が悪かろうが、いくら取り乱してようが可愛い事に変わりない。
いつまで経ってもキリは初々しいままだ。


「つーか何でキスでそんなウブい反応出来んの?今更じゃね?夜はもっとすんげーことしてんのに」
「なっ……!」
「昨日だってお前、ああーん、いやあーん、そぉじろぉー、だめえーってあんあん喘いで目ぇうるうるさせちゃってよ。かーわいかったなぁ」
「こ、の、やろう……!」


わざとらしい声を作り、顔をゆっくりと左右に振りながら昨晩のキリを模倣すると、キリはふるふると小刻みに震えだした。
あ、やべ、やり過ぎたか、なんて思ったのもつかの間。
キリは再度怒号をあげ、俺の鳩尾に肘鉄を食らわせた。


「ブッ殺す!」
「ごふっ!」


手加減知らずのその威力にキリを抱きしめていた腕を解き、代わりに衝撃をくらった鳩尾を抱える。
結構本気で苦しい。きっとこれは痣になるんだろう。


「げほっ、げほ、おま、マジで苦し、うぇほっ!」
「刺す!」
「げほっ、ちょ、タンマ!悪かった悪かった!」
「アンタマジでむかつく!パイプカットしてやりてぇ!」
「え、でもそれだとキリがこま」


キリはそのまま包丁を拾い、それを水で軽く洗うと、まな板に乗っかったままのネギに勢いよく振り下ろした。
ダンッと激しい音。ネギは綺麗に真っ二つ。
俺の言葉は途切れ、そして変わりの言葉が自然と漏れた。


「……すみませんした」


流石に意地悪し過ぎたとちょっと反省。
恥ずかしがり屋さんだなぁキリはもう、なんて可愛らしいことは言えないくらい、キリの羞恥心は苛立ちへ変化してしまったみたいだ。
それこそ今直ぐ近くでぐつぐつと煮えたぎっているお鍋のように。
そうそう今日は味噌汁だったなぁ鰹だしの。


「……ってお前!これもう風味飛んじゃってねぇか?」
「!」
「味噌入れたらそんな煮立たせちゃ駄目だろー」
「……っだれの」
「ん?」
「っ誰のせいだと思ってんだゴラァァ!」
「ぁいだっ!!」


ゴッツーン。

骨と骨がぶつかる音。
そして鈍い痛み。
俺の胸倉を掴んで勢いよくシャウトをかましたキリに素敵な頭突きをいただいた。

スーパーバイオレント。
スーパーデンジャラス。
そしてスーパーシャイボーイ。

俺の恋人は今日も元気に可愛いです。








終われ





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