空野的芸コン考察





ふたりの芸術感の相異は死というものに対してふたりがどんな価値観をもつのか、そこに起源しているものだと思います。

サソリさんはそこに悲しみを見る。二度と戻らない事を嫌い、だから永遠を求める。
死がもたらすものは悲しみしかないと、彼は知っている。
サソリさんはガンガン人を殺ってきたけれど、やはり待つのも待たせるのも嫌いという一言がその根底にある優しさを表しています。
ただ単純に、時代のせいで歪んでしまったのだと、そう思えます。

デイダラさんは逆に、消える瞬間を美しいものだと感じている。
つまり、死が悲しみだという価値観は彼の中にはないのでしょう。

人は優しさと共に残虐性をも兼ね備えている生き物だと空野は思っています。
誰だって一度は何かを殺しているはず。例えば幼い頃、意味もなくただ蟻を踏みつけたりとかして、あ、死んだ、って言って笑ったりして。

デイダラはそんな、人ならば誰しもが持つ残虐性がめっちゃくちゃに表れている子だと思います。
平気で我愛羅の上に座っちゃうし、芸術だーなんて言ってポンポン爆発を起こして人を殺して、旦那があぼんした時だって、はっ、馬鹿じゃんwくらいにしか思っていなかった。

正直、それだけだったら空野はデイダラさんをあまり好きにはなれませんでした。それはよくある自分の欲しか考えない悪役で、汚い人だから。
人は成長の過程で命の尊さを知り、大人になるにつれて意味もなく蟻を踏みつけたりはしなくなる。蟻だ、って言って無視をするだけ。

でも彼はそれだけじゃなかったのよね。
何故なら彼は命を差別しなかったから。
彼の言う芸術は自分の命さえも対象だった。
怖いくらいに純粋な子。だからこそ空野はデイダラさんがめちゃめちゃ好きになった。
彼にどことなく幼い印象を受けるのは年齢のせいだけではなくて、そう言った皆が小さな頃に置いてきた残虐性と純粋さが垣間見えるからなのでしょう。

死に対する価値観はふたりの感性を真逆のものにして、ふたりの最期のシーンはふたりの根底にあるものを顕著に表しました。
優しさと幼さ。
幼さはとは残虐性と純粋さを孕んだもの。

永久と一瞬。
歪んでしまったサソリの脆さと、消えなかった優しさ。
そしてデイダラの持つ残虐性と純粋さ。
それはすなわち人そのものであり、つまり芸術コンビは人の内側を見事に露にした、とっても深いキャラクターなのだと、空野はそう思いました。









……ま、だけどここはホモサイトだからね!

デイダラさんには悪いけどあぼんネタでは存分に悲しんでもらい、サソリさんにはちょっと素直になってもらいました!(爆発)

サーセーンw



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