chloe







失せモノ


※大人


 光がいなくなった。
 訪ねたアパートは家具も仕事道具・機材もそのままに、家主だけがいなくなって異様な空間になっていた。キッチンに放置されたままの鍋は白い膜を張った水が溜まったまま。飲みかけのペットボトルの中身は腐っているだろう。部屋全体にうっすらと漂うアンモニア臭が事の大きさを物語るようで、虚しさが肺を満たす。
 ユウジから「財前がつかまらない」と留守電が入っていたのが一昨日。夕方電話したけれど繋がらなくて、メールを入れていたらいつもと変わりなく一言「なに」の返信。ユウジの名前だけ出して、1往復半で終了。以降「電波の届かないところにいるか、電源が入っておりません」のアナウンスのみ。そして今朝「おかけになった番号は現在使われておりません」。嫌な汗をかいて、アパートを訪ねたらこのざまだ。
 一月以上は放置されたような部屋で、光がどこに行ったのか、どうして居なくなってしまったのか、何があったのか、色んなことが押し寄せてきては「お前のせいだ」と責められるようだった。耐えきれず窓を開けてベランダへ出る。干からびた雨の後でザラザラする柵に触れるのが躊躇われて、どこかにつかまることも出来ずに部屋を振りかえった。

 人様に堂々と言えたことではないけどオレと光は恋人という関係に治まってる。それこそ誰かに聞かせられるように順調に歩んでこれたわけではなく、中学から付き合ったり別れたり、ただ身体を重ねるだけだった頃もあった。だらだらと締まりの無くなってた自覚はあったけれど、半年前に腹を決めたのだ。結婚したいと、光が、そう言ったから。
 国内じゃ籍は入れられないとか、そう言う話じゃないのはオレでもわかった。オレらの残りの時間を一緒にしようってことで、柄にもなく光が両手を握るから、オレは光を抱きしめてやることも出来なくて、二人してちょっと泣いた。嬉しくて、世界が反転して見えた日だった。

 そう言ってた晩夏の日のことを思い出すと、叫び出したい衝動に駆られて、静まり返る春待ちの冬の上で独りになる。ダメだダメだと理性が締め付けてくるのに、腹の底から湧きあがる衝動を抑えきれず「あー」だの「うー」だの意味のない呻きを上げる。ここで叫んではいけない。一人じゃないから近所迷惑、迷惑な自分は独りだ。
「っクソ!!」
 腹が立つ。光にも、それに気付かなかったオレ自身にもムカついて仕方がない。八つ当たりだとはわかっていても、オレたちを取り巻く全てが異様にムカつく。きっかけをくれたユウジにさえ当たり散らしてしまいそうで、この様を伝えることが出来ない。憤慨している思考の隅で、急ぎの用だったら困るだろうなと間抜けなオレが笑っていた。
 昔は良かったなんて思い出すのは好きじゃないけれど、少なくとも今この瞬間よりは確実に良かった。光はちゃんとこの部屋にいて、パソコンに向かって仕事しながらオレに視線もよこしはしないけど、砂糖とミルク多めのコーヒーカップを差し出せば受け取ってくれる。結婚しようって言ってからこの部屋は仕事部屋になって、不規則ながらもオレのマンションで一緒に生活して、お互い落ち着いたらちゃんと引っ越しをしようって言ってた。
(虚しい……)
 ガス、水道、電気の全部がまだ使えるってことは料金は支払われてるらしい。半ば自棄になった気持ちでそれを確認する。帰ってくる気があるのか、それとも単に面倒だったのか、急だったのか。どこに行ったかも知れないが死なないためには金がかかる。銀行口座の引き落としを調べてもらえば足取りが掴めるだろうか。それが出来たにしても光の実家に協力してもらわなければなるまい。いや、もう成人してる人間の口座だから家族でも難しいのだろうか。
(……家族なら大丈夫やろ、フツウ、たぶん、きっと)
 光の実家に連絡しなければと思うと、この惨状をそのままにしておくのは気が引けてきて少し片付けようかなんて考え出したところで、下手にいじると手がかりが無くなると探偵ドラマで言っていたなと、そうなればいっそ警察に連絡すべきかと思考があちこちに飛びまわる。
(ああ、でもこういうのって蒸発っていうて相手にされないんやった)
やっぱりご実家に連絡しようとケータイを開く。
 光が見つかったらとりあえず一発は叩いて、それから引っ越しの準備をしよう。部屋の掃除を一緒にして、光のおじさんとおばさんに頭下げて、彼をくれるようにお願いしよう。うちに帰って、美味しいもの食べて、それから世界が一周するくらい抱きしめよう。それこそ光が本当に帰ってくる気がなかったのだとしたら、その時はオレからサヨナラを言わなければならないのだろうけれど。

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