不安も愛しさも胸に抱いて

部屋に入ると隅の方でクッションを抱きしめて座る、座敷童のようなものが目に入った。
よく見るとそれは大学帰りに立ち寄ったなまえの姿で。
芭蕉は持ってきたお茶を机に置くと静かになまえの隣に座った。

「…。」

耳をすますと時々鼻を啜る音がする。

「なまえちゃん?」

「…何ですか。」

もう一歩近づきながら声をかけると涙が零れる一歩手前のなまえの瞳がこちらに向けられて。

「どうしたの?」

突然のことに驚いた芭蕉は心配そうになまえの顔を覗き込むが、なまえは視線を反らした。

「なんでも、ないです。」

なんでもない、といいながらも訴えるように反らした視線を再び芭蕉に向ける。
芭蕉は困ったように笑った。

「なんでもないの?」

「はい…。」

ポロリと大きな目から涙が溢れると隠れるように抱えていたクッションに顔を押しつけた。

「そっか。」

芭蕉は不安と聞き出したい気持ちをグッと堪え俯くなまえの頭を優しく掌で撫でてやった。
若いなまえはちょっとしたことで心が揺らぎやすい。
芭蕉はなまえよりも長く生きているがなまえが望まないかぎり口を出さないようにと決めている。
それはなまえを見放しているからではなく、芭蕉自身なまえの人生にどこまで関わっていいのかという不安に近い。

「…っふ、うっぐ…。」

芭蕉がもどかしさに唇を噛むと、我慢しきれなかったなまえの鳴咽が静かな部屋に響き、芭蕉は先程より優しく頭を撫でやる。

「ばしょ…さん。」

「うん?」

なまえはクッションを床に置くと芭蕉の胸にそっと寄り掛かって静かに震えた。
芭蕉はなまえを受け止めると、こどもをあやすように背中を撫でながらなまえの体温を感じた。

「ばしょうさん」

「うん。」

「っ、ばしょっ…さ」

「うん。」

健気にしがみついてくる自分より小さな手もふわりと香る甘い香りも、全てが愛おしい。
愛おしいが故に不安になる。

“本当に自分みたいなのがこの子の人生に関わってもいいのか”と。

「ば、しょさん」

名前を呼ばれるたび胸の奥がギュウと締め付けられてしまう。

「わた、しはっ…ばしょさんが…好きです。」

「なまえちゃ…」

「誰が…なんて言おうが、すき、なんっです」

なまえの口からぽろぽろと零れ出した言葉達。
涙でボロボロになった顔をあげると、迷いの無い真っすぐな瞳が芭蕉を射ぬいた。

「ばしょさん…」

好きです、と力無く呟くと再びなまえは芭蕉の胸に体を沈めた。
芭蕉はなまえの眼差しに、胸が痛んだ。
こんなにも真剣に自分に向き合ってくれているなまえから逃げて、中途半端な関係を強いてしまったこと。
そして、不安なのは自分だけだと決め付けてしまったこと。

「なまえちゃん。」

芭蕉は静かに囁いた。
本当に小さな声だったが、なまえはその声に反応してゆっくりと顔をあげる。
涙で視界がぼやけているなまえの瞳を覗き込み、芭蕉は優しく微笑んだ。

「ありがとう。」

そして、今度は包み込むようになまえを抱きしめると離さないと言わんばかりに腕に力を込める。

「ば、しょ…さん」

芭蕉は泣き止まないなまえの耳にそっと囁いた。

「私もなまえちゃんが好きだよ。」

胸の中で震える愛しい人を更に強く抱きしめれば、なまえの体温が体に染み渡るような錯覚に陥った。

「ふっ…うぅ、ばしょさん」

「なまえちゃん。」

ドクンドクンと全身に血液が流れていく。それは自分のだけではなく腕に抱いたなまえも同じで。

「私のせいでなまえちゃんに不安な思いをさせちゃったね。」

優しく震える背中を撫でてやると、なまえは静かに首を振った。

「そんなこと、ないです。」

「ん…、こんな私を好きになってくれてありがとう。」

芭蕉はそっとなまえの顔を覗き込み、泣きすぎて腫れた赤い瞼にキスを落とした。






















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芭蕉/不安も愛しさも腕に抱いて
fin
2010.05.27

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