正しい川の渡り方

「次、なまえさん。」

広い裁きの間に鬼男の声が響き渡る。
あと、一人で今日の仕事は終わる。そう思っていた矢先の出来事だった。

「…次なんていないけど、鬼男君。」

閻魔が怠そうに答えた。鬼男が顔を上げると長蛇の列が無くなりこの広間に鬼男と閻魔しかいない。
慌てて自分の持つファイルに目を落とす。しかし、そこには少女の写真とプロフィール。

「また逃走かなー。」

めんどくさいなぁ。と呟くと閻魔は固まった凝りを解すように肩をまわす。

「ちょっと探してきますので、大王はそこで待っていてください。」

まだ仕事はありますから逃げないでくださいね、と釘をさしてからファイルを机の上に置いて鬼男は広間を飛び出した。


















人間界から天界の裁きの間にくるまでの道則は意外と険しい。
こうしてファイルに名前があるのに魂が裁きの間に来ないときは逃走・もしくは迷っているのどちらか。
しかし、たいていが前者のパターンだ。
逃げた後は人間界に戻ろうと天界を永遠にさ迷うことになり最終的に転生が出来ないため人間界と天界のバランスが取れなくなってしまう。
そうならないためにも、鬼男はよく周囲を見回しながら走った。
しかし、写真の少女どころか人影一つなく三途の川まで到着してしまった。

「はぁっ、何でいないんだ?」

焦りから乱れてしまった息を整えて額に流れる汗を拭き再び裁きの間に向かおうと顔を上げる。
すると、川の向こう岸に一つだけ人影が見えた。
まさかと思い目を懲らすと、それはあのファイルの写真の少女と同じで。
その少女は鬼男に気付いたらしく大きく手を振り何かを叫んでいた。

「あのーっ、この辺に橋とか船って無いんですか?」

「は?」

「だーかーらー、橋か船ー!!」

どうやら少女は、三途の川を渡れずにいたらしい。

「大丈夫ですよ、なまえさん。そんなに深い川じゃないので歩いて渡れます。」

鬼男は怖がらせないよう優しい声でそう伝えた。しかし、なまえは首を大きく横に振る。

「む…無理!私、水…ていうか、川とか海は本当に無理なんです。」

余程怖いのか、その声は震えて最後には涙が混じり情けないものになってしまっていた。
鬼男は少し考えると、三途の川を渡りなまえのいる岸へ向かいはじめた。

「えっ、あの…。」

「少し待っていてください、今迎えに行きますから。」

川を渡る鬼男をなまえは申し訳なさそうに見守り。渡り終えた鬼男はファイルに乗っていた写真と同一人物か改めて確認をする。

「お待たせしました、なまえさん。さ、行きましょうか。」

「はい」

間違いなく写真の人物であるとわかり、鬼男はにっこりと微笑んだ。

「わざわざすみません…でも、どうやって、ですか?」

水に怯えているのか、それとも鬼男に怯えているのか不安そうな目で鬼男を見上げるなまえ。

「え…っと。」

何も考えずに渡ってしまった鬼男は一瞬顎に手を付け考える。
しかし、すぐに閃いて。

「ああ、こうすれば渡れますよ。」

と得意そうに笑うと軽々となまえを持ち上げた。

「わあ!?いいいいいいや、私重いので…いいです!!おおお降ろしてください!」

突然体が宙に浮いて、気がつくと初対面の人(鬼)にお姫様抱っこをされたなまえは体を強張らせた。

「いえ、大丈夫ですよ。それよりしっかり捕まっていてくださいね。」

なまえの体が水に浸からないようにと気を遣ってか優しく鬼男の胸に引き寄せられて自然と体が近くなる。なまえは怖ず怖ず首に腕を回した。

「良いですか?」

間近で優しく微笑む鬼男の笑顔に不覚にもときめいてしまったなまえは言葉もなく首を縦にふる。

「では、行きます。」

なまえの賛意を確認した鬼男は川の流れに足を取られぬようゆっくりと歩いた。

「っ!」

ザブザブと水の音を聞くだけでさらに体を強張らせ固く目を閉じ震えるなまえ。

「少しだけ我慢してください、なまえさん。」

一人で渡ったときにはそれほど距離を感じなかった川も、誰かを抱いてゆっくり歩くと長いもののように感じる。
怖がらせないよう優しく声をかければ、まだ不安の色が抜けない瞳で自分を見上げるなまえ。
その瞳を見て鬼男は心から守ってあげたい、と思った。

「大丈夫です。僕を信じてください。」

なまえを抱く腕の力を強めると、それに応えるように首に回された腕が強くなった。

「あ…ありがとございます。」

耳元で聞こえる少し震えた声。
視線を落とすと鬼男を見つめる瞳。それは先程のような不安の色はない。それが嬉しくて鬼男は自然と頬が緩んだ。

永遠に続くようにも感じた三途の川横断も終わりを告げ、鬼男はゆっくりとなまえの体を岸に降ろす。
なまえが岸に足を付けた事を確認してから鬼男も岸に上がった。

「ありがとうございました。」

「い、いえ、そんな顔をあげてください。それより濡れたりしませんでしたか?」

丁寧に頭を下げてお礼をされて気恥ずかしい鬼男は、頬をかいて笑う。
顔をあげたなまえは安心に満ちた温かい瞳で鬼男に微笑みかけた。

「はい。貴方のおかげで…。」

パチリとお互いの目が合えば心臓がドクリと跳ねたような気がする。

「では…裁きの間までご案内します。」

「裁き?」

「えぇ、でも怖いところではありませんよ。」

変態大王イカがいるくらいです。と言えばなまえはクスクスと笑う。その笑顔につられるように鬼男も笑った。
どちらともなく二人は裁きの間までゆっくりと歩調を合わせ歩いていく。


















『めんそ〜れ』と書かれた建物の前に立ち鬼男が扉に手をかけたとき、なまえの声が静かに響いた。

「あの、貴方のお名前を聞いていなかったのですが…。」

「え、ああ。僕は鬼男です。」

「鬼男、さん。」

鬼男の名前を心に刻み込むように復唱しながら、鬼男を見上げた。その視線は真剣で眩しい。

「はい。」

「また、鬼男さんに会えるでしょうか?」

「…必ず会えます。いえ、なまえさんに会いに行きます。」

扉の向こうにはたぶん暇そうにしている閻魔が待っている。
鬼男はその扉を開く前になまえに微笑みかけた。

「待っていてください。」

その表情を見てなまえは嬉しそうに微笑んで、鬼男の開いた扉をくぐって行った。

















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正しい川の渡り方/鬼男
fin
2010.03.22



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