手綱

―こんな弱い体を持ちながら生き続ける意味なんてあるのだろうか。

調子丸は今日も痛む胃を押さえて黒駒の世話をする。
どんな世話をしても大人しくなることのない、太子の馬は荒い呼吸を繰り返す。

「はあ…こいつを大会までになんて無理だよ、いてて。」

直前まで迫った大会を考えると胃だけでなく頭も腹も痛くなる。
調子丸が痛みに気を取られているうちに黒駒は策を蹴破って飛び出した。

「あ…こら、待て!」

重い足を引きずって馬舍を飛び出すが、後ろ姿すら見当たらない。
調子丸の顔が青ざめるのとほぼ同時に遠くから悲鳴が聞こえてきた。

「ああなんてことだ」

怪我人が出てしまってはどんな処分が下されるかわかったものではない。
調子丸は急いで悲鳴のした方向へ向かった。
馬舍から少し先に行くと人だかりが出来ていてその中心から黒駒の鳴き声が聞こえる。

「あの…すみません」

人込みを掻き分けて進むと、そこには先程まで荒々しく息を切らしていた黒駒が大人しく一人の女性に撫でられていた。

「…え?」

調子丸がその様子を驚いた表情で見ていると、視線に気付いた女性が振り向いた。

「あ、貴方がこの子の持ち主かしら?」

優しく丁寧に黒駒の縦髪を撫でる様子はまるで一枚の絵画のように見える。
彼女に見取れていた調子丸は返事をするタイミングを逃してしまった。
慌てて首を縦に降ると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

「ふふふ、凄く賢くていい馬ですね。」

「あ、りがとうございます。」

彼女から手綱を渡されると黒駒は再び興奮して暴れだす。
その様子に慌てて彼女も手綱を手にした。調子丸の手と彼女のが重なり合う。

「さっきまでいい子だったのに…。」

「すみません。まだ俺こいつに慣れてもらえていなくて。」

「ふふっ、だって貴方へっぴり腰。それだからこの子に嫌がられちゃうのよ。」

「え…?」

「ちょっと待ってね。」

彼女はそういうとひらりと黒駒に飛び乗った。

「さあ、捕まって!」

キラキラ輝く太陽の光を浴びてますます美しく映る彼女に思わず息を飲む。
差し出された手に調子丸も手をのばした。
力強く引き上げられて、調子丸は体を固くして身構えるが黒駒は一瞬鳴いただけで暴れない。

「……暴れない。」

「大丈夫、コツを掴めばすぐに貴方一人でも乗れるわ。」

彼女は言い終わる前に黒駒の腹を軽く叩いて走りだした。
軽やかに走る黒駒はいつもの暴れ馬とは違う。

「あ…貴女は……?」

「あなたじゃなくてなまえ。私はなまえよ。」

「…………なまえ様」

彼女の名を口にするのが恐れ多くて風に消え入るほど小さな声で囁いた。
ただ囁いただけなのに胸の奥が締め付けられるように痛い。

「貴方は調子丸さんでしょ?太子のとこの。」

「え、ああ…はい。」

「ふふふ、今年はこの馬で出場するのね。」

「その…つもりです。」

突然突き付けられた現実にキリキリと調子丸の胃が痛む。
はぁ、とため息を漏らすとなまえは高らかに笑った。

「弱気にならないで、この子なら優勝間違いないわ。」

「………ははは。」

それ以前に調教が出来ないのだ、と心でそう呟いた調子丸が自嘲気味に笑うと、なまえがこちらを見ている。

「なまえ…様!?」

危ないと口にすることも忘れなまえの美しい笑顔に気を取られてしまう。

「この子の調教の心配はいらない。だってそうでしょ?」

「え?」

なまえの瞳に疑問を訴えると、なまえは再び前を向いてしまった。

「だって調子丸さんは今この子に乗ってるもの。もう大丈夫よ。」

そういうと弱々しく回された調子丸の掌をなまえの掌で包み込んだ。
温かい彼女の掌と冷たい己の掌が交わり合う。
掌から直接なまえの体温が流れてくるような錯覚に陥った。

「それに、私も協力するわ。」

「そ、そんな…」

「お願い、協力させて。」

ね?と言いながら再びこちらへ視線を送られては断ることが出来ない。
何より断る理由が調子丸には見つけられなかった。

「よろしく…お願いします。」

あまりにも心臓がせわしなく動くもので、調子丸はこのまま心臓が止まってしまうのではないかと己の未来を恐れたが、この先に待つ未来は誰にも予想できないほど幸せなものだったとか。


















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あやさんリクエスト
手綱/調子丸
fin
2012.02.29

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