海の日

「泣き虫曽良。いつまでも泣かないの。」

懐かしい声が聞こえる。
曽良は顔をあげた。
目の前には昔見たことのある懐かしい女性の姿。

「なまえ…?」

曽良が名前を呼ぶとその声に反応するように大きな掌が曽良の顔に触れる。
曽良の心臓がドクリと跳ね上がった。

「本当に…曽良は泣き虫なんだから。」

「何を……」

なまえの掌が曽良の頬・瞼に触れていく。
このとき初めて自分が泣いていることに気付いた。

「…………!!」

気付いた途端、涙が溢れ視界が滲んでいく。
目の前にいる懐かしい人が涙で歪んで見えた。

「大丈夫、離れていても私たちはずーっと姉弟弟子だから。」

「なまえ…姉さん。」

なまえは曽良の頬から手を離すと、そのまま曽良を引き寄せた。

「っ!?」

抱きしめられて気付く、自分の体が幼い頃のように小さいこと。
そして、今起こっていることは過去に経験したことの夢であること。

「相変わらず小さいなあ…好き嫌いなく食べてる?」

「た…食べています!」

「運動は?」

「そっ、そこそこ。」

「芭蕉さん…先生の言うことちゃんと聞いてる?」

「…はい。」

昔も聞いた台詞。
大切だった人との永遠の別れ。

「そう…ならいいけど。」

背中を撫でる優しい手。撫でられた部分が温かい。

「なまえ姉さん…行かないでください。」

曽良が恐る恐る呟けば、なまえは馬鹿みたいに明るく返す。

「大丈夫!必ず帰ってくるよ。」

約束、と言って更に強く抱きしめられた。
しかし、曽良はこの台詞が嘘になってしまうことを知っている。
それでも彼女の口からこの言葉を聞くと何度でも信用してしまう。

「は、い。」

曽良は短い腕でなまえの背中を抱きしめる。

「さ、明日からまた旅が始まるんだよ。泣かないの。私もすぐに元気になって芭蕉先生や曽良に追い付くから。」

「なまえ姉さん…」

―――必ずまた会えるから。

遠くなる感覚。
意識が浮上して夢から覚めていく。

「珍しいね、曽良くんが私より後に起きるなんて。」

聞き慣れた師匠の声が聞こえ、曽良はゆっくりと体を起こした。

「…夢を、みていました。」

「夢?」

「いえ…。今日はこの宿を出て何処へ向かうのですか?」

「うん、懐かしい人に会いに行こうと思って。」

芭蕉の言葉に心臓が震える。

「…懐かしい人?」

「そう、君もよく知ってる人だよ!」

芭蕉はそう答えると荷物をまとめて部屋を出ていった。

「懐かしい人…」

予感、というものを信じたことは無かった。
しかし、今朝の夢といいこの胸騒ぎ。懐かしい人がなまえではないかという期待が膨らんでいく。
誰もいない部屋で身支度を済ませて廊下に出ると、芭蕉がにこやかに手を振った。

「遅いよー、曽良くん!早くしないと!」

「煩いですね。」

「酷い!」

「急ぐのでしょう?ほら、さっさと行きますよ。」

「もう、この弟子は人使いが荒いんだから…。」

「何か?」

脅すように芭蕉を睨み付ければ、慌てて背を向けて歩き出す。
いつものように冷静を装い芭蕉の後を着いていくが心臓の高鳴りが周囲に聞こえていないか心配になる。
は、と短くため息をついて気を紛らわそうとした瞬間声が聞こえた。

「ほら、いたよ!曽良くんは覚えてるかな…なまえっていうんだけど。」

もう夢の中でしか聞けないと思っていた懐かしい声。
曽良の足が止まる。
あんなにも遠いと思っていた身長差が無くなっていたが、どこか見覚えのある後ろ姿。

「なまえ…姉さん。」

曽良の声に反応するように振り返る女性。
何もかわらないその笑顔。

「泣き虫曽良。」

まるで夢の続きのように耳に響く声は懐かしくて感情が込み上げる。

「へ?曽良くんが泣き虫??」

「……!!」

芭蕉が振り返るので曽良は慌てて俯く。
涙は出ていなかったが目が赤くなっているような気がした。

「ふふふ、海の日…ですよ、芭蕉先生。」

「えぇ?曽良くんが笑顔になる日でしょ?」

不思議そうに首を傾げる芭蕉をみてクスクスと笑うなまえは、曽良の隣に立つと顔を覗き込む。
何もかも見透かすような真っすぐな瞳。

「それだけじゃないのよね、曽良。」

「勝手にしてください。」

曽良はそう呟くとなまえにだけ見えるように小さく微笑んだ。

















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海の日/曽良
fin
2011.07.19

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